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「頑張るとき」と「休むとき」の見極め方

大事にしている言葉があります。

今よりももっと頑固者で、「~~するべき」に押しつぶされていた私に、当時の恋人がかけてくれた言葉でした。


無理はしてもいいけど、無茶はするな

当時の私には「無理」と「無茶」の違いがわからなかったけど、彼と一緒に過ごす時間が長くなるにつれて、だんだんわかるようになってきました。

人間、気張らなきゃいけない瞬間は誰にでもある。
本来ストレスって、「火事場の馬鹿力」を出すためのもので、その瞬間に「無理」をすることで状況を打破する、とかは全然理にかなってる。

でも、「無茶」…つまり、それが常態化することであったり、火事場の馬鹿力に期待してスケジュールを組む、みたいなのは避ける。
身の丈に合った生活ができるようにプランニングする、って意味だと今は理解しています。

精神疾患由来の身体不調の厄介なところ

いくつかあると思っていて。

  1. 周りの理解が得られないところ

  2. 頻度が高くなりがちなところ

  3. 症状がバリエーション豊富なため、ひとつひとつ「ストレスが原因」と断定して対処していかないといけないところ

特に頻度。
よく「うつはこころの風邪」とかいうけど、普通の人が風邪ひくより高頻度で、ひどいときにはほぼ毎日みたいな頻度で症状が出るので、
それに対して毎回休んでいたんじゃ、この社会では確実に「仕事ができない人」になってしまう。

だからどこかに「ここまではがんばる、これ以上はちゃんと休む」っていうボーダーラインをひかなくちゃいけない。
症状がでたらとりあえず休む、だと、自分の身の回りのことが全部滞ってしまうから。

そのボーダーを引くのが私はへたくそで、「無茶」が常態化していました。

「無茶」をしはじめたときは、ちゃんと休む

今、そのボーダーをうまくひきなおせてから思うのは
日本の精神医療って、この「無茶」をしないと生きられなくなった患者を休ませるという原則のもと、まわっているんだなあ、ということ。

医師の診断書があれば、とりあえず生活には困らない状態で、3ヶ月~半年程度仕事から離れて休むことができます。
入院制度もあります。

「入院や休職はおおげさな」って思うと思うんだけど、
前述のとおり、本来ストレスって火事場の馬鹿力を出すためのもの。
常態化したら身体も心もボロボロになってしまうんですよね。
だから、ストレスホルモンが出なくなるまでは、身体の安全が保障された場所に身を置いて休むべきなんです。

ちょっとの「無理」は大丈夫。
むしろ適度なストレスは生活に張りをもたらします。

それが「無茶」になってきたら、
一度休むことを検討してみてください。


『書く習慣』内で紹介されている、1ヶ月書くチャレンジに挑戦しています。
今日はDay27 ♯誰かに言われた大切なこと について書きました。

Day16まではInstagramのハイライトから見れるので、お時間あるときに読んでもらえると、とても嬉しいです。

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