流行のおもちゃを買わないお母さん
クリスマスプレゼントの選びかた、と言う記事を書きました。
FBでシェアしたら、何人かの方から、〈【流行のアレ】でもいい〉、という部分に対してコメントを頂いたんです。「旬の物は渡したその時に目的を達成している、って思うと親の心も軽くなります」「流行り物って、すぐ興味無くしちゃうし、どうなのかなって思っていたんだけど、子どもにとっては〈その時〉だけでも魅力的なんだね!」などなど。
ん?あれ? 私が、【流行りのアレ】に対して、すごく寛大みたいになっているぞ。なんだか・・・実物よりもイイ人すぎる感じになってないか?!
えーと。〈あそびの専門家〉としては、【流行りのアレ】が欲しいって言われた時の、大人の心の持ちようとして「渡した瞬間の喜びで目的は果たしているよ」と書きました。けれど、我が子たちが、もし、前回の記事を読んだら、「そんなこと言ってるけど、流行りものなんて、プレゼントしてくれたことないじゃないかー」と抗議されそうです。
1人の母としては、できないこともあるし、偏っていることもあるし、個人的な思い入れもある。
という訳で今回は、母としての私の、【ごく個人的な話】です。偏ってます。
〈流行のおもちゃを買わないお母さん〉だった
母としての私は、子どもが育つ過程で何に触れるか、ということに関しては、たぶん、頑固です。
流行りのテレビ番組は、あまり目に触れないようにしてきました。アンパンマンは小児科の待合室でしか観たことがないし、●●レンジャーには何色がいるのか知らないと思います。キャラクターのおもちゃは、我が家には縁のないものでした。
当時の私に聞けば、「わざわざ見せなければ知らずに済むんだから、見せる必要はない」「流行のおもちゃは、欲しがらないから買わない」って言うと思います。でも、子らが観たかったテレビ番組に対して、私が〈観たいと言わせないオーラ〉を出していたかもしれません。キャラクターのおもちゃだって、本当は欲しかったのに、どうせ買ってもらえないからと、あきらめていたかもしれません。
お母さんとしての言い分も、ある
じゃあ私は、子どもの希望を無視して、親の価値観を押し付けていたのか、と言われると、そう単純なものでもないよね、と反論したい気持ちもあります。我が子にどんなものに出会ってもらいたいか、どんな風に遊び、成長していってもらいたいのか、ということを考えて、選択するのは、親として大切なことだよね、とも、思います。子どもが興味を持つんだから何でもいいじゃない?とは、言えません。そして、その選択の基準が〈みんなと一緒〉である必要もない。
私だって、子どもの意向を全く無視した訳じゃないんだけどなぁ。アンパンマンは観なかったけど、「ゆうがたクインテット」は一緒に観て、一緒に歌ったし。動物に興味を持てば動物園に行き、毎晩寝る前に『動物図鑑』を読んだし。(そこじゃない、って声が聞こえてきそうですが。)
私は、それまでの仕事を通して、キャラクターのパワーを体感していたからこそ、小さいうちから、その強力なパワーに出会うことを警戒していたんだと思います。子どもたちが本来持っている、紙とか、粘土とか、砂とか、積木とか、そういうシンプルなものから、自分で楽しいことを見つけ出し、考えて、工夫しよう、とするチカラを使って遊んで欲しかった。そこに、大人が商業的に生み出したものは、ないほうがいいと思っていました。
今になってみれば・・・
そのあたりの匙加減が、良かったのかどうかは、分かりません。あんまり大人が制限しない方がいいよ、ってアドバイスされたとしても、私には、それ以外のやり方はできなかっただろうと思うし。
とりあえず、今のところ、子どもたちは、それなりにゴキゲンに生きているように見えるので、私と子らとで認識がずれていないことを願います。もっと大人になってから、いやぁあれはやっぱり母が厳しすぎたよな、って思うのかもしれないし、母も母なりに考えていたのだな、と理解してもらえるのかもしれない。
まぁ、そうなった時に、恨み節にしても感謝にしても、それを言い合える親子関係でありたいな、と、思っています。〈他の子が遊んでいる●●が羨ましかったんだよー〉って言われて、〈あぁごめんね。母は母なりに、一生懸命考えてたんだけど、あなたには悪いことしたかしらね〉って、フラットに言い合える親子でいられたら、それでいい、かな。
子どもたちが成長した今は、彼ら自身が外の世界から見つけてきたキャラクター的なものも、すこーしずつ、彼らの身の周りのものに取り入れられています。少しずつ、ですけどね。
ムスメが今好きなものは、すみっこぐらしだそうです。