今年の談春さん独演会。弟子・こはるの真打ち襲名に向けて突き進む
今年も浅草公会堂で催された立川談春さんの独演会。
昨年はコロナ禍とあって外国人の観光客の姿は見なかった浅草ですが、今年は大勢の人で溢れかえっていました。浅草寺のわき道を通って浅草公会堂へ。今年は夕方4時からの開演とあって行きやすい気がしました。
3日連続公演の初日。
この日は、談春さんのお弟子さんのこはるさんがこの名前で高座に上がるのが最後です。
どうやら去年の同じ時期にこの場所で開かれた独演会で、こはるさんが「桑名船」を演じたときの客席の反応を見て、談春さんがこはるさんの真打ちを決めたらしいです。
ほかの日にはこはるさんの前座噺に不満があったようで、談春さんが高座に上がるといつものようにぶつぶつ言っていただけに意外でした。
とはいえ、「こはるが憎くて真打ちにしないわけではないんだよ」と言っていた談春さんですからここ数年、考えていたのでしょう。
とくに、桂宮治さんが「笑点」メンバーに選ばれたときにはこはるさんが宮治さん本人に尋ねて否定されながら結局、選ばれていたことにショックを受けていたという話を別の落語会で談春さんが話しておられたのも談春さんがこはるさんの真打ちにかんして悩んでいた一つの表れだったのかもしれません。
談春さんの弟子は続かない?
御年40歳のこはるさん。
同時期に入門して二つ目になった、かつての仲間は今は落語作家として活動されているようです。
昨年あたりにこはるさん以外に若い男性が捲りなどをする姿を見た記憶があるのですが、いつの間にかいなくなっていました。
数年前にはこはるさんに似た若い女性(たしかちはるという名前だったような……)が品川の独演会の時に「師匠に言われて小咄をひとつ」とさらっと話していたのを覚えていますが、この彼女も気がつけば見かけなくなっていました。
こはるさんが「小春誌(こしゅんじ)」という名で真打ちになるまでの間に、何人もの人が談春さんの弟子になっては辞めていったかと思うと、もう少し弟子がいてもいいのにと思ってしまいます。
この日の「ご挨拶」で談春さんと二人して高座に上がった姿を見て、勝手に親戚の一人になったような気分になったのは私だけではないでしょう。
緊張のせいか、こはるさんの「粗忽長屋」は決して下手ではないのですが、いつもより届く感じではありませんでした。
何を高座にかけるかは自分で決めていいということだったそうで、こはるさんは「粗忽長屋」を選んだようです。
「師匠、20分かかってもいいでしょうか」。
せっかく浅草で落語をするのだからということでこのネタにしたようなのですが、なぜか15分で終わってしまい、談春さん自身が慌てることになったようです。
こはるさんが引っ込んだあと、談春さんが高座に上がってマクラでまずこの「粗忽長屋」にかんして触れます。
「死んだとは決して言わないのがこの落語なのに、『死んじまった』と言ってしまうなんて……師匠に学ばず、別に師匠が教えるっていうわけじゃあないよ。私だって師匠から教えてもらうことなんてなかったからね。だれからかこの噺を学んだんだろうけれど……小さん師匠は決して『死んじまったとは言わないのがこの噺なんだよ』と言われていたんだよ」
と、ボヤキながら、浅草観音詣でに来た八五郎が行き倒れの男を熊さんと勘違いし、長屋に戻って熊さんに見てきたことを話す場面を演じてみせます。
たかだか二言、三言なのに、これがまたうまい。
情景が頭に浮かんできます。
目の前に生きている熊さんがいるのに、その熊さんに自分が死んだのだと思わせてしまう様子を流ちょうに見せてくれました。
こはるさんの「粗忽長屋」を聴いたとき、その自然な流れがなかったがゆえに、台詞をずっと聞かされているようでなんとなくふわふわした感じを受け、満足のいかないものに感じたのだとわかりました。
どうやら高座に上がっていたこの時、こはるさんは飛んでしまったようです。後日、談春さんがマクラでその状況を話しておりました。それほど真打ちになるということはプレッシャーが半端ないものなのでしょう。
桃月庵白酒さんの芸が変わった理由
「粗忽長屋」といえば、桃月庵白酒さんの高座は魅力的です。
滑稽噺の良さを引き立てる白酒さんの高座は笑いに包まれながら、その不思議な世界(リアルに考えると成り立たない部分)にぐいぐい引き込んでくれます。
そんな白酒さんですが、過去の「東洋経済オンライン」のインタビュー記事によると二つ目の半ばごろまで暗かったそうです。
「志ん朝師匠に“別にうまいとか、芸がどうのこうのじゃなくて、落語なんてお客さんが喜ばなきゃ存在価値ないんだから、まずはお客さん喜ばせなさいよ。お客様がなぜ落語聞きに来るか? と言ったら楽しい気持ちになりたいからでしょう。
だったら、マクラとか噺とかもっと楽しくしゃべりなさい。聞いている人はつまらないよ、じゃなかったら、素人で好きにやっていなさいよ”と結構きつく言われたことがあって、そこらへんからですかね、芸風が変わってきたのは」
こはるさんは談春さんの弟子になってから1年くらいは談志さんに男の子だと思われていたのは有名です。
今もボーイッシュで、喋りも少年に近い感じがあります。
ほかの女性の噺家さんに比べてかなり男性に近い感じがあるのですが、真打ちになることで芸の深みが増してくることに期待します。
談春さんの「お若伊之助」に聴き入る
初めて談春さんの「お若伊之助」を聴きました。
令和の時代にこの噺を聴くと、よほどうまい人が演じないと滑稽に思えてしまう内容です。人ではない、恋焦がれている相手に扮したタヌキとの間に身ごもってしまうというお若。世間で噂になってしまった女性を愛し、夫婦になる決意をする伊之助。
三遊亭圓朝さんの噺では9話ほどあるようで、タヌキの子の死産という部分がどうやら人間の双子が生まれてそのあとの双子の噺になっていくようです。
談春さんが、伊之助の世話役と言っていい、頭の初五郎のそそっかしい様子や気短さを演じる姿が興味深かかったです。
どうやらご本人としてはこのネタを高座にかけましたが納得がいかなかったようです。
それだけに今後のさらなる進化が期待できそうです。