やまない雨を待たずして。
ピカ!
ごろロロロロ
一瞬光ったかと思えば、遅れて地響きするようにうなる。
家に居てもわかる、屋根を叩きつける大粒の雨。
すこし開けていた窓の隙間から、ひやっとした冷気が室内に入り込む。
つられて、ゾゾゾっと身震いをする。
「きゃー!!!」
と、2階から叫び声がして、ドドドっと階段を踏みつける。
「怖いよ〜!!!」
と、泣き叫んできたのは、元ルームメイトのリンちゃん。
数年前、私たちは京都の町屋でルームシェアをしていた。台湾の大学で日本語を学び、卒業後に渡日。出会った頃には、すでに3年弱も京都に住み続けていた。
「京都のことなら何でも聞いてね」と言ってきたのは、私ではなく彼女の方で。
流暢な日本語に小洒落た関西弁をあやつる姿は、天然記念物でもなければ絶滅危惧種でもない、彼女にとってはただの日常だった。
その、リンちゃんが騒々しく泣きじゃくる。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ。雷は怖いんだよ〜」
異国の地で一人前以上に生きる彼女に、こんなにも怯えるものがあったなんて、知らなかったな。
いつも強く見えていたから。
世の中がコロナウイルスに蔓延されはじめた頃。
リンちゃんの仕事は無くなってしまった。ようやく希望する通訳の仕事に就けたのも束の間、一気に残酷な現実へと引き摺り込まれた。
似たような仕事に応募するも、どこもかしこも苦しい状況。
扉を叩くも、門前払い。とにかく、日本社会は現状を守り続けることにいっぱいいっぱいだった。
それでもリンちゃんは諦めなかった。
せっかく勝ち取った就労ビザ。手放してたまるものか、ともがいた。
いくつかの仕事を掛け持ちしながら生活費を確保し、コロナ禍によるビザ制度の緩和もあって、なんとか日本での暮らしを続けてきた。
「苦しい、けど嬉しい。」
と、彼女はよく言っていた。
今が苦しくても、日本に、京都に、居れることが彼女にとっての救い、だったのだと思う。
隙をみて、自転車を漕いで、鴨川沿いでひとりたそがれる。
川のせせらぎに耳を傾け、夕日がきらめく水面を眺め、体内に酒を流し込む。
景色とアルコールに頭をかるく酔わせて、ただ、ぼーっとする。
流されるように、ただただ身を任せる。
「この瞬間のために生きている。」
と、どこぞの親父のセリフだよと笑いながら聞いた話。
鴨川と共に生きる彼女は、「京都人」と言えなくとも、”京都の人”ではあったのだろう。
泣きじゃくり事件から、数ヶ月後。
無事、リンちゃんの就職先が決まった。希望する通訳の仕事だ。
途方の暮れる道のりの中、辛抱強く探し続けた。
京都という地に魅了されていなければ、他の選択肢があったのかもしれない。けれども、愛してしまったが最後、「京都がいい」と言い続けた。
故郷が嫌いになったのではない。
不覚にも、京都を愛してしまったのだ。
「苦しい、けど嬉しい。」
これは、好きを超えた「愛」のようなもの。
揺るがない愛があれば、いつしか嬉しさが勝つ。
「よかったね」と、一緒に喜んだ。
彼女の大粒の涙が、ただただ眩しかった。