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ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶



大崎善生が描く美しい喪失の物語。



この小説は

キャトルセプタンブル
容認できない海に、やがて君は沈む
ドイツイエロー
いつか、マヨール広場で

の四つの短編で構成されている。

どの作品も読後、感情がどっと溢れだすように涙がこぼれてしまう。

そのなかでも、主人公ではないのだが、堪らなく魅力的な登場人物がいる。

それは「容認できない海に、やがて君は沈む」のお父さんだ。



「あんなにきっぷがよくて頭のいい人間には一度も会ったことがない」
父のことを語るときの母は常に誇らしげだった。もっともそのすぐ後に「あんなに女にだらしない男も」という言葉が続くのだけれど。

容認できない海に、やがて君は沈む
ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶
/ 大崎善生



これは主人公かれんの母、つまり、かれんのお父さんの妻が離婚した夫のことを子どもにいつも語って聞かせていた言葉だ。

このお父さんという男性が、とにかく破天荒で…、というか、女癖が悪いゆえに破天荒にならざるを得ない人生という感じである。

優秀なドクターのくせに、病院の看護師さんを片っ端から片付けてしまい、もう病院内での人間関係がシッチャカメッチャカでアメリカに逃げ出すというクズ男っぷり。

結婚も離婚も半ダース、子どもの数も養育費の振込み一覧表を見ないとアバウトにしか答えられない。



ほんまあほやろ。



でも、このお父さん。

それだけの喪失を繰り返しているということ。

八年ぶりに再会した娘、かれんの喪失をも優しく包み込んでしまうのだ。



ひとは傷つけば傷つくほど、優しくなれるのだろうか。



やがて恋に落ち、恋に破れ、いつか自分では容認できない海に沈むときがくるのかもしれない。どうしても受け入れることができない、許すことのできない理不尽な海の中に沈んでゆくときが。
それが人を愛することであり、人間の逃れられない宿命なのかもしれない。
父はそれを知っている。

容認できない海に、やがて君は沈む
ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶
/ 大崎善生



そうなのだ。
かれんはそれに気づく。



お父さんは離婚してうちを出てゆくとき、かれんにこんなメモを残している。

“容認できない海に、
やがて君は沈む。
それを、     ”

かれんは、
“それを、    ”の続きを小学六年のときからずっと探し続ける。
お父さんの背中を探すように。

そして、八年後、二十歳直前のかれんが出した答え。
それは。



容認できない海に、やがて君は沈む。
それを、回避するな、と。

容認できない海に、君は沈む
ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶
/ 大崎善生



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