【働きだして1ヶ月】 シゴトの意義を考える。
専業主婦から、会社に勤めだして1ヶ月がたつ。
暑い朝から肌寒い朝へと季節が移りかわろうとしており、ときの流れを実感している。
新しい環境に身を置くと「初めて聞いた」や「え?どういうこと??」がいっぱいある。30歳を過ぎても、わからないはまだまだ尽きない。
入社前に気にしていた通勤時間(家から職場まで1時間弱かかる)は、通勤ラッシュを避けられるうえに、乗り換えが少ないので、快適な朝の読書時間となっている。
というわけで、
出勤から帰宅まで、新鮮な気持ちで過ごしている。
のだが…
何かが引っ掛かる。
いや、何かが不足している、と言ったほうが正しいかもしれない。
私は自身をマルチ・ポテンシャライト的な人間だと認識している。
好奇心旺盛でフットワークが軽いことが長所であり、短所でもある。迫力が凄すぎて、当本人が引いてしまうほどの勢いを備えている。
プラスになることは多いが、心身共にどっと疲れることもしばしば。
この現象に付きものなのは、慣れてくると「足りない」感情が芽生えてくること。
その「不足」とどう向き合うか。
今日は、その問題と向き合っていきたい。
・
先に述べておくが、今の仕事を「つまらない」とは決して思っていない。
「飽きてきた」ということもない。そんなことは滅相もない。
与えられたデスク環境は、広いテーブルに集中できるプライベートな空間。おかげさまで、思う存分眉間に皺を寄せながら、耳と頭からは煙、口からは泡を吹かせて、せっせとパソコンに向かっている。(経験フィールド外のことが多過ぎるあまり…)
が、その状況すら、ありがたいと思う。
では、どうして足りないのか…
と考えていたところ。
とある方のセリフを思い出した。
「俺は、ここ(職場)にメシ食べるのが楽しみで来てるんや!」
え?なんの話??である。
メシなら、職場近くで美味しいところをいくつか見つけたし、行ってみたい場所はブックマーク済みだ。
だが、それは気分転換(=腰痛にならないためのウォーキング)であって、本質の話ではない。
少し、当時のことをふりかえってみる。
6年ほど前、私は京都にある営業所で設計補助として働いていた。
営業、設計、経理のメンバーがこじんまりとしたワンフロアに集まり、それぞれの島の上座には上司のデスクがある、よくある古風な職場だった。
だが、大きく違っていたことがあって…
経理担当のお姉さんを筆頭に、設計次長のおしゃべりがやまないとまらない。続いて、歯切れの良い経理課長のツッコミが毒ましましで滑り込む。かと思えば、テンションと意識高めな所長の発声練習が突如として始まる。
そう、ここは人間動物園だったのだ。🦁🐨🐸
ここまでお祭り騒ぎだと、業務に支障が…と思われるかもしれない。
だが、そこに居合わせる方々のセンスが凄まじく、こちらのテンションとひらめきも比例してメキメキと向上し、仕事に良い影響を成していた。
どうやら、笑いというのは、業務にもプラスに働く、らしいのだ。
にぎやかなお偉いさん方々は、いつも決まって一緒にお昼に出かける。
12時になれば、颯爽と事務所をあとにする。
お目当ての店に、大のおじさん3人組がるんるん気分でランチに向かうのである。
その姿はなんともおかしくて、シュールで、愛おしかった。
私が勤めだして1年半が経った頃、
総務課長の転勤が知らさせた。
自宅からほど近い場所。”良い”転勤のように思えた。
なにしろ、課長は当時、自宅から営業所までかなりの時間をかけて車通勤をしていた。側から見たら、単身赴任するレベルの距離感なのだが、本人的には家から通うほうが楽だったらしい。
その過酷な通勤生活にようやくおさらば、かと思えた。
だが、課長は
「俺は、あんな綺麗な場所じゃなくて、ここみたいな小汚い場所がいいんや!」
と言った。
綺麗な場所とは、転勤先のこと。
駅から直結したズドーンとした存在感の、おしゃれ感ダダ漏れの高層ビル。
エレベーターに登って向かうと、キラキラしたオフィススペースに、窓から見える眺望はひらけており、どこか地に足がつく安定感があった。
一方、小汚い場所とは、元勤務地(京都の営業所)のこと。
こじんまりとした2階建てで、職務室はお世辞にも綺麗とは言えない、書類の山がいつ崩壊して敷地争いになるかわからない、不安定さが充満していた。
どう考えたって、前者のほうが魅力的に思える。
だが、課長は、今のままがいいと言った。
通勤のために早朝5時に家を出て、小汚い場所で業務につく生活がいい、と。
そして、このメンバーのままがいい、と。
駄々をこねていた課長も、歴としたベテランリーマン。
時がこれば、あっさりと転勤先に移っていかれた。
その後、直属の上司だった設計次長も転勤となり、所長の異動もつづく。
さらにその後、派遣社員だった私はコロナによる契約満了で営業所を去り、楽しくお話していた営業の方々や仲の良かった先輩は異業種へと転職をされていった。
仕事において、人間関係は大切だ。
頼りになる上司がいればありがたいし、気兼ねなく相談できる先輩がいれば心強い。それに、好きを分かち合える同僚がいれば生活がより豊かになる。
だが、人間関係は流動的でもある。
誰かが辞めたり、自分が環境を変えたいと思ったり変わっていくこともある。上司が代われば、職場の雰囲気ががらっと変わることだってある。
それでも、
ちょっとだけ”あったらいいな”を期待する。
「俺は、ここ(職場)にメシ食べるのが楽しみで来てるんや!」
と言った課長のように、
メシを共にできる愉快な仲間たちがいれば、その時間がもっと楽しみになるから。
・
新しい環境になって、もう1ヶ月。
優秀でやさしい方々に囲まれながら、集中できる職場環境に身を置けている。やりたかったような案件もできているし、わからないことがあれば教えてくれる人もいる。
私は恵まれている、のだと思う。
けれど、
そこに「不足」の感情を抱いてしまう理由。
それは、”あったらいいな“を求めていたから。
ばっと不意打ちでやってくる無茶振り。
ぐっと掴まれるような巧みなセリフ返し。
どかーんと明るくなるような笑いの瞬間。
ぜんぶぜんぶ。
かつての時間が、どうしても好しくなるのだ。
だが、いい大人になった私は知ってもいる。
ひとつのことですべてを満たすことはできない。
業務内容、雇用形態、給料、福利厚生、職場環境、人間関係…
譲れない何かを満たしたら、あとは運任せ。ついてきたらラッキーくらいに構えていたい。
(すべてを満たすこともあるかもしれないが…)
新しい環境になって、まだ1ヶ月。
ゆっくりと、仕事の意義を見つけていきたい。
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