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読書記録⑳『大人になったら、』畑野智美著

二十代、三十代の女性の悩みといえば、結婚や出産、仕事のキャリアなどがはずせない。昔よりも大分、結婚や出産の平均年齢は上がった。とはいえ、世間の風潮や現実的な出産のタイムリミットなどから、焦りを感じる女性は少なくない。出産のタイミングを考えると、結婚を決める時期はそれより前になる。それと並行して考えなければならないのは、仕事のことだ。妊娠、出産、育児というのは、片手間にできるほど容易たやすいものではないからだ。


今回図書館で手に取った本、『大人になったら、』は、そんな女性の重要な時期の葛藤を描く物語。読む前からある程度内容を想定できたのは、表紙のデザインのせいもある。まず目を引く、全体がショッキングピンクのカバー。そのビビッドなカラーを背景に、置かれた金色のケーキスタンド。上には二段重ねのケーキが載せられ、さらにその上にはメガネ、モノトーンのストライプ柄マグカップ、ピンクのヒール靴が載っている。煌びやかで少しきつめの印象になってもおかしくないアイテムだが、よく見ると粘土やマジパンで作られたような手作り感のある素材でできている。主人公の女性がカフェ勤めだからかもしれない。そのため、優しく親近感の湧く印象も受ける。


テーマはありがちかもしれない。しかしリアルの世界でも人の生き方は十人十色。当たり前だが人の数だけ物語がある。大きな事件や突飛なことがそうそう起こらないからこその、生々しく感じられる面白味もある。
畑野智美さんの著作を読むのは本作が初めて。すうっと馴染みやすい文章だった。では『大人になったら、』のあらすじから書いていく。


葛城命かつらぎめいはカフェ、キートスに副店長として勤める35歳の独身女性。お客さんや友達から「メイちゃん」「メイ」と呼ばれ、親しまれている。
メイは17歳の頃から十年間付き合った恋人、“フウちゃん”と別れて以来、恋愛から遠のいていた。同い年の独身女性、美人の“みっちゃん”。小柄で太った容貌の、優しい男性、“大ちゃん”。高校からの付き合いの彼らと交流しながら、長年同じカフェで真面目に働いている。
カフェ、キートスの同僚で25歳のイケメン男子、杉本君。彼は帰国子女で癖が強く、何かとメイに絡んできて悩ませる。キートスの常連で、数学の予備校講師をしているスーツの男性、羽鳥先生。同じく常連でナンパな雰囲気の中年男性、鯨岡くじらおかさんなどなど。周りを取り巻く個性豊かな人間関係の中で、仕事のキャリアや恋愛、結婚、将来のことに葛藤し成長していく女性の物語。


年齢でいうと、いつからが“大人”と呼べるのだろう。現在の成人年齢は18歳だが、実質的に十代はまだ若く、子供扱いされたり庇護されてもおかしくない年齢だと思う。二十代は前半と後半の間に大きな差が生じる気がする。三十を過ぎたら、もう立派な大人と見做されてしまうだろう。
主人公のメイは35歳。同級生の大半は、結婚して子供がいる。結婚願望が強いわけではないメイだが、現状にうっすらと不安をつのらせている。
職場のカフェでは、年齢的に副店長という立場で居続けるのは心もとないという焦りがある。同じような毎日の中、恋愛とは大分ご無沙汰。たった一人、十年間付き合った恋人は、もうとっくに別の人と結婚して子持ちになっている。貴重な居場所であるみっちゃんと大ちゃんという二人の友人にも、それぞれの生活がある。いつまで高校時代のように、仲良くつるんでいられるかわからない。母親はメイが二十代の頃にガンで病死。父親は愛人の元へ行ってしまい、長らく連絡を取り合っていない。


別に職場はブラックな環境ではない。メイは友人にも恵まれているし、まだ若く充分働ける健康体だ。恵まれているところに目を向ければ、悪い状況ではないと思う。でも不安要素だって、挙げようと思えばきりがない。仕事はこのまま雇用される立場で続けていくのか。ガンなど病気になった時の備えは? 子供を持たない人生でいいのか。将来のビジョンもなんとなくで、勢いだけでなんとかなる若い時期も過ぎてしまった。頼れる家族もいない。
淡々としていて、少し生真面目。冷静でクールな面も持ち合わせているメイ。しかしその反面、漫然と日々を過ごす、ぼんやりとした幼さも垣間みえる。外からはしっかりとした大人に見える彼女の内面を、読者として疑似体験していると、せつなさや息苦しさを感じる。皆こんなふうに外側の状況と折り合いをつけながら、無理にでも大人になっていくのだろう。決断の連続とそこに伴う責任。大人はそれを、一人で引き受けていかなければならないのだ。


