公立小学校の英語の授業のこと
親が小学校の授業を見学に行ける時間のこと、最近は「授業参観」ではなくて「学校公開」って呼ぶんですよね。それで、期間中(2日くらい)いつ行ってもいいことになっている。その期間の時間割も教えてくれるので、気になる授業を選んで観ることができます。
英語の授業は、どんな風にやっているのか興味があったので、何度か観に行きました。
2020年度より、5,6年生は「教科」として、3,4年生は「外国語活動」として、英語の授業が位置付けられています。私が見学したのは「外国語活動」です。
英語の授業は、専任の先生が担当していました。ネイティブの先生、日本人の先生、どちらの場合も見学しましたが、授業内容は大きく変わらないようでした。学校や地域によって違うと思います。
授業は、「英語に親しむ」ことを大切にされていることが伝わってきます。クイズ、歌、手遊びなど、英語を使う活動を工夫して準備されていました。
ただ、子どもたちが、活動を楽しんでいるようには、あまり感じられなかったのです。理由はすぐに分かりました。英語力と理解力とのギャップが大きいのです。
先生方は、子どもたちの英語力に合わせたアクティビティを用意してきています。例えば、複数の生き物のシルエットを黒板に貼り、「何の動物でしょうか?」と聞きます。子どもたちは、それに対して、覚えたばかりの英単語で答えます。
英語力的には、Giraffeとか、Sheepとか、それくらいの単語が言えるくらいなので、それに合わせた難易度のクイズになります。アメリカの子どもで言えば、3歳くらいの英語力かもしれません。
でも、彼らは4年生です。4年生の理解力があり、4年生の知識があり、4年生ならではの恥ずかしさもある。生き物のシルエットを見て、何の動物かあてるのなんて簡単だし、それに対して「Fantastick!!」って大げさに褒められても、かえって白けてしまうことでしょう。
クイズに限らず、ジェスチャー付きの歌とか、役割を示すための被り物とか、どれも、ちょっと恥ずかしそうでした。
4年生の感性で、3歳くらいの子どもたち向けのアクティビティを行うので、楽しさよりも恥ずかしさとか、「なんでこんなことを・・・」みたいな気持ちが先に出てしまうのも仕方のないことだと思うのです。
このままでは、先生も、小学生も、満足できないだろうなぁ、って感じてしまいました。彼らの英語力に合わせて、それでいて、手ごたえのある活動があれば、きっと楽しめると思うんですけどね。3,4年生以上の子どもたちに対して提供する「楽しさ」は、ゲーム的なものだけでは不十分なのかもしれません。知っていることが現実と結びつくとか、知識を得るとか。「英語に親しみを持つ」ために何ができるのか、もっと考えられそうです。
そして、こんな風に英語に触れてきた子どもたちなのに、中学校にあがると、1学期の最初はアルファベットを書く練習をするところから始まるのです。小学校の頃にすでに英語に触れてきているんじゃないのか?と驚きます。
そう考えると、公立小学校での英語、何のためにやっているんだったかしら?と疑問を持ちます。「外国語学習」という言葉通り、日本以外の言語に興味関心を広げることが目的なんだとしたら、もっともっと色々な言語を扱えばいいのに。10の言語の挨拶を比べてみる、とか。5の言語全部で1から10まで言う、とか。日本以外の国にルーツを持つクラスメイトの出身地で話されている言葉を知る、とか。
世界中には、日本語以外の言葉を使っている人がいること。言語ごとに特徴があること。言語はその国の文化や歴史を反映していること。そして何より、どの民族にとっても言語は「自分らしさ」を創るものであり尊重する必要があることなど、子どもたちが感じられることは、もっともっとあるはずなのに。
当たり前ですが、英語だけが外国語ではない。小学生にとって大切なことは、英単語を何個知っているかということよりも、世界は広くて自分たちとは違う文化や言葉を持つ人たちがいると知っていることだと、私は思うのです。
外国語学習、あるいは、英語という教科を学ぶことによって、子どもたちは何に気づくのか。大人たちは、子どもに何を感じてもらいたいと思うのか。その目的のところを、整理することが必要なんじゃないかな。
明日に続きます。