取捨と選択のはざまで。
先日、Kindle Unlimitedを解約した。
積読の本があまりにも山積みで、まだまだ新しく家に迎えたい本もあるのに、Kindle本まで手が回らない、と思ったから。
えいっ!
と勢いに任せて、解約ボタンを押したのだ。
よくやったぞ自分。ちゃんと取捨選択をしたぞ。
これで、手持ちの本に時間を割けるぞ、と意気込んでいた。
確かに、読みかけの本に集中しているな、と実感できる瞬間はあった。
だが、どこか物足りない。
小説は今いいところで、続きが気になるのに、心が今はこれじゃなくて…と言っているような気がした。
いやいやいや、もう数日たてばなれるだろう。もう少し様子を見てみよう。
……
…
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だめだ!!!Kindle本が読みたい!
解約して1週間。改めましてよろしくね、と再ダウンロードしたKindleアプリ。
新たな気持ちで、ラインナップを眺める。あれもこれも面白そう…色とりどりで、エッセイ本から雑誌、漫画、まで揃っている。
こんなにもワクワクするのに、どうしてわざわざ退会したのか。
この豊富さに、おなかがいっぱいになってしまった。
これに尽きる。
本屋でも図書館でも同じことなのに、どうしてもKindle本だけは重荷になってしまう。それは、紙かデジタルかの違い、だけのこと。
紙の本であれば、いくつも買うとお金がかかるのはもちろん、堆積をとる。借りる本だって、返却期限があるから、読める分だけを選別したい。
けれど、デジタルであればその感覚が麻痺する。読み放題の上限までいっぱいに本をかき集め、読まなくては…と自分を追い込んでしまう。
まだまだ気になる本もあるかも、と思うと、あわてて読み進めてしまう自分がいる。どうしてこうも自分がセーブできないんだろう、と情けなくなるくらい。
解約すればいい!それで解決だ。
と思っていた。
だが、これは根本的な解決には至っていなかったらしい。
情報にあふれる社会が悪い、だからそれを遮断する、あからさまな行動をとってしまっていたが、
Kindleに並ぶラインナップを眺めながら、思う。
「この子たちは悪くない」と。
悪い、良いの話ではもちろんなくて。
必要なのは、自分で”選ぶ”こと。
解約するかしないか、買う買わない、も含めて、
必要なものだと求めるのなら、手に入れる。
過度に摂取せずに、ぼちぼちと向き合う。
ぐっとのめり込んでしまいそうな時は、意思を持って”選ぶ”。
今日はこのくらいにしとこうかな。
明日の楽しみにとっておこう、と。
アナログ と デジタル。
どっちが好み、は人それぞれあるだろう。
時と場合にもよるのかもしれない。
私は、どっちも、選ぶことにした。
よくばりだけれども、どちらも捨てがたいから。
必要なのは、ちょうど良い距離感で、長い目で、付き合っていくことなのだろう。