変わり映えしない毎日を過ごすメイだが、彼女を取り巻く人たちはそれぞれ個性的だ。中でもキートスの新人男性社員、杉本君は色々な意味で印象深い。イケメン高身長で帰国子女。これだけでも目立つが、“効率”にこだわり古い作業習慣やマニュアルをバカにし、メイにセクハラまがいな発言をしては、からかってくる。はっきり言って、最初の頃の印象は最悪だった。しかし物語が進むにつれ、彼の素顔や本心がだんだんと露呈していき、憎めない存在へと変わっていく。
メイが杉本君を見る目を変えたのは、バイトの女の子、レナの言葉がきっかけ。帰国子女の杉本君にはマニュアルの日本語がわからないのではないか、という指摘のおかげだった。杉本君は意地を張って、素直に言えなかったのだ。この事実を受け、メイと同様に読み手の私も、人を先入観で決めつけて偏った見方をしていないか、改めて考えさせられた。


高校時代からの親友、みっちゃんと大ちゃんにしても、それぞれキャラが濃い。みっちゃんは美人で、高校時代、大ちゃんに何度も告白されその度に断ってきた。現在は婚活中で、子供を持ちたいという願望も強い。メイや大ちゃんに対して、心を開いていることもあり、本音で歯に衣着せぬ物言いをする。
大ちゃんは容姿がいいとはいえないが、穏やかな性格。加えて起業していて社会的には成功者だ。その大ちゃんが、ある日突然入籍報告をする。しかも相手は一回り年下の女の子だという。その報告を受け、みっちゃんがのちにメイに打ち明けた、大ちゃんに対する本音が赤裸々で忘れられない。引用しておく。


「保険っていう感じだったんだよね。このまま独身でいて、最終的にどうしようもなくなっても、大ちゃんがいるって思ってた。三十八歳になっても独身だったら、結婚してもいいかなって」

『大人になったら』畑野智美


なんて傲慢で人を見下した嫌な女。この文章だけ読んだら、みっちゃんのことをそう思う人が大半じゃないだろうか。事実、みっちゃんは、過去に大ちゃんに彼女ができるたび、その彼女たちに関してダメ出しをしてけなしてきた。
でも不思議と、みっちゃんに嫌悪感があまり湧かない。もちろん、もし私がメイの立場なら、一言二言友達としてたしなめるくらいはしたくなる。性格がいいとは言いがたい。けれど、少なくともみっちゃんは素直だ。腹に黒い感情を溜め込んで、笑顔を貼り付けるようなタイプではない。涙も我慢しない。
そんなみっちゃんのことをちゃんと見抜いていて、今は恋愛感情よりもずっと強い友情で大切にしている大ちゃん。ちょっぴり複雑だけど、素敵な関係だ。


そしてもう一人、物語のかなめとして外せない人物。キートスの常連客である、予備校講師の羽鳥先生。もう何年も店に通っている羽鳥先生だが、少し近寄りがたい雰囲気で特にメイと言葉を交わすこともなかった。予備校で数学の講師をしているという情報も、数年前に偶然知ったくらいだ。
しかし一度、言葉を交わしてからは、少しずつ親密になっていく。店以外でも偶然出くわした際は、私的な会話もするようになる。何年も同じ空間、時間を共有していても、言葉を交わさなければ、当たり前だが関係性は変わらない。客と店員という立場上、あまり踏み込んではいけないと思いつつも、メイが徐々に羽鳥先生を意識し出す心の動き。小さな勇気を出すシーン。落胆や羞恥心。大人の女性の強さ。恋愛が心にもたらしてくれる感情の変化が、メイを通してありありと感じられた。
恋愛は目に映る世界をワントーン明るくしてくれるかもしれない。しかしその反動のように苦しさももたらす。でもきっと、どちらの感情も、振り返ってみれば人生の宝物だ。


仕事面でも、店長に昇格するための試験を受けることが、メイの人生のターニングポイントになる。同じタイミングでメイが通っているバー、“ストロボ”の店長が、メイに店を譲ることを打診することで心が揺れる。何か一つ事が動くと、スイッチが入ったように他からも選択肢が投げかけられることがある。チャンスとピンチは、どこか似ている気がする。


恋愛、仕事、友情、職場の人間関係、親のこと‥‥色々な要素が入り混じった『大人になったら、』。同性として共感できるところが多々あった。私はメイのように社会的に“ちゃんとした”生き方をしてきてはいない。そのままメイの年齢を、だらだらと通り過ぎてしまった。
でも定職に就いていて、過去とはいえ10年もの長い年月、恋人と関係性を築くことができ、本音を言い合える親友もいるメイでさえも、こんなに思い悩んでいる。そのことに少し励まされる思いがした。


“普通の生き方”なんてものは、あくまで平均的なライフスタイルや地位であり、多数派とされる姿で幻だ。実体のない“普通”、“幸せ”に惑わされて自分がどうしたいのかを見失う。周囲の人間と比べて、自分の持っていないものについつい目がいってしまう。そんな不安定さ、心許なさが『大人になったら、』には等身大で描かれていた。
女性にとって岐路となる重要な時期。生きていないはずの人生を、大事なものを拾いにいくように、リアルに味わわせてくれた本だった。
気になった方はぜひ、『大人になったら、』を読んでみてほしい。もちろん、大人の女性の心理を理解したい、男性の方にもおすすめだ。



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