第6回毎月短歌 中森温泉選 選評
はじめに
お世話になっております。
中森と温泉で中森温泉です。
よろしくお願いします。
第6回毎月短歌の人間選者として、「2023年の自選」330首、テーマ詠「肌」170首の中から、それぞれ、特選1首、準特選2首、佳作7首を選ばせていただきました。
2023年の自選
特選
松屋で見知らぬ人と相席になる。同年代の男性同士ならば兄弟に、年が離れた者同士なら親子に見えるが、実際はただ居合わせただけの他人同士だ。しかし、見知らぬ人を含めて「俺たち」と主体がくくるのは、松屋に来ている人が自分と同じような生活(おそらくは生活にさほど余裕のない生活)を送っているという想像からのシンパシーによるものだろう。「家族に見える」という客観的な視点を表現した「贋作」という言葉の選び方が丁寧で景がはっきりと浮かぶ。
準特選
花冷えは、桜の花が咲くころの寒さ。春先は、就職、異動、進学などの変化イベントが多く、心がざわつく季節。「できるだけ透明になってやりたい」という感情は、自分の心を守るために、自分の存在をなるべく消したいという意味に感じたが、人間は死以外に完全に消え去ることはできず(死ですら一定期間は自分の存在は誰かの心に残ってしまう)、完全な透明ではないスープ春雨の比喩が的確に効いている。「花冷え」の一語で季節の特定がされているのも秀逸。
サイリウムは、アイドルのライブでファンが折って光らせ、アイドルを応援するもの。かっこで括られた言葉は、ファンからアイドルに向けられていると読んだ。アイドルとファンの関係性上、ファンは盲目的に推しているポーズをとり続けないければいけない。ゆえに正直な感情を発する言葉は心にとどめられる。しかし、サイリウム折るという暴力的な行為に一瞬だけ本音が表れている。
佳作
「シオマネキ」は、オスの片方のはさみが大きくなることで知られるカニ。ジャンケンという明確に勝敗のルールのあるゲームでの勝利のために、間違った努力をしているところに、愚かさの擬人化の企みがある。
東京の繁華街の喫煙スペースが浮かんだ。確かに、人も車もたくさん行き交っているはずなのに、喫煙だけを目的に集まった猛者たちは煙をくゆらすことだけに集中しており、妙な静寂に支配された亜空間となっている。
期待は諸刃の剣である。期待に応えて結果を出せば、期待がなかったときよりも大きな称賛を得られるとともに、期待を裏切れば、失望や怒りも倍増する。下の句「何もない日のいちごのケーキ」は、誕生日とか結婚式とか慶事に幸福の象徴として食べられるわけではないもの。期待の重圧に不安を覚える主体が、フラットな気持ちを取り戻そうとしているよう。
「わたし」とわたしの一部である「わたしのみみたぶ」。祝福を受けることは喜ばしいことだが、存在全体に向けられるものとその一部だけに向けられるとなると意味が変わってくる。淡々とした文体がその残酷さを際立たせている。
ミモザサラダは、黄色いつぶ状の卵黄が、雪上に咲く春の花ミモザの花のように見えることが名付けられたサラダ。ミモザサラダを分け合っているのは、主体を含む離職した者の同期同士だろう。分け合う者たちの同期への感情は明示されていない。しかし、さまざまな食材が一緒にされているミモザサラダのような複雑さのある感情が暗示されている。その感情も分け合うような描写に「同期」という存在のおもしろさがある。
小さなピノのピックを突き刺して、そこが自分の墓になればいいと思う。ささやかな行為と願望のようだが、かなり大胆な発想。「いつの日か」「なればいい」の「い」、「ピノのピック」の「ぴ」、「月に突き刺す」の「つき」が重ねられた音のリズムもいい。
オオカミは、童話において悪役や危険のモチーフとして登場するもの。そのオオカミが森にはもういない。オオカミの存在により生命の危険を感じていた者たちにとって朗報だろう。一方、オオカミの存在・不存在によって、命そのものの変化があるわけではない。寓話的な口調が印象に強く残った。
テーマ詠「肌」
特選
寂しい性愛の場面と読んだ。肉体を重ねて一つになることでひとときの寂しさを紛らわすことはできるが、その身体の冷たさを隠すことはできない。「ひとつ」「四肢」の数表現が重なりあう。初句6音から始まって、2句目3句目の句跨りから、下の句の定型に収まる調べに情緒がある。仮名の開き方も余白が感じられて技巧的な巧さも光る。
準特選
0歳の子の肌の感触と5歳の子の肌の感触の違いを「苦労」のせいにしているところに面白みがある。まだ自意識もはっきりしないうちから、生きていれば苦労はしているはずで、それにより肌も硬くなっていく。5/6/6/6/7という変則的な音数だが、上の句と下の句が明確に分かれ、初句と結句が定型であることで独特の調べに心地よさがある。
風邪をひいて寒気に逆なでされているような違和感がある。その感覚から肌が鱗になり、龍となるというイメージに身体が変容していく姿がスムーズに立ち上がってくる。「病龍」というインパクトのある言葉も印象的。2回ある1字明けが、場面転換をするような構成も魅力的。
佳作
「ぬかるんだ」ところに「裸足のまま」で「不時着」したような抱擁だという。随分不意で、不安定だ。抱擁や祝福をあらわす態度だが、主体は主体に実感がないような描写がピンポイントで実感がある。
進化は不可逆であり、我々人間が鳥になることはないはずだが、主体はずっと続く鳥肌から常識を疑っているというユーモラスな情景だが、鳥肌が何日も続くのは自律神経に異常がある可能性が高いので、早く病院に行ってください。最悪、動物病院でもかまいません。
自室にひきこもっている主体が浮かんだ。誰とも関わりたくなくて、すべてを拒絶する中、母親の存在も、体全体を受け入れることはできず、さしいれをする手だけを母として認識する。「ざらついた手」には、苦労をかけていることへの自責の念も透ける。
仔犬と過ごす穏やかな時間。仔犬がめいっぱいまとった陽だまりが主体の肌にも優しく移る。「なでる」という動作が直接的な肌の接触をしていることで、温もりも伝わってくる。
「(コスメを)さす」が鋭い。冬の空気は乾燥していて、肌には辛い季節。実際のコスメの効用だけでなく、新作のコスメの使っているというメンタル面での最強さもある。結句の「裂く」で「さして」とサ音でつながるリズムもいい。
治安悪化の原因ははっきりしている。しかし、街では賑わいと反社がつきものであるように、治安を悪化させてでも必要なことがあるのだ。年始が終わり、日常が始まればまた治安は戻るだろう。そしてまた次の年始に治安を悪化させよう。
「してね」ではなく、「しなね」である。肌を緑色に塗る我が子に呆れながら言っているようにも、なかなかの圧をかけているようにも聴こえるところにおもしろみがある。「みどり」がひらかれていることで、子供の絵のイメージに合うところも巧い。
おわりに
印象的な歌が多く、悩みに悩んだのですが、その中でも特に心に残ったものを選ばせていただきました。
改めて選んだ歌を読むと、生活に根ざした歌から、詩的な歌まで、さまざまで短歌の奥深さを改めて感じました。
たくさんのご投稿ありがとうございました!
一旦やめさせていただきます。