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時は銀色にかがやく

腕時計が止まった。

昨晩自宅にもどり玄関の定位置に時計をはずして置いたのが6時で、今朝外出しようと腕にはめたときも6時を指していた。

家についてふうとひと段落ついた安心感でそのまま止まってしまったのか、深い夜のあいだ時を刻みながらようやく迎えた朝を前にパタリと力尽きてしまったのか、は誰も知り得ない。

わかっているのは、その時計が6時を知らせていることだけだ。



この時計との付き合いは長い。

高校を卒業して、大学へ進学するころ母が買い与えてくれた。決して高価なものではないし、その場の気分で選んだので今でもすごく気に入っているというわけでもない。

壊れなかったし無くさなかったからという理由だけで、10数年あまり生活をともにしている。

ほかに惹かれる出会いもあったとは思う。それでも左の手首にそれをつけ続けているのは、きっと私の意地みたいなもの。



「その時計どこの?」

人数合わせで参加した合コンで、私の手首のひかるものを指して、目の前に座る男がそう尋ねた。

よそよそしかった場の空気がほどよくあたたまり賑わいをなしていたころ、誰も真剣にその質問を聞いてはいなかった。

通っていた大学は裕福でいわゆる実家の太い子の比率が高いことで有名だった。初対面で何も知らない男はそこに所属しているというだけで「お金持ち」というフィルターを通してその場にいる女性を、私をみていた。

へんぴな田舎娘が都会のセレブな小宇宙にうっかり迷い込んでしまったツケがこれなのだろうか。たったひとことで、身につけているものすべてを品定めされているような居心地の悪さに追いやられる。

その男にしてみれば、挨拶がわりの、なんの意味も持たない発言だったのだろう。または彼なりの会話を繋ぐ気遣いだったかもしれない。

そう頭でわかってはいても、「あんたに関係ないでしょ」と言ってやりたいきもちは湧いてくるのに、私はケラケラと笑いながら、あたかも「その一員」を演じて当たりさわりのない質問を空気に流した。



学校の子たちは、こぞってハイブランドのバッグを右腕にぴたりと抱え、背筋を伸ばしてカツカツとヒールの音を響かせながら自身の存在をアピールしていた。

その姿はまるで高校生の制服にも見えて、みんなと同じものを持っていれば安心と心に掲げている彼女たちをダサい奴らと思った。

その感情は確かにあったのに、意に反して左手首にあったその時計をぎゅっと上にあげ、セーターの袖で見えないようにした。


ブランドものじゃないことが恥ずかしかったかどうかは今となってはわからない。

ただ、欲しいものをあらかた手にいれ、海外旅行や交換留学に惜しみない援助をうけ飛びたつ彼女らを横目に、「かわいそう」などと思われてたまるか、という意地は少なからずあった。



「時計おそろいにしない?」

クリスマスがまもなく迫る時期、当時付き合っていた彼氏がそう言った。「いいよ」と応えつつ、内心「イヤだな」と思った。

動く時計がすでにあるし、わざわざお揃いにしなくても私たちがカップルであることに変わりはないのに。

それに、彼はきっとブランドものを欲しがるのだろうと思うと、それも億劫で、これからやってくるクリスマスも彼との未来も、何もかもがイヤになった。

気に入っているわけじゃない。
けれど私はこのなんでもない時計をつけていたかった。



止まった時計を見ながら、過去を思い出す。

群れることがイヤだと言いながらも群れないことに不安を感じていたこと、イヤだと思いながら「いいよ」と言ってケラケラしてしまう自分のことを。


Googleマップに「時計 電池交換」と検索に入れ、いちばん家から近い時計屋に向かう。

「電池交換をお願いしたいです」

「かしこまりました」と笑顔を振りまくお姉さんと店内を見渡す。壁一面にわかりやすく陳列されている高級時計といくつも目があう。


貰いものの真珠のピアスを耳につけて年相応を身にまとい、なんでもない腕時計をカバンから取り出して手渡す。

もう引け目を感じはしない。もう10年以上、生活を共にしている。この時計は私の装いで、私の一部なのだ。


そう振る舞えたとき、
銀色のそれが、まわりの光を集めてひときわ輝いているように見えた。



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