就職一年目と在宅と夜に歌う歌
お久しぶりです。
春に(もうなんか夏っぽいから春に、とか言っちゃう)
大学院を修了しました。
マスターになりました。
そう、遠回りマスターです。
一見、現役で大学に入学し、そのまま大学院に進み、休学も留年もせず修士号を取得したのは順調と捉えられるかもしれませんが、
その前途多難なボロ布系蕎麦(前回の記事を参照)のような学生生活は
遠回りばかりしてきたように思います。
なにかと納得しきれず手が止まり悩んでしまうことが多々ありました。
美大生が考え込んで手が止まってしまうということは、
作品ができない、ということになります。
考えていることはあるのに形を作れなくなってしまうのは
存在意義がなくなってしまうようで苦しいことです。
そういう苦しさを感じるような環境だったし、
わたしも作りたいのにつくる手が止まることは悔しく情けなく淋しく不安でした。
悩んだり考えたりしても作るエネルギーを持ち続けられる人もいると思います。
そういう人を素晴らしくも思うし、正直なところ妬ましくも思ってきました。
常々、教授には、頭で考えると苦しいから手で考えなさい、
ものに触れ造形の中で思考するように、
作品から離れてしまわないように、
というような内容の言葉をかけられていました。
わたしの、考えることと作ることが同時に行えない、
どちらかというと考えるほうに吸われていってしまう様子を
気にしてなのか、ポリシーなのかは判断しがたいですが、
いつもいつもわたしは一度立ち止まってしまうのでした。
それは作ることが嫌になったからではなく、
手を動かし存在をつくり出すことに自信がなくなってしまうから
ということが最も多かった要因だと思います。
ものを作ることは、存在を生み出すことなので、
この、ここにある、素材を、空間を、時間を刻んで、見えない血を流していることだとわたしは考えています。
そういう、ある意味残酷で感動的なことをやっているので、
この一手をわたしが打っていいのだろうか、
このまま進んでいいのだろうか、
という作品に対する自分への自信のなさが
いつもわたしの足を引っ張って引きずり回すのでした。
そんな風に悩んでばかりなのですが、
ある時に、知り合いの展示のレセプションパーティーで
ギャラリーの繋がりの作家さんから言われたことがあります。
「paintingは逃げない」
その言葉がものすごく腑に落ちたし、救いになりました。
paintingは逃げないし、sculptureも逃げない、作品も、美術も逃げていかない。
少し立ち止まって考えていたって、描いていた絵が消えてしまうわけじゃないし、彫った形が溶けてなくなるわけじゃない。
離れても戻ってくることはできるし、離れて考えた分大きな収穫があったり、多角的な視野が持てたりするのかもしれない。
それからは、むしろ手が動かなくて苦しくて辛くて惨めで…というようなダークな期間が減って、
ペースは遅々としてでもコンスタントに、段階的、展開のある制作に変化してきているように感じます。
やっと手で思考することも何となくつかめてきている気がします。
手は止まっても、作品をじっと見ていたり、作品のある空間で考え事や書き物をするようになっていきました。
ものは作りたい、イメージをかたちにしたいけれど、
造形にはそんなに執着がないのかもしれない、というふうに自分を分析したりもできるようになってきました。
(以前は造形が下手くそだというコンプレックスも強かったし、造形することが何となく怖いこと、コントロール=支配のようなイメージを持っていた)
自分に対しては自信のないままですが、
主にふたつの方法で何とかやっています。
1.ヘラヘラすること
これは度々言っているけど、本当に良くて、
ヘラヘラと揺らいでいると、視野が広がるので、別の道がみえたり、自分を許せたりして、もうだめだ~!と真っ暗闇にはならない。
2.自負をもってなんとか自分を納得させること
これは思い返せば美大に入る前の高校生の頃もやっていました。
受験を前に自信が持てなくて不安定になってしまっても、
やってきたこと、今手にあるものを見返して、
今積み重ねてきただけの分の自負は持たなければならないな、と
自分を否定しすぎないようにしていました。
否定しきれない自分になるようやっていれば、
自信!というテンションにはなれなくても、否定できない、という名の肯定ができるようになります。
そのために、否定してしまいたくなるような部分をフォローアップするというか、強化するための修業をしていました。
他者から見たらわたしはまだまだ下手くそのままヘラヘラしている人(やばいな)なんだけど、
わたしの中では全否定しづらい自分になりつつあるので良しです。
このように超マイペースなので、まだまだまだまだ、これからなのですが、
なんとか、ちいさくてうすい希望を辿りながら生きていけたらなあとぼんやり考えます。
何とかやっていくためにいろいろ工夫しているわけであって、
全然無敵ではないので、
今後もどん底にガンガン進んでしまったり、ガクッと落っこちたりして
もうだめだなと首を吊ることや海に入水することもある程度イメージができているのですが、
そうならないようにヘラヘラ細く長く、揺れていようと
強く思うのでした。
タイトルと関係ない話で2000字も使ってしまいました。
修士号を取って、いまは研究の場で仕事をさせてもらっています。
まだ何もわからないまま在宅ワークなので、
ほぼプーです。
プーなので心と時間に余裕があるのですね…。
この精神状態を維持したいものです。
わたしのボロボロになりつつ何とかギリギリやってきたことが
苦しくなってしまった人に
溺れたときの浮き輪のような、
引っ張りあげることはしてあげられないかもしれないけど、
なんとか沈まないようにしていられる浮き輪ぐらいを
投げられるようになったら良いなと思います。
これはエゴなので。自負のためのね…。
誰かを救えたら誰かを救えたという自信が持てるというようなエゴイスティックなやつなので。
困っている人はエゴ野郎をうまく利用してwin-winになってください。。
来るものはすぐには拒まずです。
タイトルにある「夜に歌う歌」については
また別のトピックとして書きたいと思います。
夜に、夢の寸前のラインで横たわり、曲作りをしている日があるのです。
この夜の「寝ぼけて」いる時間がわたしは本当に愛しくて好き。
そろそろ本当に寝ちゃおう。
おやすみなさい、今日。