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私道かぴ「9年に一度のお迎え(3日目)」


吉田神社祭典を見に山神社へ向かう。鈴木さんの車に同乗させてもらい、塚原区民会館へ着いた時には雨がぱらぱらと降っていた。「これでもやるんですかねえ」「やるでしょうねえ」と話していた通り、遠くから太鼓と笛の音が聞こえてきた。
一行が列になって歩道橋を渡って坂を下りはじめる。みなレインコートを着ていて、最初に笛、つぎに中太鼓、その後ろに大きな太鼓、まわりを笛、鼓を演奏する人たちが歩いている。太鼓にも鼓にもきちんとビニールがかけてあった。近くにいた男性に「どこまで行くんですか?」と聞くと、農協まで行ってそこでバスに乗ると言う。

色々なところから聞こえてくる会話がおもしろい。
沿道で傘をさして見ている女性たちは「久しぶり~」と言いあい、お囃子の列に沿って歩いている人たちは「レインコートあつい」「もう脱ぎたい」「JA着いたら脱いでもいいよね」などと話している。そんな会話の合間にも「そーれ」という合いの手は外さない。
また別のところでは男性が拡声器をばんばん叩いている。「電池がないのかなあ」「なんだあ、使えるようにしとくって言ってたぞ」など不満を言っていると、キュイーっと鳴って使えるようになった。せかせか歩いていた人が、レインコートを着ていない男性に「なんだお前かっぱ持っとらんのか」と言って新しいものを渡している。
子どもたちがお賽銭箱を持って回っていて、沿道の観客に寄付を募っている。お金を入れてもらうと「ありがとうございます」と言って傍らにいた子が榊を振る。男性が来てお神酒を振る舞う。あちらこちらで挨拶が交わされ、終始和気あいあいとした雰囲気だ。

歩いていると、数日前の練習の際に挨拶をした副会長が来て、「一番前行って写真撮ってよ!」と声をかけてくれた。「俺の太鼓叩いているとこ撮ってほしかったなー」と笑う。「太鼓めちゃかっこいいですねー」と言うと、「叩く?」と茶目っ気たっぷりの笑顔。冗談でも、よそ者であり女性の姿をしている人間にその言葉が出る懐の広さに感動する。

しかし、数分後それが冗談ではなかったことがわかる。「こっちこっち!」と連れられて向かった先では、鈴木さんが中太鼓を叩いていた。「はい!」とばちを譲り受け、見よう見まねで叩いてみる。独特のリズムが難しく前のひとびとを動きを真似る。隣で叩いていた男の子に「これって右手と左手、どっちで叩くか決まりあるんですか」と聞くと、「ないです。タイミングがあってれば(いい)」と言う。叩いていたら農協に到着した。

しばらくするとトラックがやって来て、そこに太鼓を乗せる。「なんだこれ雨漏りしてるじゃないか」「いや、それか今開いた時の雨粒だな」などと言いつつ、座布団を引いてその上に太鼓を運び込んでいく。

近くの女性が子どもに「これから富士岡に行って神様をもらってくるんだよ」と言っている。この「吉田神社祭典」は、その昔、塚原地区で疫病が流行った際に吉田神社の神様を貸してもらったのが始まりだという。交代で神様を迎えに行き、1年借りてまた別の地域に送り出すのだと言う。塚原と駒門は地域が離れているにも関わらずつながりがあるのがおもしろい。

「中老会、一号車に乗っていくよー」とアナウンスがあり、みなぞろぞろとバスに乗り込んでいく。
どうしようかと鈴木さんと話していたら、乗り込む人たちを見ている男性が目に入った。「これ何時に戻ってくるんですか?」と聞くと「14時頃」とのこと。乗らないのかと尋ねると、ここで祭壇をつくる係なのだと言う。「まわりに竹やってつくるだけだから、まあ30分くらいでできるんだけどさ。あとはずっと待ってる」そうだ。「この時期ってよく雨降るんですか?」と聞くと、「前回の送りの時は結構降ったね」と言う。もともとは五穀豊穣を願う意味もある祭りなのに、この辺りは田んぼ大きくしても米を作る若い人がいなくなってしまったからだめだ、と嘆いていた。

その後鈴木さんと富士岡小学校へ向かい、少し時間があったので駒門風穴に行ってみた。すると、門が締まっている。まさかの臨時休業。休みの日を見てぴんときた。「5・6日休み」…これはつまり皆が祭りに駆り出されているということ?

