まずは前回の続きから始めよう。
『ジャズ大名』愛知・刈谷公演の中止の報を受け、バンドメンバーはその場ですぐに機材を片付け始めた。最初はその翌日に機材バラシの日を設けることになっていたので、ある程度まで纏められれば、と思っていたのだが、そのある程度までになってくると、もうこれはきちんとトランポ出来る最後の状態までやってしまわないと気が済まなくなり、速やかに作業を終了した。これで翌日はただ東京に戻れば良いのだ。そして急いで駅の窓口に行き、チケットの乗車変更をする為の列に並んだ。私の前に並んでいるのは一人だったが、窓口で対応している方がかなり時間がかかっている。10分ほど気長に待つが、時折聞こえてくる駅係員との会話はなかなかに面倒で数の多い乗車変更のようだった。まあ自分は一人だから、翌日のホテルチェックアウト時でも構わないか、なんて考え始めた頃にその窓口の対応が終わった。その方は問題なく要件が済んだようで、時間がかかってしまった旨をこちらに謝った。ああ、今回のスタッフの方ではないか。かなりの数の乗車変更を請け負ったようで、それはさぞかし大変だったことだろう。お疲れ様でした、と声をかけ、私の前の方はものの一分ほどで要件は済んだようで、直ぐに私の番になった。
与えられていた新幹線の復路の切符は名古屋経由の新幹線のぞみ号だったが、名古屋までの在来線は東京に背を向けることになるので、時間としては少し短いのだが、これはどうも釈然としない。刈谷であれば、やはり東京方面に向かうべきと考え、豊橋経由のひかり号に変更し、差額の千数百円を受け取った。今夜の飲み代の足しにでもしよう。
バンドメンバーの全員では無いが、比較的安価な居酒屋に入る。このくらいの価格だとやはり若者が多く、いささか喧しく、活気があるが、この日は成人式後の初の週末だった。トイレの前にうずくまっている若者も見かけ、ああ、自分にもこんな時があったな、と微笑ましくなる。
公演中止で残念なことになったが、今宵は酒で軽く流そう。これだけの人数が関わっているプロジェクト、感染症の危険は誰にでもあるのだ。そして、この騒がしい店を後にした。ただ少し飲み足りないので、宿に戻る途中のコンビニエンスストアで酒を調達し、軽く少人数で部屋飲みと相なり、他愛もない話で笑う。ビジネスホテルのシングル部屋で数人で酔ってると、大体どんな話でも楽しい。
さて、私は煙草を欲してきたので、早々と自室に戻る。とは言えもう0時はまわっている。酒は半分ほどの焼酎のワンカップが残っており、就寝のためには十分な量であった。エレベーターで自室の階に上ると、少し声が響いている。どうやら私の部屋の方である。部屋の鍵を開けようと立ち止まると、その声は向かいの部屋ではないか。ここは喫煙フロアで、おそらく役者さんの誰かの部屋であることは容易に想像がつき、すぐにノックする。話し声は一瞬収まり、キョトンとした顔でガタイの良い男性が扉を開けるが、すぐに笑顔になる。今回の役者さんの一人で、私は手持ちの焼酎ワンカップで乾杯の仕草をした。部屋に通されると、思いの外に人数が多かったのだが、とにかく歓迎された。リハーサルから三ヶ月ほど現場でものを作り上げてきた仲間だ、話も弾む。そして、私はこのスペースの無さを顧みずにバンドメンバーにも声をかけた。
結局、夜が開ける頃までとなり、チェックアウトは一時間延長したが、予定どおり東海道本線で豊橋に出る。ここでは昼食を摂る予定で新幹線の時間まで小一時間は設けていたのだが、間違えてなじみのない駅反対側に降りてしまう。少し戸惑ったが、駅前の中華屋でビールとラーメンにした。食い終えて東京に戻った。
一週間後、『ジャズ大名』は最終公演の大阪は高槻に降り立つ。バンドのみのリハーサルから既に漲っている。前回の中止からの大千穐楽なのだ、自然とそうなる。
ここ大阪は北摂の高槻市には何度か演奏で訪れているのだが、かなり前のことなので、ホールに向かう途中の車窓から街を眺めても、記憶は蘇らずとりあえず後回しにする。初日のリハーサルを終え、宿近くを少し歩く。なんだか随分綺麗な街になったようで、またもや記憶の中の街とは違う。ひとまずバンドメンバーで少し小綺麗な居酒屋にて喉を潤した。
