Transnational ということ
Hello, みろろんです。
私が本当にやりたいことを見つけられた理由はTransnationalという言葉がずっと耳に残っていたからです。
先日チェーンナーさんからスポンサーになっていただき、私の紹介文も書いていただいて感激しましたが、「国境をこえた」という言葉にワクワクしました。
チェーンナーさんは親切にTransnationalを日本語に訳してくださりました。
Transnationalを辞書でひくと「国境をこえた」、「一国の利害にとらわれない」(デジタル大辞泉より)
国境をこえた、という意味は広く使われているのでイメージしやすいのですが、もう一つの意味が興味深いです。
一国の利害とは何なのか?
私たちがいる世界は不平等です。
国内にお金持ちと貧乏人がいるだけでなく、たまたま生まれ育った国でお金持ちなのか貧乏なのか決まります。
日本やいわゆる先進国にいるとあまり感じませんが、海外旅行などで他の国にいくと感じることができると思います。
お金持ちの国と貧乏な国があるからこそ、貿易で利害関係が生まれます。
ここから教育について私の見解を述べますね。
教育も例外ではないのです。
国の利益になるように教育が行われます。
よく言われますが、日本の教育は「いろいろな分野において平均的に」「知識をもって」「協調性をもって」将来労働力になるような教育カリキュラムです。
こういう人材がほしい、ということが教育内容に組み込まれているのです。
イギリスの例でいうと、
「人としての価値」を高め、「幅広い分野から得意な分野を探し出し」「他の人の人権を大切にする」教育が行われています。
以前にも触れましたが、イギリスの子供たちは選択しなければ自国の歴史ですら13歳くらいで学校で教わらなくなります。
このように国によって将来求める人材(政治、経済的にも)が違うのは当然のような気がします。
近年IB(国際バカレロア)が全世界に急速に広がっているのですが、各国とも自国の教育カリキュラムとの「違い」を埋めることができていませんし、埋めようとしていないところもあります。
その理由は
教育は国家戦略の柱だからです。
いわゆる義務教育でこの人材を長年かけて育成するのですが、それは国の利害を意識しているのです。
それを例えば引っ越しをして別の教育システムに入っていくとどうなるのでしょうか?
その国が求める理想の人材が育たないことになります。
だからTransnationalなんですね。
いろんな国のシステムで教育を受けてしまうと一つの国にとって「よい人材」にはならないわけです。
しかし、逆に考えるとその人材は一国の利害にとらわれなくなるのです。
これからの時代、国の利益どうこうより個人単位になると私は思っています。
もちろん全員がお金持ちになるのが理想かもしれませんが、目先のお金よりも一人一人が人間として生活ができる、そして他人と得意なところで助け合える世界になってほしいと思っています。少なくとも私の子供たちにはそういう人間になってほしい。
そんな思いで一つの教育システムにこだわらず、それを横断していっても不利益にならない世界があればいいな、と思っています。
IBもすばらしいと思うのですが、世界中がIB一択になると世界の魅力がなくなってしまう、と思うのです。(IBを否定しているわけではありません)
そういうことを理解したうえで、国境を越えて教育を受けていただきたいな、と思います。
そこには違う価値観の楽しい世界が広がっています!
その世界を知りたい方、私と一緒に学んでいきませんか?
最後までお読みいただきありがとうございました。