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短歌五十音(ち)千種創一『千夜曳獏』

生活と詩

2024年4月28日(日)20:00

マッサージに2日連続で行ったが、疲れが取れない。違うマッサージ店に行ったのだが、どちらでも「全身のコリが固すぎて、指が入らない」と怒られながらごりごりに押され、ほとんど拷問みたいに苦しみながら施術を受けた。

短歌五十音の自分の担当の公開日が次の土曜に迫っているが、まだ10ページくらいしか読めていない。

千種創一さんの「千夜曳獏」。

池袋のジュンク堂で手に取って、かっこいい装丁にしびれて購入した。
4月のはじめに読もうと思っていたのだが、3月から4月にかけて本業があまりに忙しく、空き時間である通勤時間も、Spotifyでカラタチの最果てのセンセイ!とYouTube Musicでアイドルとヒップホップのシャッフルを聴くことしかできない。

詩を読んでも、脳が弾くのだ。

しかしもう1週間前だ。そして、読みたい気持ちは確かにあるのだ。
現実を忘れたくて昼過ぎから酒を飲んでいたが、うまく酔えず、悶々としながら寝室で本をひらく。しかし頭に入ってこない。
あきらめてスマホを眺める。衆議院補選で立憲民主党がゼロ打ちで三タテ。熱狂するXのタイムラインを見ながら、3分の2が世襲じゃねえかとかいらんことばっかり浮かんでくる。

今日はもうダメだ。

2024年4月29日(月)5:00

首から肩にかけての痛み・違和感は残っているが、全身の痛みはだいぶ減った。今日も休みなのはありがたい。
どんなに疲れていても長く眠れないことの副産物として、キャッシュがクリアされた朝がある。
ゴミを出して、湯船につかって、「千夜曳獏」を読みはじめる。

もっとあなたは積極すべき。そんなゼリーみたいなジャムじゃなくてさ

『つじうら』

春雷で目が覚める おすすめのカフェにいく 僕もいつか死ぬ

水文学すいもんがく

1首目、「積極する」という言葉遣いが印象的。消極(⇔積極)の象徴としてのゼリーみたいなジャムは、こだわりのない日常のアイテムの一例だろうか。

2首目、「目が覚める」「カフェにいく」「いつか死ぬ」という3つのことが並列に並んでる。確かに、これはいずれも単なる現象であり、自然的には並列である。「死」に大きな意味を持たせる人間の思考を無効化するよう。

春雨のスープをあなたは混ぜているゆっくり銀河を創るみたいに

『越えるときの火』

きんぎょとは火の魚だと説くときに焦げだす良心のかけらは

『越えるときの火』

蛍、千年後も光ってて 終電に向けてあなたの手を曳いている

『越えるときの火』

1首目、細長く透明な麺がスープを揺蕩う様子が、宇宙に重なる。「ゆっくりと」に創造主としての敬虔さがある。

2首目、きんぎょは、火の魚ではない。ただ、火の魚であると言われても、鮮やかな赤やオレンジに包まれた姿の比喩として違和感があるものではない。しかし、比喩は、とりわけ直喩は、事実とは異なるものであることに違いない。ささいな比喩で良心が溶けてしまう私たちに、もう良心は残っていないかもしれない。

3首目、前段は主体の蛍への祈りが詠まれているとして、後段の主語はなんだろう。「終電」は、夜遅いものの、一日の終わりのアイコンとして機能する。どんなにハードな仕事でも、どんなに楽しい飲みの席でも、一定の時間的区分ごとに終わりがあるから、繰り返すことができ、持続可能性がある。「千年」という時間は、「終電」が途方もなく繰り返した先にある。

1時間ほどページを繰りながら物思いにふけっていると、詩がするすると体に満ちていく。
生活の場面やアイテムから、イメージの世界に自由にはばたく歌は美しい。
生活にからめとられていると何も浮かばなくなる私はつくづく詩人じゃない。

2024年5月1日(木)6:00

体がしんどいし、頭痛がひどいが今日も仕事に行くしかない。
案件を終わらせても終わらせても、上司が新しい案件拾ってくるの、業務量的にマジでしんどいし、拾ってきたわりにケツ持たないとか、だからあんた慕われねーんだよとか悪態を心の中でついて、最小限の対応で更地でお返しすることの繰り返し。
若くてやる気のあるチームメンバーの意欲と成長を阻害しないため、そういう仕事は自分で引き取るけど、まあもう老害の入口にいるので、上に噛みつき、下に優しくの精神で生きてくしかないわなあ。

黙想にそれぞれの息切れていて、夜の工業地帯みたいだ

『砂斬り』

有り得なくなった未来に 冷暗にしじみの群れの夢は短く
灯に透かす金魚掬いの紙の膜、儚い力に張り詰めている

『ミネルヴァ』

読み手の体調により、刺さる歌は変化する。とりわけ今日は染み入るような歌が響く。

1首目、黙想は、黙って考えにふけること。運動をしているわけではないから、体力的に息が切れることはないが、思考を高めていくと呼吸も浅くなり、息切れをする感覚はよくわかる。静謐な空気の中で白い煙を吐き出しながら、ハードな工程を工場内で行う工業地帯の雰囲気がきれいに重なる。

2首目、3首目、命の短いものとしてのしじみ、簡単に破れてしまうものとしての金魚掬いの紙。短いもの、弱いものには、その儚さゆえに抒情があって、相対的に強者にある人間も、自然界や宇宙との比較では儚い。

