母親という病。
「普通に育ってほしい。」
母親の口癖だった。
”普通”の人生から外れてしまった母が、私にかけた呪い。
普通にまっとうに生きていれば、母は荒れない。
普通以下のことをすれば、聞く耳持たずで、手が出る。
普通以上のことをすれば、「お母さんに似たね。」と、手柄を横取りされる。
面倒くさい、ただそれだけ。
母が荒れないように、空気を読む。先を読む。普通に徹する。台本通りに動く。そう役を演じていた。
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母は、結婚を機に”普通”から外れてしまった。母の両親は、ふたりの結婚を反対していた。父の”普通”じゃないを感じ取っていたから。容姿端麗な父に母は盲目状態、時はすでに遅し。駆け落ちするように、父と一緒になった。
結婚後、父は働かなくなった。専門職の母のお金に漬け込んで、「母が働けばいい。」そうよく言っていた。家があるのだから、ありがたく思えと(家は祖父が建てたもの)。
「父に騙された。」「お母さんはかわいそう。」だと、母は言っていた。
同情する気持ち、もある。
若くして結婚を選んだから、判断を誤ることもあるだろう。
一方で、騙される方が悪いとも思う。世の中には、美味しそうで楽しそうなことだらけ。そこから選択するのは自分自身。誰のせいでもない、己の行いのせい。
母は働きどおしで、心にもお金にも余裕がなかった。不在はいつものことだったし、母がいなくても私の生活は成り立っていた。友人や同居する祖父母の存在で心は補われていた。
たまに居る母。
子どもの判断基準は、数字と結果。それに伴わなければ、罰を受ける。私はただ無心で、するっと罰から逃れる。姉は、正面から立ち向かう。母と姉は、互いにヒステリックになって、夜通し叫んで力いっぱい傷つけあっていた。わかってほしい、母に受け入れてほしい姉。それは痛いくらいわかる。私は傷を負いたくないので、母と向き合わない。それが身のためだと思っていた。
何年経っても、消えない傷が、姉の手にあった。
それを見るたびに、あの光景が蘇った。その傷と共に生きる姉は、もっと辛かっただろう。
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母は、3年ほど前にようやく父と離婚をした。
その頃には、私が実家を出て10年の月日が経っていた。
「あんたたちのために離婚しない。」
私も姉も実家に戻ったりなんかしないのに。押し付けがましく、”子どものため”と唱える。いいかげん、勘弁してよ。
文句を言い続けて、なんのために母はあの家に居続けたのだろう。
母は、言う。
「意地になっていた。」と。
父と駆け落ちをして、うまくいかず。それでも、子どもをふたり授かった。生活に限界を感じ、何度も母の両親に、「離婚して、実家に戻って子育てをしたい。」と志願したが、受け入れてもらえなかった。父に離婚を申し出ても、案の定「何を言っているんだ。」と突き返される。こうして、母は逃げられないと悟った。そこに、”意地”が生まれたのだろう。
私のかつての家族は離散している。
母とのみ、今は連絡を取り続けている。
「絶対に許せない。」と思っていた。
今のところ、まだ、許すまでに至れていない。
私が母を想い続けるのは、「母親」という存在が、簡単なことではないから。お腹を痛めて子どもを産んでも、手放してしまう母親は世の中にたくさんいる。それが悪いこととは言えない。傷つけて壊してしまうくらいなら、助けを求めるのはひとつの選択肢で、権利だと思う。
それでも手放さなかった母の「意地」に、少なからず感謝をしている。
それとは別に、母を、ひとりの人間として認識できたとき。
ふたりの子どもを育てながら、体力的にも精神的にもキツイ仕事を何十年も続けたこと。それだけで、尊敬の念は自然と湧いてくると思った。
「母から離れたい」という思いと、「母親を大切にしたい」という思い。
いまだに私の中に、共存している。
私から母に連絡をすることは、ほぼない。
母から私に「元気?」「変わりない?」と連絡してくる。たまに電話でも話す。
子どもだった私と姉は、母から、こう気遣われることを望んでいたのかもしれない。時間をかけて対話をしてほしかった。日常に寄り添ってほしかった。ただ、それを叶える時間と心の余裕が、母にはなかった。
もし、母が違う人と結婚していたら、違う母の姿があったのだろうか。穏やかで、優しい、母親の姿が。
そんなこと、わからない。
私には、経験がないから。
私は夫の両親と仲がいい。一般的にはうまくやっているのだと思う。
それを母は、「誇りに思う。」と言ってくれる。
あの時もそう言ってくれたら、母の言葉を受け入れられたのにな、なんて。
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「母親」にかけられる期待は、大きい。とてつもなく。
外からも内からも、プレッシャーが付きまとう。仕事をこなし、家事・育児もこなす。親はもうひとりいるはずなのに。母親ばかりが責められる。どこからか、「母親なんだから」と聞こえてきそうで。
そうして、じわじわと、”病”になる。
余裕がなくなって、視野が狭くなって、ヒステリックにも攻撃的なモンスターにも豹変する。
「母親」という鎧を、四六時中、背負う。
鎧なんてものは望んでいない。
ただ、子どもと同じ目線で話をしてほしい。
パワーバランスに頼る対話は簡単だ。
そのうえ、愚かで情けない。
私が「母親」になれた日には、もう一度誓う。
病におかされてたまるか、と。