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【小説】思わず目を閉じた③

麗子さんにアレンジしてもらった、高めのお団子ヘアが、どうも落ち着かない。

母からのお下がりの浴衣は、紺地に白の菊柄と、女子高校生にしては華やかさに欠けるが、泉は満足していた。派手すぎない色味の方が性に合うし、何より、夏の雰囲気に浮かれていることを、少しは隠せるから。

 8月1日。さんさ踊りパレードの初日の昼下がり、泉と三木は、盛岡駅の東改札口で、落ち合った。泉が電車から降りると、白地に紺のカレッジロゴのTシャツに、カーキのパンツを履いた三木が、待っていた。

部活帰りなのに、着替えてきてくれたのか。自分の、ために。その考えは、あまりにも自意識過剰だ。誰かのために何かをする。このことも、不思議でならない。現に泉は、三木のために、浴衣を着ている。厳密に言えば、三木に少しでも綺麗だと思われたいから、浴衣を着ている。

さんさ踊りパレードのスタート地点の盛岡市役所付近まで、盛岡駅から30分はかかる。その道中には、屋台が並んでいるため、寄り道し、軽く腹ごしらえして、向かうことにした。

「三浦の浴衣、いい柄だね」

褒められたのは、あくまでも、浴衣の「柄」である。可愛いね、とはそう簡単に言われない。肩を落とす反面、気軽に「可愛い」というワードを出さないところが、彼らしいと思った。

三木に、今まで、彼女がいたことがあったかどうかは、わからない。三木と同じ中学だったクラスメイト曰く、親しみやすいキャラクターのせいか、男女問わず人気はあったようだ。泉より、恋愛経験が豊富でも、おかしくはない。

「ありがとう、お母さんからのお下がりなの」

「いいね。なんか、打ち上げ花火みたいで」

「あ、これ?これ、菊だよ」

「菊・・・ああ、言われてみれば」

隣で照れ笑いする三木は、校内で話すより、固い印象があった。

それは、泉にも言えたことだ。男の子と2人きりで、夏祭りに行くということは、泉にとってビッグイベントなのだ。浴衣を身につけているおかげで、少しはおしとやかに見えるが、今までデートというものの経験がない泉は、内心「助けて助けて」と連呼していた。誰に、どう助けてもらいたいかは、わからないけど。

「緊張してる?」

三木が問いかける。聞かないでよそんなこと。

開運橋は、さんさ踊りを観覧しに中央通へ向かう人々で、敷き詰められている。きつい香水や、汗の匂いが立ち込める中であるにも関わらず、皆が目に光を宿している。湯気が出そうなくらい蒸し暑いのに、手を繋いだり、腕を組んだり、身体を密着させたりしている男女で、溢れている。

「俺は、緊張してるよ」

人混みの中、三木が口にした言葉は、人混みの中で、鮮明に聞こえた。

「なんか、お揃いっぽいね」

「お揃い?」

「うん、色が、似てる」

浴衣の袖をつまみ、自分のTシャツのロゴを指差しながら、三木ははにかんだ。

 どの辺りが、緊張してるのよ。

 泉は、三木の発言が信じられず、眉をひそめた。


 空の色が、薄紫と濃紺に、混じり合う頃、泉と三木は、盛岡城跡公園にある多目的広場のベンチで、腰掛けていた。駅と、さんさ踊りパレードの出発地点の、中間地点にある公園であり、屋台が集結している影響か、他の休憩スポットよりも、人口密度が高い。泉と同世代の、浴衣姿女の子ばかりで、若さで活気溢れていた。

今日、2人きりで会って、わかったことがある。

三木は、かなりの甘党だった。

たこ焼きやお好み焼きなど、ソースの香りが食欲をそそる、屋台の代名詞はそこそこにして、三木が立ち寄るのは、かき氷やクレープなど、人工的な甘さのものばかりである。男子高校生という生き物は、腹を満たすことが何よりの絶対条件だという偏見を抱いていた泉にとって、中々の衝撃だった。

