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【小説】大人じゃない①

約5年使用した携帯から、スマートフォンに買い替えた。それを機に、泉は、こまめに、スマートフォンで写真を撮影するようになった。

電話というより、手のひらに収まるパソコンと表現した方がしっくりくるそれは、折りたたみ式の携帯より、遥かに画質が良かった。写真をフェイスブックに投稿する人も、周りには増えていたが、泉はSNSには興味を示さず、日記代わりに、視界に入ったものを、深く考えず、シャッターを押した。

例えば、近所を彷徨っている猫。頂上の雪がほのかに残る、岩手山。新調した、赤のコンバースのオールスター。母が花瓶に生けた、ラナンキュラス。太陽の光を浴びた、喫茶店のクリームソーダ。学食の名物である、熱々のカレーライス。

泉は、大学生になった。現在、3年生で、盛岡市にある、国立大学に、実家から通っている。

第一志望である大学に入学はしたものの、本来希望していた学部とは異なった。センター試験の際、点数が足りず、本命の人文社会学部から、教育学部に進路変更したのだ。元々、教師を志したことはなかったが、母は「泉は立派な先生になれるよ」と事あるごとに言うようになった。もちろん、教育学部のすべての生徒が、教員の道を辿るとは限らない。民間企業へ入社する者も、多く存在する。泉も、そのつもりだ。

 三木とは、2年からクラスが離れ、顔を合わせることがなくなった。2年に進級してから、同級生と付き合い始めたと噂が流れた。実際、三木が、色白で華奢な女の子と、一緒に下校したのを見かけていた。どうして、あの彼の隣に並べるかもしれないと、自惚れていたのだろう。泉は、疑問に思った。彼は理系学部の志望で、都内の有名私大へ進学した。さんさ踊りの夜に、2人は、何も始まらず、終わった。

来年から、本格的に就職活動が始まる。泉と同じ学部の友人は、教員になると意思を固めた者、上京して都会生活に思いを馳せる者、それぞれビジョンが明確である。泉は、未だに確定していない。

両親から、「まずは実家から通えるところで探して、慣れてきたら1人暮らしでいいんじゃないか」と提案されている。つまり、県内での就職は、暗黙の約束である。遠く離れた場所に、一人娘を置いておくわけにはいかないという、過剰な心配が故である。

泉は、反発しない。行きたいところは、ない。東京は、たまに観光するので十分だし、1人暮らしへの意欲も、人よりも、ない。

 私は、何になりたいんだろう。どんな仕事が、したいんだろう。

「ホテルだけは、やめた方がいいよ」

商業高校を卒業後、盛岡のシティホテルに就職し、フロントへ配属された優子は、念を押す。

「残業は当たり前だし、ヒール履いて立ちっぱなしで脚パンパンだし、そんでもって、身だしなみ厳しいし」

 ホテル業のため、派手な髪色は禁じられているのはもちろん、身なりが地味すぎても先輩から注意を受けると、優子はため息をつく。一度も染めていない、艶やかな黒髪と、綺麗にカールされたまつ毛、控えめなラメのアイシャドウは、優子をより一層、美しく引き立たせている。職場での集合写真には、スカーフを巻いた制服姿の優子が、柔らかく微笑んでいた。盛岡で1人暮らしを始めたり、休日は同期と遊んだりして、社会人として充実しているのが、滲み出ていた。

 大学生の泉と、完全シフト制勤務の優子は、休みが重なることがめっきり減ったが、時折、都合を合わせて、盛岡で食事をする。今日は、優子が以前気になっていたという、開運橋付近にあるイタリアンに訪れていた。こぢんまりとした店内だが、本格的なナポリピザが食べられると、盛岡で有名なのだと、優子が教えてくれた。ケヤキ素材のテーブルとカウンター、アンティーク調のランプが温かみを醸し出し、カウンター席の向こうにある大きなピザ窯が目を惹く。泉同様、若い女性客が数人いるくらいで、落ち着いた雰囲気だ。

マルゲリータとカルボナーラが運ばれてきて、2人は「きゃー美味しそう」と目を輝かせた。熱心にスマートフォンで撮影する泉を見て、優子は「フェイスブック?」と訊ねる。

「違うよ、どこにも載せないよ」

「なんだ」

「ゆうちゃん、フェイスブックやってるの?」

「最近始めた。そしたら、さやちゃんにフォローされた」

優子は、懐かしい名前を呼ぶ。紗弥子は、体育科のある、盛岡の公立高校へ進学したが、高校時代は交流がなく、その後の進路は不明だった。

「さやちゃん?さやちゃんって、今何してるの」

「仙台の、理学療法士の専門学校に通ってるんだって」

「理学療法士」

「なんか、立派だよね」

優子は、マルゲリータをカッターで切り分けながら言った。

ゆうちゃん、あなたも立派だよ。

泉は、冷たい水を一気に飲み干した。

知人の噂話や、お互いの近況を報告する。高校時代の始発と、変わらない光景。変わったのは、泉の心境だ。優子は、社会に揉まれながら、新しい居場所を見つけ出した一方で、自分は、念願の大学生になれたものの、今後の進路へ不安を抱いている。

