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「きまり」は堅苦しくて意味がない、って決めつけすぎていませんか?

「きまり」(あるいは「ルール」)について話をすると、「意味も必要性もないのに、行動を縛る面倒なもの」というニュアンスで語られることが多い。校則なんて、その最たるもの。
あるいは、「自動車の法定速度は決まっているけれど、厳密に守っている人なんていない」とか、「未成年飲酒はダメだというけれど、家の中で親が見ていて、ちょっとくらい飲んで何が悪いんだ?」とか、「決まりを守ることばかり大切にすると、本質を見失う」とか、なんだか「きまり」なんて従わなくていいんだよ、という言説も、よく耳にする。
なんだか、「きまりを守ることはアタマが固い人がすることで、きまりなんかに縛られずに自分の行動を決められる方がかっこいい」って、思っていませんか?みなさん?

『としょかんライオン』という絵本があります。
(以下、絵本の内容を含みます。)

ある日、突然、としょかんに表れたライオン。館長のメリウェザーさんは、「図書館のきまりを守れるのなら、誰でも図書館を利用して構わない。もちろんライオンでも。」という見解を示し、ライオンは毎日図書館に通うようになります。
そんなある日、メリウェザーさんの緊急事態に立ちあったライオンは、それを図書館スタッフに知らせるために、「図書館のきまり」では禁じられている手段を取るのです。
きまりを守れなかったライオンは、自ら図書館を後にし、それから、図書館を訪れることがなくなります。けれども、物語の冒頭ではライオンの来館を快く思っていなかった図書館スタッフがライオンを探し、声をかけるのです。「きまりを破ってはいけない、ただし、どうしようもない事情の時は別」だと。そしてライオンが戻ってくる、そういう話です。

このお話しの一般的な評論や感想を見ると、「きまりを守るよりも、もっと大切なことがある」というニュアンスのコメントがやけに多い。館長さんはきまりを守ることを何より大切にしていたけれど、でも本当は、きまりよりも大切なことがあった(それは、ライオンの優しさや、ライオンの友情だった)と書かれているものが多いのです。

もちろん、感想だから、誰が、どんなに受け取ってもいいんです。

ただ、私は違う感想を持ちました。ライオンは、むしろ、「きまり」によって守られていたんだと感じたのです。
身体も大きいし、人間が理解できる言葉を発しないし、爪や牙を持っているライオンが図書館に来た時、スタッフは厄介者が来た、と思ったんじゃないかな。でも、館長さんはそうじゃなかった。彼女はきっと、「図書館で過ごしたい人は、誰でも、図書館に来てもらいたい。そして、誰でも心地よくすごしてもらいたい」って考えていたと思うんです。

そして、そのために「きまり」がある。だから、「きまり」を大切にしていたんじゃないかと。

図書館の決まりは、「静かにすること」と「走らないこと」。そして、そのきまりを守れる人なら、誰でも図書館に来ていいんです。図書館に来てはいけないのは、きまりを守れない人です。ライオンが図書館に通うことができたのは、きまりがあったからです。ライオンは、きまりに守られていた、と、私は受け取りました。

どんな「きまり」も、何かの目的のためにあります。その「何か」を見失わなければ、「きまり」の運用が著しく迷走することはないはずです。『としょかんライオン』の最後の場面も、私は「やさしさが、きまりに勝った」とは受け取りませんでした。「誰もが図書館で心地よく過ごす」というきまりの目的と照らし合わせた時に、館長さんの危機を伝えようとしたライオンの行動は、何ら間違ってはいなかった、それだけのことです。

冒頭の「きまり」の話に戻ります。私たち、ついつい、「何を守るのか」にばかり意識が向きすぎて「なぜ守るのか」を忘れがちなんじゃないか。例えば「校則」には意味がないんじゃなくって、何を目的にしているのかを見失って表面的なルールに終始しているから、意味がないと感じるんじゃないかな。

「きまり」には罪はない。「きまり」は、本来、私たちを守ってくれるためにあるものだと思います。だから、「きまりに縛られるのはカッコ悪い。きまりをやぶってでも、自分の信念を貫く方がカッコイイ」なんて、昭和の高校生みたいなことを言っていないで、その「きまり」が、そもそも何のためにあるのかを考えたほうがいい。もしその「きまり」が堅苦しくて、誰かの行動を縛るものだとしたら、目的に適う形に整えていく方がいいと思うんですよね。

「きまり」というだけで、行動を制限するもの、と決めつけない方がいい。本来は自分たちの「何か」を守るもの、そういう気持ちで見直してみると、また受け止め方が変わるんじゃないかなぁ。

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