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子どもと「新しいもの」との出会い方を うまくデザインしていきたい
台紙にフェルトを貼って、模様を作る、という制作あそびをやった。フェルトは、なるべくランダムに切っておく。名前のついてない四角形とか、三角形。園の先生たちに、「なるべくランダムな形に、適当に切っておいてくださいね」とお願いしたら、時々、雲の形や、ハートも混ざっていて、見つけるとちょっと、お得な気分。
キレイな正方形や、直角三角形に切ると、まっすぐに合わせた、きれいな幾何学模様を作りたくなるし、まっすぐがずれていると、まちがっているみたいに見える。そうじゃなくて、あえてランダムだからこそ、どんな模様でもいい、ってことが伝わると思ったんだよね。
実際、1人1人、違った味わいのある作品が生まれた。8色のフェルトの中から、自分の好きな3色だけを使う人。なるべく敷き詰めて、隅から詰めて貼っていく人。重ねながら貼る人。貼りながら、「これは電車で、ここのトンネルから出てきたんだよ。こっちは富士山だよ」などと情景を思い浮かべる人。あえて1色にこだわり、同じ色だけを貼り続ける人。
1人、手の動かない子がいた。周りの子の台紙がどんどんカラフルになっていくのに、全くやろうとしない。「どしたの?」と声をかけると答えた。「手がよごれたくない。」
なるほどねー。
まぁ、色々なことを思う人がいるだろう。それだから最近の子どもは・・・とか。手を使った遊びをしていないとか、親がいつもキレイにさせ過ぎているんじゃないか、とか、ここぞとばかり批判する人もいるに違いない。
けれど、この子をここで批判しても何も解決しない。現実問題として「手がよごれたくない」のだもの。
「でも、一緒に制作しないと、●●さんの作品だけなくなっちゃうよ」などと声をかける大人がいるけれど、それも、どうかな、と思う。自分の作品がなくても、たぶん、本人は困らない。困るのは、周りの大人だけなんだと思う。
「じゃあさ」と、提案してみる。
「フェルトを、こうやって持って、ここでボンドを付けたら、手が汚れないんじゃない?」
つまりは、指を使ってボンドを塗るのではなく、すでに紙皿に出したボンドに、直接フェルトで触れて、そのまま貼ってもいいよ、と提案したのだ。
それは、まぁまぁ、悪くなかったらしい。1枚、2枚と試しに貼ってみてくれた。
「他にフェルトで足りない色とかある?」と聞くと、ちょうど同じテーブルに座っていた子どもたちは、可愛いもの好きさんばかりだったようだ。
「ハートがいい!」「むらさきのハート!」「ピンクのハート3つ!」とまぁ、賑やかなこと。
活動の目的を考えれば、あんまり具体的な形を切るのは本意ではない。時々宝探しのように、面白い形があるのはいいと思ったいたけれど、大人に頼んで切ってもらったハートをみんなが貼り始めたら、ハートがかわいいね、というだけの作品になってしまう。
でもまぁ、「手が汚れるからいやだ」と言っていた人も、みんなと一緒にハートが何枚欲しいだのリクエストしているのだから、まぁ、いいことにしておくか、とか思いながらハートを切る。何枚も。
気づいたら、さっきまで「汚れるからいや」だった子が、指でボンドを塗って、ハートを台紙に貼り付けていた。何枚も。
たぶん、ハートという魅力的なアイテムが登場したことで、「貼りたい」という気持ちが「汚れるのがいやだ」を上回ったんだと思う。
よかった。
この時、「やりたい」「楽しそう」と思えるスイッチが入ったのは、とても良かった。いつもいつも、こんな風にうまくいくとは限らない。ただ、こういう活動って「みんながやっているから、あなたもやりなさい」とか「やらなっくちゃいけないことなので、やりましょう」とか言うよりも、本人が「やりたい」って思えるように、働きかけていくことが大事なんじゃないかな、と思う。
ちょっとやってみたら楽しかったよ、とか、ちょっとやってみたらできそうだったよ、と思えることが、その子の世界を広がるきっかけになる。
結局、その「ちょっとやってみたら楽しかった」と思えるような、入りやすい入り口を作ること、できたら、色々なタイプの子どもたちがどれかに惹かれるように、入り口のネタを複数持っておくことが、大事なんだと思う。
この間の、好きに応えるネタを持っているという話とも通じるものがある。
慣れないものが苦手な子ども、慎重な子ども、気分がのらないと動かない子ども、そういう子どもたちが、「楽しいね」と思えるものに、もっともっと出会えるように、子どもと「新しいもの」との出会い方を、色々考えていきたいなぁ、と思う。