中高生のスマホ依存 って そんなに悪いことかな
子どもたち、特に中高生のスマホ依存をどうするか、というタイトルの、ちょっとしたニュースを観た。ニュース番組の中の10分くらいのプチ特集。
スマホ依存、と呼ばれ、それが問題であると言われている。特に中高生は、やり玉にあげられやすい。1日に何時間以上だか、ずっとスマホをいじっているのが、問題なのだと言う。
私も基本的には、「リアルな体験や、自分の身体を使った体験は、デジタルでは得られない魅力があるよ」と伝えたい派なので、スマホ依存が問題だよね、と言いたい気持ちは分かる。
でもね。
スマホは道具でしかない。
ずっとスマホをいじっている人たちが何をしているのか、もう少し目を向けてもいいんじゃないか。
私たちが中高生の頃は、何に時間を費やしていただろう。
友達との長電話。好きな音楽を聴く。話題のテレビを観る。トレンディドラマ最盛期だった。好きなアーティストの出演する音楽番組を欠かさず観る人もいた。深夜のラジオ。マンガを読む。ライトノベルって言うマンガをそのまま文字にしたような少女小説も流行っていたなぁ。テレビゲームをしていた人もいたかもしれない。
30年前は、それぞれ違う道具を使う必要があったけれど、今は、全部「スマホ」でできる。長電話がLINE通話になったり、テレビがYouTubeになったりしただけ。
まだスマホがなかった時代に私達が時間を費やしたことと、今の中高生がスマホを使ってやっていることは、大きくは変わらないんだよね。
もちろん、視力や姿勢などの健康上の課題はある。
電子書籍で本を読むのと、紙の本を読むのでは、脳に与える刺激が全然違う、と言う人もいる。
テレビゲームやYouTubeには中毒性があるし、昔のテレビのように家族との兼ね合いがない分、使い放題になってしまい、適度な時間でやめることが難しいのも確か。
でも、スマホけしからん、って言う前に、中高生が何のためにスマホを使うのかに、興味を持ってもいいんじゃないかな、って思う。
中高生くらいの時って、子どもから大人になろうとする過程の中で、自分という存在をものすごく意識する時期だった。ある日は自分のスゴさを誰も気づいてくれないって気持ちになったし、ある日は自分のできないところばかりが目について未来に希望が持てなった。
自分への不安と期待が同時に強くなる中で、自分が他者からどう思われているのか、特に、友達からどう思われているのかが気になる時期でもある。
人と連絡を取ったり繋がっていないと不安になったり、人と関わることが急に煩わしくなったり、嫌われていないかと様子をうかがったりする。時には、誰かとの共感を得たくて、他の誰かをわざと悪く言ってしまうこともある。
彼らにとって「スマホでできること」は、安心も不安も、どちらも与えてくれるんだと思う。だから、手放せない。デジタルだから手放せないというよりも、自分が他者と繋がるための窓だから、ずっと手元にないとこわいんじゃないかなぁ。
それだって、私の勝手な想像に過ぎないけれどね。
でも、大人たちも、みんな、思春期を経験して今があるはず。
中高生と向き合う時には、あの、自分への自信と失望をギリギリのバランスで保っていた思春期を、少ーしだけでも思い出したらいいと思うんだ。
私たち大人にとって、自分の経験していないことに、子どもが夢中になっている姿は、不安だ。「良くない影響」についても多く語られている。でも、「大人たちが経験しなかった新しいツール」を通して得たいものは、今も昔も、ずっと通じるものがあるんじゃないかな、と思う。
「やめさせる」ありきではなくて、どうしたら適度な良い付き合い方ができるものか、というくらいの気持ちで、向き合っていきたいな、と思うのだ。