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教養としての夫婦学🤝|夫がみるみる進化していく話。

「あれ、体調悪いの?」

ある日、夫が妻にそう声をかけた。

思わず目を見開く。
だって、私は体調が悪い。言葉にも表情にも出していないつもりだったが、夫がみずから勘付く。

よく気が付く旦那さん。
実際、夫は妻に関心があるし、よく気にかけてくれる。


だが、こちらが言葉にしてはじめて、というのが今までの”常識”だった。

「もうすぐ生理だから狂気じみた動きするかも」
「下半身お化けに取り憑かれてて、今日はごはん作る気力を吸い取られた」
「お肉と魚だったら、うーん。どっちも食べたいね(そしてどっちも食べる)」

とか、そのつど言葉にするようにしていた。

言わなくたってわかるでしょ、
と思うのは相手がお金を出して時間を買った相手、いわゆる商業的な彼氏やAIの世界、霊媒師や占い師に対してだけであるし(個人的な見解)、

夫が上記のいずれにも該当しないのであれば、業務報告や相談、こちらの希望や要望は声に出して発言しなければ、伝わりはしない。ましてや言葉にしても、コミュニケーションの齟齬というのはつきものだというのに。



だから、この出来事は衝撃的だった。

こちらが何も申し出ていないのに、妻の些細な変化に気づいてくれる。気遣ってくれる。
これは、夫婦関係の奇跡、と呼べるのではないかと思うのだ。




別の日のこと。
またこんな奇跡が起きた。

夜、夫がいつもより早く帰宅をした。晩ごはんのあとついついおしゃべりに花を咲かせていたら、テンションが上がってしまったのか、気づけば日付が変わっていた。

次の日は朝からお出かけの予定なので、あわててパジャマに着替えて就寝。


翌朝、ごはんの前にシャワーを浴びる。
乾燥しがちな私のか細い髪は、お風呂上がりにはフェイスタオルでぐるぐる巻きにして、水分を閉じ込めることで、ようやく人並みの養分が確保される。

黄色いワンピースに着替え、真珠のピアスを合わせる。

ここで、夫に声をかける。


「さて、問題です。この髪型はなんの絵画をイメージしているでしょう?」

我ながら朝からめんどくさい質問だ。

夫は少し考えて、口を開く。

「落穂拾い」


ちがーう!!!
確かにキッチンの床をささっと履いてゴミを集めていたところではあったけれども。


「で、正解は?」
”違う”という表情を読み取ったのか、夫が質問で返す。

「真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)、ね?」


「ああ」

と、多少なりと不満足そうな様子をみせる。



妻はこの女性をイメージしていたのだが、

ヨハネス・フェルメール
「真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)」 (1655)


夫からみる妻はこうだったらしい。


ジャン=フランソワ・ミレー
「落穂拾い」 (1857)


ぜんぜん、違う。


とまあ、プンスカしたりしなかったりするも、
内心、妻はちょっと嬉しかったりする。いや、かなり、だ。


夫はもともと美術に関心が薄い。
それでも妻の好きな分野だからと理解を深めようとしてくれる。「一般教養はおさえておきたい」と言って。
そんなドライで飾り気のない動機であっても、美術展に行ってみれば、おおいに面白がる。お気に入り作品のポストカードを何枚か買い込んで、小さなクリアファイルに保管する徹底ぶりに思わず拍手を送ってしまうほど(妻も同じ習慣がある)。

そして何より。
妻の無茶振りに、ブラックジョーク?で返す、見事な感性。

これがたまらない。

本人にとってはたかが「教養」であっても、妻にとってはありがたい「知性」なのだ。


夫はめきめきと進化を遂げていく。

言葉にしなくても伝わる、非言語コミュニケーション。
相手の好きを取り入れた、知性あふれるコミュニケーション。

正直、こんな至福、予想もしていなかった。


好きが異なるふたりが夫婦になって、お互いに知ることを根気よく続ける。

日々のたわいないことから、仕事内容や人間関係のこと、そして互いのルーツや趣味嗜好について。会話をする。経験を共にする。時を重ねる。


「似たもの同士」が一緒になるのもいい。
「完成した理想のもの同士」が一緒になることだって世の中にはあるのかもしれない。


だが、仮にそうでなかったとしても、
夫婦は日々変わっていくから。

「変化を共にした同士」だからこそ、得られる新しいコニュニケーションの姿がきっとある。


と、夫から学び、
妻もこうして進化していくのだ。




10/14追記:
中岡始さんが、素晴らしい記事を書いてくださりました!(それも酔いも覚める光の速さで!)
16年の時を経て進化した“夫婦のカタチ”。

読み終えた貴方は、尊さのあまり思わず両手を合わせてしまうことでしょう🙏


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