駅前に来て手をほどく、ほどかれる、朝日は正しすぎる暴力
枯れるのが悲しいのなら新しい花束を買う、絶やさずに買う

『ミネルヴァ』

すげえとか少しの語彙で雪だとか梨とか磁器とか愛を語った

水煙草森すいえんそうりん

繰り返す毎日は、有無を言わさずやってくる。その様式は、極めて暴力的であるが、それゆえに昨日と今日が切り離されて、私たちの心にこびりつくものも取り除かれる。
心が弱っているとき、人は被害者しぐさや抒情の肯定に逃げがちだが、それを反転させる方法はいくらでもあって、新しい花束を買わないことをあえて選択していることに自覚的でなければならない。
言葉はいつも不正確で不足する。本書の扉に記載のある「話し足りないというのは美しい感情だ。」という言葉が立ち上がってくる。私たち人間は言語を用いてしまうことでもともと不足するようプログラミングされているのだ。

2024年5月2日(金)10:00

暦通りの勤務なので、今日から4連休。
しかし、休日対応の可能性があり、職場のパソコンを持って帰って、1日2回チェックする必要がある。
おそるおそるPCを開くと、昨日の夜に対応したメールに返信が来ていて、次の対応は連休明けにあることが書いてあり一安心するが、どうなるかわからんので、あまり考えないようにする。

誠実はときに賢さから遠い 果ては石垣だけが残って

『リッツカールトン』

人生は何度あっても間違えてあなたに出会う土手や港で

『Re: 連絡船は十時』

思い出に厚みはあって、たとえば、深夜のだし巻き卵とか

『眼と目と芽と獏』

なるべく誠実でありたいと思いながら仕事をしている。しかし、1首目にあるように、誠実さと賢さは反比例することがある。誠実に対応すればするほど、泥沼化するケースは、不誠実な対応となったとしても早めに手を引いた方がお互いのためになる。しかし、大体そううまくはいかず、家が台風で破壊されながら、残った石垣を眺めながら疲れ果てて倒れている。

2首目、根拠のない確信に基づく言い切りがいい。

3首目、思い出にある「厚み」。だし巻き卵の厚みはちょうどいい。だしのいい香りまで感じられる。なんでもないことがいい思い出として残っている生活は、いい生活だ。

選ぶ歌が優しさのある歌になっている。
つくづく仕事に向いてない。
今日は、掃除とゴミ出しと日用品の買い出しをする。

2024年5月3日(土)0:30

全身が痛い。
朝のちょっとした回復感は連休への期待感からの幻想に過ぎず、午前に日用品の買物をしている最中に吐き気がして、途中で帰ってきた。残りは明日以降。
結局、月曜は出勤することになったので、3連休。それでも休めるだけいいと思う。
結局中途半端な家事をして、一日は終わった。
今年40歳になるのだが、如実に体力が落ちている。
寝つきが悪く、横になって、「千夜曳獏」を読み始める。

永久に会話体には追いつけないけれど口語は神々の亀

虹蔵不見にじかくれてみえず

口語は日常的な会話で使われる言葉遣いだが、文章になったときには、会話そのものではなくなる。しかし、口語には口語のよさがあり、会話そのものとは異なる意味や魅力がある。むしろ文章による伝達が主となる世界では、口語こそ神のからのギフトである。

美しい嘘だけを吐き生きていたい冬の柑橘むけば真冬の
手に注ぐ銀貨のように雪の降る砂漠、手のひら、もう会えない
岸へ来い。死海は死んだ海なのに千年ぶりに雨が降ってる

『ユダのための福音書』

キリストを裏切ったユダに関する断片的な物語が詞書的に添えられた一連。
裏切りの日、そして裏切ったあとの苦悩を追体験しながら、生きるために欺瞞や方便にまみれた日々を送る自分に、物語が、歌が、刺さり込んでくる。

千夜も一夜も越えていくから、砂漠から獏を曳き連れあなたの川へ

タイトルにつながる一首。
獏は、夢を喰う幻獣。
歌集の収録された歌では、繰り返し「あなた」という存在が登場する。
主体との距離を微妙に感じるあなたに対して、主体はどんな状況でも獏を連れていくという。その態度には、日常や現実を超越した感情が感じられる。

埋葬と理解 大人はまぶしさの中でも僕ら歯を磨かなくては

『至 空港』

隙間から更地がみえる。さみしさを怖れるな。さみしさを誇るな。

『暖かさと恐ろしさについて』

エクレアのフィルムをひらく潮風も希望もそこに乱反射して

『いつか坂の多い街で暮らしましょう』

ああ、もう歌集が終わっていく。
生活の中に詩がある歌を読みながら、私から見える家の中や街の景色が、少しゆがんだり、色づいたり、逆に色を失ったりする。

生活に詩は必要だ。
詩とともに生活ができるくらいの余裕のある人生を送りたい。

次回予告

「短歌五十音」では、初夏みどり、桜庭紀子、ぽっぷこーんじぇる、中森温泉の4人のメンバーが週替りで、五十音順に一人の歌人、一冊の歌集を紹介しています。

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お読みいただきありがとうございました。
本稿が、みなさまと歌人の出会いの場になれば嬉しいです。

次回は初夏みどりさんが塚田千束さんの『アスパラと潮騒』を紹介します。
お楽しみに!

短歌五十音メンバー

初夏みどり
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桜庭紀子
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ぽっぷこーんじぇる
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中森温泉
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