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読書記録㉖『仕事にしばられない生き方』ヤマザキマリ著

気分転換に斜め読みしようと思って図書館で借りた本を、通読してしまった。せっかく読了したので、思ったことをやはり書き留めておこうと思う。
新書なのでこの本には目次がある。章ごとに大見出しがあり、さらに細かな小見出しまである。付箋も貼らずに読んでしまったが、これは内容を振り返るのに最適だった。いつも目次は流し読みしてしまうけれど、内容をより深く理解するためにも、重要な箇所だと改めて思った。今度から本文を読む前に丁寧に読み込もうと思う。


著者のヤマザキマリさんは、漫画『テルマエ・ロマエ』の作者として有名な方だ。『テルマエ・ロマエ』は2012年に阿部寛あべひろしさん主演で映画化もされた。ローマ人が現代の日本に風呂文化を学びにタイムスリップしてくるというストーリー。当時話題になっていたことで、それくらいの知識はあったが「お風呂がテーマ? 変わってるなぁ」くらいしか思わなかったし、結局漫画も読まず映画も観ないまま今日に至っている。
この本を手に取ってしまったのは、きっとクリエイターの生き方に興味があったから。
前置きはここまでにして、内容について書いていきたい。その前に本書の雰囲気が伝わるよう、章ごとの見出しを引用しておく。


はじめに ーーどんな場所でも生きていける私になりたくてーー

序章 やりたいことで生きていく
ーー母・量子の場合

第1章 働くこと、自立すること
ーージュゼッペとの日々

第2章 持てる力をすべて使って
ーーテルマエ前夜

第3章 風呂か、それとも戦争か
ーー先人達が教えてくれること

第4章 私の働き方改革
ーートラブルから学んだこと

第5章 仕事とお金にしばられない生き方

あとがき

『仕事にしばられない生き方』ヤマザキマリ著


“はじめに”の文章を読んでいる時点で、もしかしたら私はもう長編小説を読むような心の準備をしていたのかもしれない。
著者が最初から漫画家を目指していたわけではないということ。油絵を学ぶために17才の頃にイタリアへ留学したこと。そこでお金に困窮した生活を送ったこと。イタリアだけでなく、シリアやポルトガル、アメリカなどでも暮らした経験があること。映画が大ヒットした裏側で起きていた騒動。詳細を読む前の短い文章から、すでに波乱万丈で苦労してきた著者の人生が垣間見えた。そして現在も、数年先の未来で自分が漫画家をしているかなんてわからない、と緊張感を持って過ごしている。しかし同時に、苦境を乗り越えてきた彼女は“いざとなれば、どこでだって生きていけるし、どうにかなる”と頼もしい言葉も綴っている。
外側の世界や自分に降り掛かってくる事象は、コントロールすることができない。それならば、どんなことがあっても柔軟に対処していける、強い自分になればいい。誰もが憧れる在り方ではないだろうか。私も彼女のようなしなやかな強さがほしいと、心から思う。


幼少期には良くも悪くも、その人の核となる部分が形成されるもの。とりわけ母親の影響は大きい。生活習慣から始まり、人との関わり方、価値観、経済観念など、いやおうでも刷り込まれてしまう。
著者の母親は書かれたエピソードを読む限り、相当な変わり者。お嬢様育ちだけれど音楽と出会いヴィオラ奏者となったことで、家を飛び出し自活の道を選ぶ。シングルマザーとして著者とその妹を育てるが、お金にはいつも余裕がなかった。けれど、良質なものを知っている母は、食費などを切り詰める一方で高級な車や家具をポンと買ってしまう。子供心に著者は母親のお金の使い方にヒヤヒヤしている。
印象的だったのは著者が子供時代に流行った『ひみつのアッコちゃん』のコンパクトを欲しがった時のこと。私も持っていた記憶があるが、「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン」と呪文を唱え、変身するための魔法のアイテムだ。男の子がこぞって欲しがった仮面ライダーの変身ベルト同様、当時の女の子には大人気の商品だった。それを著者の母親は、じゃあ実物を見に行こうと著者を売り場へと連れていく。てっきり買ってもらえるものと期待していたら「あなた、本当にこれが欲しいの?」と聞かれ、さんざんその商品のチャチさにケチをつけられる。ニセ物だから変身もできないよ、と。
そんなことは子供の著者にも百も承知だった。それにおもちゃなのだから、品質だってたかが知れている。結局著者は自ら、もう要らない、と悔しい思いを胸に買ってもらうことを断念したのだ。その著者の心情を思うと切なくなった。
もちろん長く愛用できるものを見極めることは大事だと思う。けれど、その時に欲しかったものを買ってもらえなかった、という思いが“落胆した幼い自分”の姿と共に残る気がしてならない。著者もこんなことなら最初から「買わない」と言われていた方がマシだったと書いている。
ただ、大人になった著者はこのエピソードを“自分の欲望を客観視するための大切な訓練だった気がしてくる”とも綴っていて、やはり人を成長させるのは物事をどう捉えるかなのだと思った。


