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「生の自分」を変形させる生き方と場の力

抑圧(変形させる生き方)と身体的な症状

10日ぶりにnoteを書く。先週はずっと頭痛が続いていて、とにかくそういう時はパソコンもスマホも見るのは辛いので、ただただ寝ていた。

体調が悪い時に無理をしなくなったことは随分な変化なのだけど、自分が感じていることとして、生理中というのは抑圧しているもの・隠れているものが表に出てきやすい感覚がある。

よく生理中に「イライラする」とか聴くけれど、それはきっと普段の抑圧の度合いにもよるのかなと自分を顧みると感じる。ADHD/ASD的な性質も、その時には大いに出やすい。

つまり生理の時ほど、「生」の自分が出てきやすいのかもと思う。だからそれを忌み嫌うのか、チャンスとして出会うのかというのでも随分と生理との付き合いって変わる気がするなと。(忌み嫌っているから抑圧する訳で、チャンスと感じられるというのは簡単ではないと思うけれど)

これはただの考察だけれど、ADHD/ASD的性質の方のTweetを見ているとPMSが酷いとか、身体の緊張が強過ぎてマッサージにお金がかかりすぎるとか、本当によく見かける。私も20代は、週に少なくとも1回〜2回はマッサージを受けていないと動けなかった。少数派の人は、自分を変形させている度合いがやっぱり強いように感じる。

身体の緊張は、姿勢や骨格のズレなどいろいろ言われているけれど、やっぱり「自分を変形させないと」とやっている人の緊張はすごいものだと思う。自分では無いものになろうとするほど、「生の自分」を抑えようとして身体も常に緊張状態に。

そして身体の緊張は呼吸を浅くし、全体の循環も、自律神経もうまく巡らなくなる。身体は冷えていくし、色んな疾患が出てくる。そうすると当然また心も・・・と、生命感溢れる循環とは逆の抑圧循環に入っていく。

かくいう私も鍼の先生から、肋骨の異常な変形について、どうにも外的な要因ではこういう変形・癒着の仕方はしないな、ということを言われたことがある。自分を変形させる生き方というのは、ここまで身体にも影響があるのだ。


そのままで居られる場が必要

じゃあ「抑圧しなければいいよね」なんていう簡単な話でもなく、抑圧というものも、必至に生きる為に無意識に編み出したもの。

リラックスしましょう〜と言われても、リラックスすれば抑圧したものが出てきてしまうから恐ろしくてリラックスなんておちおちできない。笑

大切なのは「ただリラックスしましょう」ではなく、リラックスした時に表出してくる生々しい自分も「変えたり隠したりする必要なんてないよ」ということを体験し続けていくことなのだと思う。そうすれば自然にリラックスは起こる。

でもそれにはまず、人と関わる力というか、場の力が必要だなと今はすごく感じている。たった一人で書き換えていくのはかなり難しいから(私はそうだった)。

なにしろ、人に受け入れられる為に、愛される為に編み出した「抑圧」なので、人との関わりの中で解いていくことがとても助けになるのだと思う。


そういう、本当に「そのままで居てもいい」という自己一致で生きている人やその生き方に触れること、そしてそういう場があるなら、それを経験すること。

生々しい自分、人間らしい自分を隠さなくてもいい場所を少しずつ見つけていき、そこでそのままの自分でも否定されないことを体験し、

その感覚を日常に持ち帰り、日常の中でまた一歩ずつ「変わらなくてもいいんだ」を積み重ねていく。

そうしていくと、変わるというのは「自分という性質を変形させること」ではなくて、「自分という存在を眺める視座が変わる」ということなのだと思えてくる。


最近はこんな風に、人と関わる力、場の力を感じることが多い。なので、場について感じること、どんな場をつくりたいかなど、次の記事に綴ってみたいと思う。

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