三浦梅園の経済論 〜生誕300年〜
今年2023年は三浦梅園生誕300年の記念すべき年になる。大分県国東半島の思想家、三浦梅園は自然哲学者として有名だが、経済に関する書物も書き残している。『價原』という本がそれである。『價原』はお金の本質とは何か、価値の本質とは何か、に鋭く迫って考察している名著であるが、現代ではほとんど読まれていないのをもったいなく感じる。
梅園が語るお金の本質
梅園『價原』に曰く、
と。
つまり、「お金」は小さいが故に、そこに価値を載せて運ぶことができるが価値そのものではない、と。お金を着て寒さをしのいだり、お金を食べて飢えをしのぐことはできない。
しかし人々の意識は「米粟布帛」ではなく「お金」の方に向かっていた。江戸中期、貨幣経済が発達してきた背景がある。人々が価値の本質を見失い「お金」にばかり意識が行っている時代状況に梅園は危機感を持っていた。
梅園の「島」
梅園の「島」がある。梅園がその経済思想をわかりやすく説くために拵えた架空の島だ。
お金が入ってくる前、その島には“すべて”があった。米も粟も布も魚も塩もすべてが事足りていた。このすべてが足りている島に一万円を投入すると島の用は一万円で足りるようになる。これを十万円にすれば島全体は十万円と釣り合いが取れてしまって、もう一万円では足りなくなる。
簡潔でわかりやすい説明だ。お金がない社会など現代人には考えられないだろう。だが梅園は固定観念を排除し、根底から価値の深源を問うていく。
社会にお金が多いことにより「多債」「困窮」という弊害が出る。そして、「金銀にだに富る人は無藝無能にても不禮不徳にても上下に渇仰せらるれば最興じ難きは廉耻の風なり」という弊害も出てくる。この弊は現代まで続いているではないか。
国民が困窮する仕組み
国民にお金が足りていないのなら貸せばよいという話でもない。
「お金を貸す」行為によって国は貧しくなり、最終的には国民が困窮する仕組みを梅園は語る。梅園が生きた18世紀の日本は、商人の擡頭により相対的に武家の優位性が脅かされてきた時代でもあった。17世紀まではまだ武家が一番強いという意識があったが、18世紀にはもう金のない武家よりも金持ちの商人のほうが強いという意識が人々の中にあっただろう。
為政者の責任を問う
では、困窮していた国民を救うのは誰なのか。梅園はそれは為政者であると言う。政府、当時で言えば幕府だ。権柄を執る者が状況を良くすることができる。梅園の批判の矛先は国民ではなく権力を持つ者へと向かう。
ここでは批判の論調は抑え気味ではあるが、その矛先はしっかりと為政者に向いている。そして「噫昔は天下國家を有するをこそ富貴とは申し侍れ」と歎息する。
商売と経済の違い
では、為政者はどうすればよかったのか。梅園は「商売」と「経済」の違いを説く。商売の論理と経済の論理は違うのであって、商売はあくまでも商人が行うもの、国が行うのは商売ではなく経済である。
現代における梅園経済思想の意義
『價原』は今から250年近く前に書かれた本だが、現代でもなお大きな意義を持つと思う。国は貧しい人からお金を収奪し、国をもっと強くしなければと言う。しかしそれは梅園に言わせれば商売人の論理であって、国は商賈の論理で動いてはいけない。日本の社会は戦後、資本主義化が進むにつれて、ますますお金のパワーゲームの様相を呈してきた。その濫觴で梅園は気づいていた。「財貨控掣の權已に商賈に屬す」と。そこにいち早く気づいていたからこそ、梅園はおそらく強い危機感をもって「商」を既倒に廻らしたかったのではないか。「むかし亂世武猛の俗も今は昇平游惰の民となれり。是に由て思へば今たとひ權金銀に歸したりとも大有力をして衡を持せしめば終に其錘を移し人儉勤に復り廉耻禮讓の風興るもなどか難からん」という言葉にその強い思いを見る。為政者が“正しく”政策を行えば国民を困窮から救うことは不可能なことではない。しかし為政者としての正しい政策を行わず、商売人の論理に流されていくだけの政治家を「輕重に從つて權を移す人は其病根をしるにあり。もし其本に本づかず唯金銀を增減して其平を持せんとならば懸る者の重きを見て錘を重くし輕きを見て錘を輕くするの道にして無術と謂つべし」と厳しく批判する。
「權」の思想
『價原』の中で何度も繰り返し「權」が出てくるのが印象的だ。「なるようになる」或は「なるようにしかならない」と“自然”に身を任せるような考え方を好む日本人の中にあって、きちんと「權」を語ることができる思想家は貴重である。「今や昇平の世の中にして唯苦しむことは金銀なれば上下をしなべて唯一心専念金銀にあり。ここに於て其形はさまざまかはれども心は何れか乾沒に在らざらん」と言った梅園の嘆きはその後250年間、現代まで続いている。お金に振り回されるのではなく「控掣の權」を掌中に取り戻す。これはできないことではない。
本当の価値とは何か ー根本を問う梅園の経済思想ー
梅園の経済思想の特徴というか魅力は、なんと言っても“根本を問う”ところにある。『價原』というタイトルがすでに「本当の価値とは何か」という意味だ。250年も歩んできて、今さら「お金とは何か」と根源から問い直すのは、現代人にとっては難しくなっているかもしれない。お金が無い島など想像することも難しいだろう。梅園もお金を完全に無くせと言っているわけではない。
「やりよう」はあるものだ。そして、現代の私たちは「天下の至寶は六府に過ざる事を察すべし」という梅園の言葉を今一度よくよく噛み締めるときではないか。
※文中引用は、梅園会編『梅園全集 上巻』弘道館 大正1年 カタカナをすべてひらがなに改めた。旧字体などPCで出てこない漢字は一部改めた。