「待って、このピザめっちゃ美味しい」

優子が唸る通り、店自慢のマルゲリータは、生地はサクッと軽い食感だが、耳はモチモチであった。本場の味を知らない泉でも、これこそ王道のナポリピザだと、太鼓判を押せる。

現在は彼氏がいない、いらない、と言い張る優子だが、黒のノースリーブのブラウスに身を包み、控えめなシルバーリングをはめ、ナプキンで口元のソースを拭う姿は、正しく洗練された女性である。その気になれば、彼氏なんてすぐできそうだ。

「そうそう。それで、来月、成人式あるじゃん」

 泉たちの地域では、冬ではなく、お盆の時期に成人式を行う。真夏のため、女子は振袖ではなく、パーティードレスを着用して参加するのだ。

「さやちゃんが、小学校の人たちで集まろうって声かけしてるんだって。いっちゃん行くなら、私も一緒に行こうかなって思ってたんだけど、どう?」

泉も、優子が出るなら、出る。地元で今でも親しくしている友人は、優子くらいしかいない。そのため、成人式自体、出席を躊躇っていた。

ドレスは、既にある。先月、親戚の結婚式用に購入した、フレンチスリーブで、スカート部分がチュール素材の、ベージュのドレス。靴やアクセサリー類も、一式揃えているため、成人式に出る準備は、一応、できている。

「あんまり気乗りしてないみたいだね」

「バレた?」

「つまんないなーってなったら、さっさと退散しちゃお。さやちゃんも、たくさんの人呼びたいって張り切ってるっぽいし」

「うん、じゃあ、出ようかな」

「よかったー、じゃ、さやちゃんに伝えとくね」

 もしかしたら、と、優子は付け加える。

「冬吾も、いるかもよ」

泉は、パスタのフォークを回す手を、ぴたりと止めた。

その様子に瞬時に気がつき、優子は、慌てて話を切り替えた。

「いっちゃんのそのワンピース、可愛いね」

「あ、これ?ありがとう」

泉が身につけていたワンピースは、半袖Tシャツのロング丈のものであり、胸元に数字がプリントされている。小洒落たランチで、この格好はラフすぎたかな、と半ば後悔していたのだ。

「そういうの、流行ってるよね。そのキャンプにも合う。てか、いっちゃん、最近、帽子かぶってること多いね」

よく気づいたね、と泉は、紺のキャップのつばを、クイッと上げた。

 優子のようなブラウスも、大人っぽくて、素敵に思える。自分が、何を身につけることでしっくりくるか、そんなこともあやふやになていた。


 泉には、成人式への参加を拒んだ理由が、他にもあった。

 優子と解散し、家に戻ると同時に、キャップを外す。雑誌でもよく取り上げられる、つばが真っ直ぐな、ベースボールキャップ。帽子を被るファッションが、流行していてよかった。今の泉にとって、帽子は欠かせないのだ。

洗面所の鏡の前に立ち、恐る恐る、つむじに視線をやる。親指の腹くらいの大きさのハゲが目立っていた。

 事の発端は、大学1年生の頃に勤めていた、アルバイトだった。

泉は、大学の近所にある、スーパーマーケットでレジ打ちのバイトを始めた。しかし、続いたのは、2か月程だ。

 勉強はそこそこできても、「働く」ということは、泉にとって、難易度が高かった。高圧的な客や、混雑時のレジ捌きで、心が疲弊していった。「いい大学行ってても、使えないね」という、パートの一言が脳裏から離れず、逃げるように辞めてしまったのだ。

 もっと気楽にできるバイトがあるかもよ、と母は様々な求人情報を持ち込んだが、泉はレポートやテストを言い訳にして、バイトを探すことすら、辞めた。

 それに加え、教育学部では避けては通れない、教育実習での経験も、追い討ちをかけた。

 泉は小学校で実習を行い、ここで、子どもの素直であるが故の冷酷さを目の当たりにした。同じく実習中の学生が、明るいキャラクターで児童の人気を集めていたのに対し、泉は、そもそも、大勢の前に立つという行為が向いていなかった。授業も、児童との交流も、ロボットのようで、児童の冷めた視線が、槍となって身体中に刺さるのを感じた。

 社会に出ることの苦悩を、学生ながらにして、痛感している。しかし、周りにはバイトと学業を両立させたり、優子のように、新卒から懸命に続けていたりと、自分にはできないことを、そつなくこなしている人々で溢れている。その事実が、また、槍となった。

 自分の不甲斐なさを感じると、指が、髪の毛に触れてしまう。

あーあ、成人式、あるのになあ。

ため息をつきながら、泉は、健康な髪を、1本、引っこ抜いた。

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