生クリームと、カケラ程度の業務用のアイスケーキを包んだのみという、チープなクオリティで500円は、割高に思えるが、三木は相場など一切気に留める様子がない。

しかし、「ぶどうこんにゃく」を好んで飲むことを考えれば、さほど意外ではないのかもしれない。泉は、人口甘味料がふんだんに含まれたゼリー状の味を、思い出していた。

「こういう、お祭りのクレープって、具がちょっとしかないんじゃない?駅前のクレープ屋さんの方が、もっと美味しいよ」

泉の言い分に、三木は首を横に振る。

「こういうがいいんだよ。こういう、ちゃちなクレープが、祭りの醍醐味だし、夏してんなーって感じられる」

三木は、ちゃちだと見下した表現をする割に、嬉々とした様子で頬張っている。

「俺からも言わせてもらうけど」と、三木は、泉が手に持っている、食べかけのきゅうりの一本漬けを指差した。

「きゅうりの浅漬けなら、俺のばあちゃんが作った方が絶対うまい」

「えー、そうなの?」

「ほんと。今度うちに、食べに来いよ」

三木は平然とした様子で、口元のクリームを拭った。

家に?三木くんの?

泉は、頭が真っ白になった。

三木は、「ゴミ捨ててくるね、それちょうだい」と泉が食べ終えた一本漬けに刺してあった割り箸を受け取り、ゴミ分別のスペースまで走っていった。

どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか。彼が、どのようなつもりで、一言一言を、放っているのか。

心臓が押し潰されそうになる。世の中の恋人たちは、このような試練を乗り越えて、結ばれたのか。この刺激を、楽しいという気楽な言葉では、片付けられない。刺激という波に乗るだけでは、満足できない。

彼にとって、大事なものとは、なんだろう。

もし、私だったら。

私だったら、いいのに。

「付き合ってるわけじゃないのに」

三木が戻ってくると、泉は言い放った。

半分、心の声のつもりで、半分、意図的だった。

祭りが終わっても、浴衣から着替えても、夏休みが終わっても、2人でいたい。

泉の言葉を、三木は聞き逃さなかった。

「そろそろ、さんさ観に行こう」

三木は、泉の手をとった。


城跡公園から中央通へ向かう途中、2人は無言だったが、繋いだ手を離さなかった。真夏に、肌の温もりを感じることが、泉にとって、不思議であった。温もりは、涼しさを求める季節でも、心地よく感じられた。

