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〈量〉を増やすことで 自ずと〈質〉も上がっていく

娘が作文の宿題をやっていました。
どうやら、書いても書いても規定の量に達しないらしくて、苦戦していました。
見かねて、声をかけることにしました。
「それはさぁ、感想を書け、って言われて、感想だけ書いていても、埋まらない文章量なんでしょう?」
「それで、もう書くネタがつきてるんじゃない?」
「じゃあ、たぶんさ、ただ、感想だけ書くんじゃなくて、もう一段発展させた内容も加えて書かないと、どうにも、たどりつかないんじゃないかな」

その後、どんな風にして残りの文章を埋めたのかは知りませんが、どうにかこうにか、提出できるくらいの量までは書き連ねたようです。

これは、ありだな、と思いました。
「●●について感想を書きましょう」と、小さな紙を渡されれば、「感想」だけ書いて終わります。でもそれが、A3の紙1枚だったら、「感想」だけでは埋まらないかもしれない。じゃあ、何を書けばいいのか。そこから派生させて、自分なりの解釈を書く。決意を書く。決意を実現するための具体的な計画を書く・・・とまぁ、何とかして文章を増やすために、あれこれと考えて、それを無理やりにでも言葉にする、という作業が発生します。
言葉にするうちに、自分でも自覚していなかったことに気づいたり、新しい考えが湧いてきたりするかもしれません。

そこに至るには、やはりある程度の「量」が必要なんだと思うのです。たくさん書かなくてはいけないから、普段は考えていないところにまで自ずと想いを広げていく。

「いやいや、長いだけの文章は冗長なんじゃないのか。言いたいことが、もっとコンパクトにまとまっている方がいいよね」と思う人もいるかもしれません。でも、「言いたいことがコンパクトにまとまった文章」は、誰もが最初から書けるわけではありません。そのためには訓練が必要で、その訓練の1つが、たくさん書くことだと思うんです。たくさん書いて、その中から自分が本当に気に入ったものを選ぶうちに、「言いたいことをコンパクトに(そして自分らしく)まとめられる」ようになるのだと思います。

計算や漢字など、反復練習が必要なことを、たくさんたくさん練習する、というのは、最近はあまり好まれないみたいです。タブレット教材とかを使って、〈無理なく、効率的に〉学べるようになったとか?
だけど、どうだろう?私は、何かを効率よく身に付ける学び方よりも、繰り返し繰り返し、量をこなすことで、自分が感覚的に体得していくような学び方が、好きです。時代遅れでもいい。

量は質を凌駕する、と言うそうです。
量を重ねるうちに、自ずと質も上がっていく。
だから、最初から、無駄なく最小限で目的を達成しなくてもいいと思うんです。最初は無駄に感じるかもしれないけれど、たくさん量をこなして、何度も経験を重ねるうちに、その経験値が自分の経験となって、そのうちに、質も上がっていくと思うんですよね。

無駄を恐れず、地道に量を重ねられる人が、質の高さも手に入れるんじゃないかな、実感として、そう思っています。

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