著者がイタリアへ留学し、自立したのは実質17歳だった。自身も生活がカツカツの母からの仕送りは微々たるもので、あとは現地で働いてどうにかやりくりするしかない状況。電気や水道が止められるような綱渡りの生活を続けているうちに十年以上の年月が過ぎ、帰国したのは29歳の時。その間、年上のイタリア人、ジュゼッペという恋人ができ、最終的に彼との間に子供もできる。しかし詩人のジュゼッペはろくに働かず、後に多額の借金までしていたことが発覚。
ある時は、家賃が払えず家を追い出され、あてもなく人通りの多い駅まで歩き続ける。お金のないクリエイターたちが集う文学サロンに行き、みんなで具無しのパスタを食べて飢えをしのぐこともあった。母にお願いして送ってもらったお金を、スられてしまったこともある。生活が困窮することでジュゼッペとの喧嘩も絶えず、遂には著者はひどい鬱症状になり、精神病院に入院することになってしまう。しかも妊娠中にだ。読んでいるだけで息苦しくなった。
上手く行かない時、負のスパイラルに入ってしまうと、蟻地獄に引きずり込まれるようにどんどん堕ちていく。止められない。冷静さを欠いた自分が苦しまみれに行動することで、さらに問題を悪化させてしまう。そんな時は一旦立ち止まって自分を俯瞰して見たほうがいい。わかってはいても、渦中にいる時に正しい判断ができる人はどれだけいるだろう。
苦しい時期は、著者にデルスという息子が生まれたことをきっかけに幕を閉じる。母親になり守る存在ができたことで、日本に帰ろうと決意したのだ。著者はようやくイタリアとジュゼッペに別れを告げる。



1章の重苦しかった空気から一転、2章からは希望や前進を感じさせる雰囲気が伝わってきた。絵描きを志していたとはいえ、漫画に関してはド素人だった著者。しかしどん底を経験した著者は、強く逞しかった。漫画の新人賞に初めて応募した作品で、努力賞に入選する。その賞金が日本に帰国する航空チケットに代わるのだから、流れがきていたとしか言いようがない。
著者は日本で精力的に働き始める。まだ漫画で生計を立てるには至らない。とにかく働けるならなんでもという前のめりな姿勢で、次々と頼まれごとを引き受けていく。事務職、イベント企画者、イタリア語講師、テレビリポーター、テレビの料理コーナーの担当などなど。とても一人の人間がこなす仕事量と内容とは思えないようなことをやってのけてしまうのだから驚きだ。この馬力と根性が、漫画家という過酷な職業をこなす底力になっているのは間違いないだろう。


著者はずっと日本で暮らす気はなかった。そろそろ海外へ移住しようと思っていた矢先、知り合いの一回り年下のイタリア人、ベッピーノから熱烈なプロポーズを受け、結婚することに。そして息子と三人でシリアに移住する。ここから日本の編集者とのやり取りが始まり、本格的に漫画を描く時期に突入する。すごいと思ったのは、絵柄やストーリーを編集者に何度ダメ出しされても、著者がその要望に応えようと修行のつもりで描き直し続けること。プロで活躍する漫画家にとっては当たり前の光景かもしれないけれど、ここで折れてしまう人は多々いるはずだ。著者はこれを“自分が何をどこまで描けるのか試されて”いるように感じ、このやり取りを“むしろ楽しんで”いるのだからやはりツワモノだ。
文学、創作はスポーツや筋トレなどと真逆の位置にあるようで、本当はすごく近く似通っているところがあると思う。突き詰めればみんな、自分との戦いだ。でも眉間にシワをよせて戦闘モードでストイックに続けられるものではない気がする。そのやり方では、どこかで無理が祟って身体も精神も壊してしまう。現に著者も、がむしゃらになりすぎて『テルマエ・ロマエ』を書いている頃にはたびたび体調を崩している。そして取り憑かれたように描いていたその時期は、家族仲も上手くいっていなかった。周囲との人間関係のためにもその仕事を長く続けていくためにも、無理のない計画や健康管理は重要だ。


著者は住んでいた国や環境の大切さにも触れている。シカゴの高層マンションに住んでいた頃、向かいのジムのランニングマシーンで走り続けていた老人の姿を見て、“私には走り続けられない”、と生き方について悟る。一方でリスボンに住んでいた時代に触れ合った世話好きで人情味に溢れた人たちや、その土地の気持ちのいい青い空や海に思いを馳せる。ただ生きているだけで幸せを感じられるような場所があり、そんな生き方も悪くない、と。著者は“ここで生きていくしかない”としばられるタイプの人間ではない。フットワーク軽く物怖じせず、地球規模で住む場所を選ぶことができる。
それは仕事にしても同様だ。自分の価値観、美学に反することにはきちんとノーが言える。時に自分がやると決めたことには没頭し過ぎてストップがかけられなくなり、倒れるまで頑張ってしまう性質でもあるけれど。
たとえ漫画の仕事ができなくなっても、著者なら何をしてでも強く生きていけると思う。


この本のタイトルは『仕事にしばられない生き方』だったけれど、中身は小説のような一人の人間の人生の物語。ハウツー本より私の心には、もっとずっと訴えてくるものがあった。つらい経験をしてお金にも苦労して。漫画がヒットして映画化されれば、周囲の人間の心無い反応に心がかき乱されたり。でも著者はめげていない。どんな経験も学びに変えて、前向きに軽やかに生きている。そんな彼女の生きる姿勢は、清々しくかっこいい。
ここでは触れなかったが、作中では『テルマエ・ロマエ』や『プリニウス』の漫画の舞台や古代ローマ人について、また政治的背景、風呂文化についても言及されている。読者を選ばず、多くの人に楽しめる濃厚な本だと思う。気になった方はぜひ、読んでみてほしい。


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