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「ごんぎつね」を読んでみる おわりに
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「ごんぎつね」のラストは、悲劇なのだろうか。
物語を読むと、ごんは死んでしまって、兵十には救いがないように思える。
しかし、作者である新見南吉は、お互いの気持ちがすれ違ったままの結末は望んでいなかったのではないだろうか。
この物語で、一番大切な一行を挙げるとするなら、『ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。』である。
なぜごんはうなずいたのか。
ここでもし、『ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、ぴくりとも動きませんでした。』となっていたら、物語のトーンはまるで変わってしまう。
ごんは孤独なアウトローである。
真面目な兵十とは正反対の立ち位置である。
そんな二人?の交わることのない気持ちが最後にぴたりと重なり合う。
生きていると、ちょっとしたボタンの掛け違いで人と人の気持ちがすれ違ってしまうことが、たまにある。
認めてくれないとわかっていても、相手を好きになってしまうこともあるだろう。
そんな人の機微を南吉は描きたかったのではないだろうか。
解答をこっそりと見るようなものだが、南吉の書いた「ごん狐」の草稿の画像がなぜか全部ネットで見られるようになっていて、それによると、『権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました。』とある。
銃を撃った兵十を恨むどころか嬉しくなったというのは、ごんの兵十に対する気持ちが通じたことの現れである。
これはハッピーエンドではないか。
そうすれば、最後の一文にある銃口から薄く立ち上る青い煙は、ごんの兵十を好きだという気持ちが昇華したものだと思える。
それが学校の国語の授業で正解とされるのかはわからないけど。
最後に、「ごんぎつね」で個人的に好きな一文は、第五章の『兵十の影法師をふみふみいきました。』です。
月明かりにできる影法師は長く伸びない。とても近い距離で兵十の背中を見上げつつ、自分に気づいてもらいたいような気づいてもらいたくないような、ごんの気持ちを想像するととてもいじらしくなる。
草稿では『兵十の影法師をふんで行きました』というやや素気ない描写だったので、こればかりは編集した鈴木三重吉を褒めないわけにはいかない。
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