毒親は事実であって悪口ではない。批判するべきは子どもでなく社会の方
先日書いた記事に、こんな一説がありました。
親ガチャ。
多くの場合「ガチャ失敗した」という文脈で使われ、「親のことをそんなふうに悪く言うもんじゃない!」とお𠮟りの言葉を頂戴する、流行り言葉です。
でも、この言葉が流行る現状を、私はとっても問題視しています。
なぜならば、現代社会の親は8割が「毒親」だから。
子供はふつう、親を好きになるようにできている
まず大前提として、子供にとって親は自分の衣食住すべての権利を握る、神にも等しい存在です。
親がいなかったら自分は、おしりにうんこつけたまま餓死するしかない。
だから、子供は親に嫌われないよう、全力を尽くすのです。
ふつう人は、自分を好いてくれる人を嫌いません。
だから人から好かれようとするには、自分がその人のことを大好きになるのが一番早い。
子供も同じ戦法をとります。
子は親を嫌わないよう、遺伝子にプログラミングされているのです。
私は家族関係が原因で精神疾患にかかっていますが、今でも親を嫌いきれていません。
…これは極端な例かと思いますが、
「衣食住のために心を殺した例」としてはとてもわかりやすいと思います。
私の心は、私によって一度殺されました。それは「親を嫌わないため」「親に衣食住を提供してもらうことで、命だけは守るため」でした。
↓私の病気については、こちらに詳しく書いています
健康に育った子供はふつう親に感謝くらいする
子育てには、途方もない時間とお金と労力がかかることくらい、見てればわかります。
社会人になればそれがいかに貴重な経験だったかくらい想像がつきます。
私は、「子は親に感謝するべき」ではなく
「親は子に感謝されるくらい、心身ともに健康に育てるべき」だと思っています。
親がかけてくれた手間と労力くらい想像がつきます。
想像がつけばふつう感謝するでしょう。
「親ガチャ失敗した」「自分のところは毒親だから」なんて言ったら、ここまで育ててくれた親の傷つく顔が浮かんでくるかもしれません。
そうならないってことは、
現代社会を生き抜くのが困難なくらい想像力が欠如しているか、
もしくは想像したうえでもまだ言いたい言葉がそれだったかのどちらかです。
「親ガチャ」「毒親」はライトな言葉では決してない
そもそも、これらの言葉を「親をライトに批判する言葉」という風潮に私は懐疑的です。
どちらも実生活で、特に友人に自分の状況を説明するのに多用していたし、使っている友人も多くいましたが、本人たちの悩みはポップでもライトでもないんですよね。
ただ、人間関係の中で真剣な悩み相談でない文脈…たとえば「最近何してるの~?」くらいの質問に、なるべく嘘をつかずに、かつ場の空気を壊さずに起こったことを伝えるには、こういう言葉が必要だっただけで。
(「ちょっとメンタル壊して入院しててさ~、ほら、うち毒親じゃん?病んじゃって。親ガチャ失敗したわ~」)
…実際、こんなギャルみたいな言い方はしませんでしたが、Twitterとかにあったことそのまま書くより「毒親だったと気づいた」とかだけひとこと書いた方が、私が実際に感じているよりも親を批判せずにすむと感じて使っていました。
読み手の判断に委ねられる表現なぶん、実際よりも軽くとってもらいやすい。
だから「ライトに批判する表現」じゃなくて「ライトにみえる表現でないと批判できない」が正しいと思っています。
親の役割は、子を健やかに育てること
かつては親は、子を産みさえすればそれで終わりでした。
昔の日本では「七歳までは神の子」とされ、七歳まで子が生き抜いたらそれだけでお赤飯炊いてお祝いしていました。七五三、ってやつです。
今よりももっと死亡率が高く、要領が悪かったり障害があったりしたら、どこかのタイミングで病気や事故、または口減らしなどの理由で淘汰されてきました。
現代は違います。
少子高齢化による働き手不足で、私のような精神障害者でもできる限り働いてもらわないと成り立たない、という社会です。
昔のように子をぽんぽん産んで生き残った子だけを育てるのではなく、
どんな個性があっても平等に、大事に育てる社会になりました。
淘汰されないぶん、丁寧に教育を施すようになりました。
そんな時代において、「これを言ったら親が傷つくかもしれない」と思わない子供が育っているわけではないと思います。
オブラートに包んで、場の空気を壊さないように、
最大限柔らかい表現で不満を伝えているんだと思うんです。
批判するのではなく、きちんと受け止める義務がある
日本の家族の8割が、コミュニケーションに問題を抱え、その後子供の精神にトラウマを残す「機能不全家族」だとする研究もあります。
8割がコミュニケーション不全だと考えると、「親ガチャ失敗した」のもそうだろうと感じます。
日本の親、高レアリティ排出率が低すぎるんですよね。
そうしたら批判すべきはそれを口にした子供ではなく、
共働き必須の給与水準にして、子供から親とのコミュニケーションの時間を奪う
子育て世代へ税金を多くかけ、親に負担と不安を与える
将来への見通しをよくしない
こうした社会を設計した旧世代ではないでしょうか。