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【偏愛】資格勉強についての考察

はい、私は、小学一年生の夏休みから始まり高校卒業までの12年間一度も計画通りに宿題を終わらせたことがなく、毎度先生への言い訳を考える人生を歩んでまいりました。
私は、大層勉強というものを毛嫌いしてまいりました。それは、兄に出来て私には出来ないという劣等感があったことも原因の一つだと思います。
そんな私は中学受験でも大学受験でも夢の第一志望には届きませんでした。
そもそも行きたい大学などネームバリューで決めていて、本質など無かったように思います。
大学の勉強は、楽しいものもあったし、楽しくないものもありました。私は数学が好きです。数学の問題を解いているときだけは嫌なことを忘れられるからです。論理的思考回路の中には、感情はいらないのです。大学でも、数学を用いる教科はことさら好きでした。
大学に入って友人がガラリと変わって、今までの趣味を話せる友達が居なくなりました。そこから私はアニメを見なくなりました。空いているときはずっと、バイトか勉強をしていたように思います。

そうです。勉強しかやることが無かったのです。
小学生でも中学生でも高校生でも存在していた、他に熱中できるもの、というのが友人関係のガラリとした変動によりなくなってしまったのです。
私は基本、感想を共有することが好きでアニメを見ていたのだと思います。
仕方ないから大学では勉強しました。いままで劣等感を抱く原因となっていた勉強に向かいました。
苦手だった英語も勉強しました。
私はある程度、勉強に自信がつくようになりました。
色んな資格に挑戦しました。勉強をして、試験に受かる、という一連の流れによって達成感を得ることを知りました。

そこからはほとんど、その達成感、俗に言えば快感を味わうために資格に挑戦しつづけているように思えます。
私は決して、勉強が好きだった訳ではありません。環境の変化が、勝手に私を変えてしまったのです。
今では資格の勉強をして、試験を受ける。そのサイクルに乗っかっていないと不安を覚えるようになっています。まさに偏愛です。片寄っています。
試験に合格することでしか、自分の価値を証明できないのではないかと心のどこかで思っています。
価値のある人間になりたい。その思いでどこか急かされながら生きています。

勉強は自己成長の指針として分かりやすすぎる。それゆえに、中毒性が高い。私はその毒に冒されてるただの中毒患者だよ。
私の部屋にはたくさんの無印ノートが置いてある。私の努力の証拠。6mmを愛用している。

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