最近、キャリーバッグを多く見かける理由についての考察
今回の文章は、いつも以上に私の私見が多く入っています。いろいろ間違ったこと書いてしまうかもしれませんが、どうかご容赦ください。
コロナ禍がひと段落したおかげで、キャリーバッグをごろごろした外国人の観光客らしき方々を見かけるようになりました。
現在一般的に使われている、4輪でかつ全てのキャスターが360度回転するようなキャリーバッグを見かけるようになったのは、せいぜい20年くらい前からのように思います。それ以前は、キャリーバッグと言えばR.O.Dというラノベ原作アニメに出てくる読子・リードマンが本を持ち歩くのに使っていた、2輪のスーツケースを背後に引いて運ぶようなキャリーケースでした。(下の動画参照)
というようなことを思いながら検索してみると、今のインターネットは何でも出てくるもので、なんと「キャリーバッグの歴史」をまとめている方がいらっしゃいました。
とのことで、R.O.Dの原作小説が始まった2001年には、やはり4輪のキャリーバッグはあまり一般的ではなかったようです。そして読子・リードマンが使うようなキャリーケースは、スーツケースをひもで縛る必要があり手間がかかります。また、舗装されていない道も多かったという事情もあり、キャリーケースは女性が買い物に行く際に使われることが最も多かったと記憶しています。比較的力がある男性は、ダンボール箱や魚を入れた発泡スチロール箱をそのまま運ぶようなとき以外は、キャリーケースをめったに使いませんでした。男性が多くの荷物を運ぶ際には、スーツケースを手に提げるか、ボストンバッグを肩にかけて運んでいた、または肩に荷物を載せて運んでいたのです。
※なお、リュックサックやデイパックを街中で背負うというのは、若者以外にはまだ浸透していませんでしたし、当時のリュックサックは横に広くて大荷物を持ち運ぶのは今よりも不便でした。
さらに言うと、私が子供のころには男性は出かける際に極力物をあまり持ち歩かなかったように思います。せいぜいセカンドバッグに入るくらいのもの、財布とたばことライター、鍵と免許証くらいしかもっていなかったのではないでしょうか。
当時を思い出すに、男性には遠出をする際に荷物が少ないことを誇る(または荷物が多い人を見下す)ような文化がありました。この原因としては、上述したようにキャリーバッグがまだ普及していなかったこと以外にも、
ウェブ地図がなかったので旅先で迷うことが多く、身軽に知らない街を歩き回る必要があった
カーナビが存在しないため、旅先でレンタカーを借りるハードルが高かった
バリアフリー化が不十分なため、大きな荷物を持ち運ぶことに対する体力的な負担が大きかった
交通機関が発達しておらず、移動時間が今よりも長かったため、荷物が多いとそれだけ疲労も大きかった
などの理由が考えられますが、ほかにも思い当たる節があります。
ここで全然違う話になるのですが、以前読んだ「東京漂流」という本を思い出します。
1983年に出版されたのですが、当時40歳前後の男性著者が若者文化を
と表現する場面があります。
これも完全に私の私見なのですが、1980年代には「近代化によって牙を抜かれて軟弱になった現代人の中で、男たるもの狼のように、野性をもって都市砂漠における孤独な戦いを生き残らなければならない」という美意識があったと思います。そして、「東京漂流」のこの文章はまさに、軟弱なハイティーンないしは小学生世代に対して、野性を保った大人の男が冷めた目を向けている場面なのです。
「東京漂流」以外では、当時のアニメ「シティーハンター」の主題歌はまさに「Get Wild」であり、大流行した映画のタイトルは「野性の証明」なのですが、どちらもまさに上記のような美意識が影響したものでしょう。
そして、このような野性的な男性が、たくさんの余分なものを持ち歩くのは似つかわしくありません。物をたくさん持つのは格の低い人間がやることであり、男性が多くのものに煩わされるのは野性を失う行為だという意識があったのではないでしょうか。
そして、当時の価値観がまだ残っているのが、ネット上の(一部の)登山コミュニティです。水や食料、衣類、靴、雨具、泊まりの場合はテントなど装備が厳重なほど安全率が上がります(度が過ぎる場合は例外ですが)。しかし、なぜか「xx程度の山で、○○のような重装備で来る奴は馬鹿など素人だ」というような罵詈雑言が飛び交う光景を目にすることも少なくありません。登山コミュニティはけっこう高齢男性の割合が多く、1980年代の価値観がまだ残っているのかな…と思ったりすることもあります。
というようなことを、下記のマンガ読んでてつらつら考えていました。ぱらのま、面白いですよ。