 手を繋ぎながら眺める景色は、まるで初めて訪れた街のようだった。盛岡の高校に通う身として、全く知らない街並みではないはずなのだが。

 泉は、もう一つ、わかったことがある。

 男の子の歩幅は、大きすぎる。ついていくのに必死になってしまう。

 三木は、みんなに優しくて、穏やかで、賢くて、甘いものが好き。でも、彼は、男の子だった。歩幅が大きく、指がゴツゴツと太く、温もりのある、男の子。

 さんさ踊りパレードのスタート地点は、すでに陣地を先約していた人々で埋め尽くされていた。人と人の間から頭を出せば、何とかパレードを観覧することができるだろう。

「この辺りだと見えるかな」

三浦、見えそう?と聞き、三木は、泉の顔を覗き込む。泉は、涙ぼくろを見つめた。声が、出なかった。

「そんなまじまじと見ないで、恥ずかしい」

「なんで、緊張するとか、恥ずかしいとか、平気で言えるの」

「本当にそう思ってるから」

「なんで本当のこと言えるの」

自動販売機の前で、ぶどうこんにゃくをくれた、あの日のことを、思い出す。間違えて買ったと、嘘をついて差し出した、甘ったるいジュース。彼が好きな味。

「今日は、素直になりたいんだよ」

あ、俺の兄ちゃんの友達がいる団体だよ、と、三木はスタート地点を指差した。

 まず、山車が入場する。

 会社名を大々的に表記した山車には、数々の提灯。パレードのメインは言わずもがな踊り手だが、山車に力を入れている団体も数多く存在するのだ。

 次に、踊り子。日が沈んだとはいえど、まだ蒸し暑い中、笑顔を絶やさず、掛け声をしながら、中央通という海を、泳いでいる。

 その後ろには、笛部隊。掛け声はしない分、一見涼しげに魅せているが、太鼓同様、脚の動きもつけるので、想像以上に難易度が高い。笛の音色は、太鼓の音に負けないくらい響き、パレードに重厚感を持たせている。

 そして、太鼓部隊。太鼓を前に背負い、踊りながら、太鼓の鼓動に負けんばかりの掛け声。

ばちを上げる腕は、ピンと伸ばす。滑らかに動く。麗子さんから教わったことである。泉には、太鼓の重みがわかる分、彼らの肉体的疲労は痛いほど理解できる。だからこそ、彼らの内側からの笑みが、眩しい。体育館のステージでさえ、緊張と疲労でぐったりしてしまうのに、およそ500メートルの距離を、スイスイ泳ぐように舞う彼らが、眩しい。

太鼓の振動。さっこらちょいわやっせ、という勇ましい掛け声。昔、ステージに立ち、スポットライトを浴びた時のことを、思い出す。

泉は、さんさ踊り自体が、好きなのだと自負していた。しかし、踊ることよりも、公民館で、練習していた日々が、好きだったのだと、気付かされた。

「私、小学校の頃、さんさ踊り習ってて」

泉は、手を繋いだまま、話し始めた。

「へえ、踊り?」

「踊りと、太鼓」

「すごいじゃん。さんさパレードも出たの?」

「いや、出たことはない。学芸会の出し物でしか、踊ったことない」

「学芸会?」

「うん。うちの学校では、さんさ踊りをやったの」

「珍しいね」

「珍しいのかな」

 鼻の奥が、ツンとする。ここで、止めておこう。止めておけば、この時間は、まだ終わらない。祭りは終わらない。

「学校終わってから、公民館に集まるのね。夜に、ストーブ焚いたところで練習して。白い息吐きながら、太鼓持って、家まで歩いて帰って」

 泉の脳裏には、古びた公民館で、冬吾とさんさ踊りの練習をした日々が浮かんでいた。

 踊りがうまく出来ずに、泣いたこと。3年生からは、冬吾がいたため、心強くなった反面、彼の飲み込みの速さに、焦りを覚えたこと。太鼓の練習時に、冬吾から、下手くそだと揶揄われたこと。その後、親身になって練習に付き合ってくれたこと。冷たく澄んだ風を浴びながら、星空の下、冬吾と2人で帰ったこと。

「だから、私にとってさんさ踊りって、寒い時期のイメージがある」

泉は、無意識であったが、繋いだ手を離していた。

三木の温もりが、みるみる消えていく。

「さんさ踊りは、やっぱり夏のものじゃない?」

三木の声色に、氷のような冷たさを感じた。夏の夜であるにも関わらず、指の先まで、冷たさが染み込んでいく。

ここで、「そうだね」や「さんさと言えば夏だよね」と返せば、もしかしたら、付き合うことができたのかもしれない。通じ合うことができたのかもしれない。

しかし、泉には、それができなかった。思い出を塗り替えることは、できなかった。

三木とこのように、2人で会うことは、もうないと確信した。その事実は、泉の胸の内に強く刻印されただけだ。

―おれは、小学生の頃に戻りたい。

中学2年の頃、冬吾が綴った、手紙の1文が、瞼の裏に浮かんだ。

あの頃に、戻りたい。

あの頃に思いを馳せたら、一気に視界が潤んだ。

提灯や街灯、色とりどりの浴衣たちが、一気に歪んだ。その歪みに耐えられず、泉は、思わず、目を閉じた。

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