翌日は夕方からの全体リハーサルなので、散歩に費やす。宿を出て左に大きな鳥居が見える。ひとまずここで初詣ということにしよう。境内を進んでいくと、数々の説明書きのパネルが目立つ。ちょっと過多で趣に欠けると感じたが、後にこの上宮天満宮に関する幾つかの出来事を知ると、その行為も頷けた。ここでは太宰府の次に古い天満宮という情報のみにとどめよう。
参道を下り、街に出る。ただ昼食というほど空腹を感じていないので、気の向くまま歩く。交通量の多い広い道の向こうに少し古びたアーケード街が見える。自ずとそちらに足がむく。芥川商店街。JRの駅を背にして進んでいくと、昆布店があった。大阪の街中で昆布店を見かけると、あの四角い塩ふき昆布を必ず買うことにしている。これとほうじ茶で茶漬けをすると、食事はこれだけでいいような気にもなるくらいの好物なのだ。というわけで、ちょっと不揃いな安価なものを購入。
もう少し進んでいくと、西国街道に突き当たり、そこでアーケードは無くなる。道なりに南に進んでみると、日常でありながらも風情がある街並みとなる。この酒屋、角打ちだったら間違いなく扉を開けていたな。
その酒屋の脇の狭い道を行く。人がすれ違うのがやっとだが、普通に往来がある道だった。
倉庫の意匠にも目をみはる。もうちょっとした観光気分にもなる。
この焼肉屋も良いではないか。開店していたら、確実にホルモンとビールだな。
さて翻ってJR高槻駅に向かい、そのまま反対側の南口を降りる。松坂屋が目に入ったところで、この場所を少し思い出す。さらに進んでいくと阪急高槻市駅があり、ああ、この辺りが私の記憶のこの街だったということに気がついた。しかし昼間からそこそこ誘惑の多いところではないか。が、ここは我慢で夕方からのリハーサルに備えた。
ホテルからバスで会場に向かった。どうやら昨日とは違うルートだったようで、かつての高槻の記憶がまたも少し蘇った。国道から少し奥まったところにある駐車場の広い「餃子の王将」は未だにあり、これで色々思い出した。この辺りの滞在のときにはこの王将でよく飲み食いをしたのだ。そしてこの辺りの滞在というのは、この隣の今はもう無い「たかつき京都ホテル」のことで、ここは重信房子氏が逮捕された場所。私はその直前にここに宿泊し、東京に戻ってからニュースを見て驚いたことはよく覚えている。その所為でもう閉業してしまったホテルの名前まで記憶していたのだ。それだけで胸のちょいとしたつかえは無くなり、ホッとした。
リハーサルの後は、軽く焼きとりとビール。実は東京でも最近見かける焼きとんのチェーン店なのだが、ここでは鶏ということで入ってみる。関西はやはり焼きとり文化らしく、このチェーン店もそれに則ったのだろう。しかしだ、どうもタレの味が私には濃い。なので2本目からは塩にした。もしかしたら関東の店の焼きとんと同じタレなのかもしれないが、これはこれで少し珍しく、また好む方もいるだろう。
大千穐楽の後は、すぐに機材をまとめ東京に帰るので、本番1日目の昼夜2回公演の後に、ほぼ全員で大打ち上げの状態となる。もう閉店だよ、と言われながら、その後も随分飲んだようだった。阪急、JRと駅を二つ越えたのだが、記憶が曖昧だ。もしかしたら、少し道に迷っていたのかもしれないが、既に人気のないアーケードに役者さんの声が響き誘導され、いつの間にかホテルにたどり着いていたような気がする。
『ジャズ大名』最終地の高槻、本番二日間3公演、本当に充実した、そしてなんだかとても解放された舞台だった。もしかしたら再演もあるのかもしれないが、今はこのプロジェクトに参加できたことを大変光栄に嬉しく思っている。そしてバンドの一員としては何より音楽監督の関島岳郎さんに多謝!
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