[2024/11/27(水) 三角標稽古]
参加者4名
三角標の稽古では、デュオや、群舞に取り組むことが多い。人と関わって踊ることは、それぞれの生き方の癖が出てくるので、面白い反面、様々な障壁が立ち上がってくる。
自分を脱ぎ去る舞踏においては、我というものを取り去るのが望ましいが、これがなかなか難しい。というのも自分の見たくない部分も見なくてはいけないから。私は、比較的この闇を照らす作業が嫌ではない。むしろ、踊りのネタは、闇から引き摺り出してくる。
さて、私は、踊ってる時、身体を内観しているが、この内観が、どこかの身体のポイントに執着してる時があることに気づいた。それで、この時は、自分の状態としては、すっごく頑張ってる気になってるんだけど、その頑張りが、外からみると一向に伝わらず、どうも空回りしてるようだということに気づいた。
むしろ、全然意識してなかった時の方が、いいよって褒められることがあり、自分でも、なんなんだって戸惑ってしまう。でも、意識をおかないということは、私が、日々取り組んでることでもあり、なかなかできないことでもあるのだが、さらに、変態を極めて、孤独の上に立ち、人型を脱いでいこうと心に誓ったのだった。
「なんていうか、そもそも人間として踊ってるなんて、ダサくな〜い?」
いつか、そんなセリフ言ってみたい。
「ん〜、なんか、あなたの踊りって、まだ、人間くさいっていうか、人間、人間してるのよね〜。」
どこから目線?
人間の道を踏み外していくんだ、もとこさん。