平積みの彼女
そいつとの出会いは、中学2年生、夏。
家族と盛岡駅まで出かけた時のこと。
盛岡駅ビルにある「さわや書店」で、夏休みの読書感想文に使えそうな本を探していた。
文庫本コーナーを物色していると、平積みにされていた、ある一冊の小説が目に入った。レモンイエローの背景に、こちらを見ながら微笑む女の子のイラストが表紙だった。吸い付けられるように手に取り、裏表紙に書いてあるあらすじを目で追う。
あまりにも有名な作品なので、あらすじでピンときた方も多いだろう。
「陽だまりの彼女」との、出会いである。
あらすじを読んで、ワクワクした本は「陽だまりの彼女」が初めてだった。
読みたい!と瞬時に思ったが、コテコテの恋愛もの、しかも学生じゃなくて、大人の。読書感想文の本としては不向きかと思い、そっと売り場に戻した。結局、別の小説を購入したのだが、先ほどの女の子が描かれた表紙が脳裏から離れなくて、家に帰る前に「もう1回、本屋さんに寄りたい」と親に頼んだ。このまま帰れない、と思った。
真っ直ぐ文庫本コーナーへ向かい、「陽だまりの彼女」をすぐさま手に取り、そのままレジへ進んだ。帰りの車の中、待ちきれなくて、早速ページを開いた。車内で読書をすると酔うので、滅多にこんなことはしない。
家につき、夕飯を済ませ、お風呂から上がった後、再び続きを読み進める。「明日学校だから、早く寝なさいね」という母の一言で、やむを得ず切り上げたが、早く続きが読みたい、という気持ちでいっぱいだった。
翌日、通学前に少し読む。学校に着き、いつも通り授業を受け、合間の10分休みでも、読み進める。友達に「何読んでるのー」と話かけられる。「これだよ、面白いよ」と表紙を見せながら軽く返答し、再び本の世界へ没頭する。
帰宅後、再びページをめくる。このとき、物語の起承転結の「転」まできていた。後少し。日にちを跨ぐ前に、読み終えた。読み終えてしまった、という方がしっくりくる。気づいたら、読み終えていた。
1日半。こんなに一気に完読したことは、当時が初めてだった。
真っ直ぐな恋愛ストーリーかと思いきや、彼女の秘密、不穏な過去が静かに影を潜む。ふたりが結婚した後も、その秘密のせいでぶつかることも出てくる。それでも、お互いを懸命に愛していく。
「陽だまりの彼女」に出会って10年以上。ベストセラーとなり、映画化され、もはや本作品を好きと声を上げるのはミーハー扱いされてしまうかもしれない。それでも言いたい。この作品が、特別な存在であることを。
なぜ、私が「陽だまりの彼女」を一気に読み進め、忘れられない一冊となったのか。
一つは、上記でも挙げたように、秘密が暴かれる過程が暴かれているから。ただの恋愛ストーリーではなく、ミステリー要素もあって、続きが気になって読み進めてしまう。
そして、もう一つ。当時、片思いしている人はいたものの、誰ともお付き合いしたことがなく、恋愛において超絶初心者だった私は、甘いふたりのやりとりが刺激的に感じつつ、壮大な憧れを抱いたのだ。カップルって、こんな感じなのかあ、可愛いなあ、私もいつか、誰かと、こんな感じになるのかなあ。
少女漫画とは違う、文面で、きゅう、と胸を締め付けてくる魅せ方。瞼の裏に、彼らが仲睦まじく寄り添う姿が、鮮やかに浮かんだ。
主人公が、決して大富豪なわけではない。幸せで浮かれている様子を、買い占めたくなる、と表している。随分と浮かれポンチだけど、可愛くてにやけてしまう。そして、恋していれば、こんなことよくある話・・・と気付かされるのは、だいぶ後のお話。
こういうことしたい、と思った。
可愛らしいカップルのやり取りを体験するのははもちろん、恋人たちの、瑞々しい動きを、自分も書いてみたい。
書きたい、と思い、10年も経過してしまっていた。
本の面白さを再確認したものの、高校に入学後、本を読むことが一気に減った。
しかし、20代になり、再び読書をする機会が訪れる。
そして、月に三冊は読むくらいには、読書へのめり込んだ。
自分も、書きたい、という一心で。
「こんな物語が書きたい」と思い描く先にあるのは、色々あるが、1つは「陽だまりの彼女」なのだ。
3、4人の友人に貸し出し、あまり小説を読まない母も絶賛だった。
気がついたら「男子に読んでほしい小説No.1」というキャッチコピーで大々的に売り出され、映画化は成功し(原作と異なるシーンがあったが、それぞれ良さがある。想像以上に松潤がマッチしていた)多くの人々に愛される作品になっていった。
購入から約10年。一度も手離していない。高校時代の友人に貸した際、あまりにもボロボロだったため「これ破けても責任取れないよ」と申告された。
随分年季が入っている。表紙は案の定破け、淡いレモンイエローがところどころくすんでいる。しかし、表紙の彼女は、相変わらず、静かに、笑っている。