丁度向かいからおばあちゃん二人が歩いて来たので話しかける。「いやー気の毒だねーごめんねー9年に一度のお祭りだからさー」と言う。
…9年に一度?聞けば、神様の貸し借りをしている地域は9地区あるらしく、この地域が送り出しするのも9年ぶりだと言う。「近所のみなさんで風穴の受付やってるんですか?」と聞くと「そうだよ」とのこと。「風穴はすごいよー。ずっと行くと、富士山までつながってるって話でさ」「え!?」「まあつららとか危ないのもあって立ち入り禁止になってるんだけど。夏は涼しいしね」「昔からお客さん結構来たんですか?」「そうねえ、私は昭和61年にここに嫁に来たんだけども、もうその時から人結構来てたね」「冬はかえって暖かいしね。外は0度になったりするし」「何か生き物とかいるんですか?」「なんか白いエビがね」「エビ?」「なかなか出てこないけどね。ものすごく貴重なものだね。めったに見られないの。あといるのはコウモリだね」。

おばあちゃん二人はタクシーで富士岡小学校に向かうと言う。別れたあと、後から来た親子連れが「ええっ今日臨時休業!?!?」と悲鳴を上げていた。

太鼓の音のする方へ歩く。駒門地区は信心深い人が多いのだろうか、道祖神や小さな祠などが目に入る。民家の中に馬頭観音があって、きっと立派に養蚕をやっていた家なんだろうと思った。高速道路が近いので人間が歩いて渡れる道がなく、地下道路を使う。

小学校に入るともうお囃子の演奏が始まっていた。聞いていた通り、神様を送り出す(嫁入りさせる)地域、つまり駒門地域の男性たちはみな女装していた。駒門と塚原両方が同時に違う拍子のお囃子を演奏するので、真ん中に立つと頭がおかしくなりそう。昔はもっと競うように演奏したものだという。力強い太鼓と、高く響く笛の音がかっこいい。空にはいつのまにか青々と晴れ間がさしている。

真ん中で神事が行われる段になると、演奏が終わった。終わった後にはお互い見知った顔をみつけて「ああ!久しぶり」「元気してた?」とあいさつしたり、「こっちは人数が少ないもんでさーそっちが羨ましいわ」などと談笑したりしている。女装というのがいい効果を出しているように思う。「慣れねえもんでさー」とウィッグのほつれを女性に取ってもらっている人、婦人部の女性が男性を着付けしている様子などがほほえましい。そのうちに神事が始まった。各役所の人が榊をそなえ、あいさつをする。最後の禰宜らしき人の言葉がよかった。
「本日はおめでとうございます。高根地区の皆さんに、吉田神社のご加護がたくさんありますように。吉田神社の神様をよろしくお願いいたします」。
それに対し片方がこう応じる。
「塚原地区でも大切にお守りしていきます」

その後は婦人部の踊り、ちびっこたちの太鼓があった。お互いに、神様の送り迎えを通じて芸の送りあいをする。離れた地区の人々の幸福を願いあう、なんて素晴らしい風習なのだろうか。
富士岡小学校から塚原地区までは、調べると2時間20分かかると出る。この道を、車などなかった時代には、永遠とお囃子を打ち鳴らしながら神輿を担いで歩いたのだ。そこには、疫病流行る自分の地区をなんとかしたいという気持ちもあっただろうし、これからの生活への願いもあっただろう。時には神様のみでなく、お互いの文化や、お嫁さんをもらってくることもあったかもしれない(婦人部の踊りの奉納で、女性が円になって皆の前で踊るという特徴からそう感じた)。
そうやって、お互いの地区はかかわりあいながら今日までやってきたのだ。

塚原地区に戻ると、祭壇はきちんと準備されていた。思えば、神事が進行している間も、演奏中も、誰かしらゴミの片づけをしたり、食事を用意したりしている。男性も女性も問わずだ。花形だけが祭りをしているのではなく、こういった役割分担で支えられている。傍らに立って取材していただけの私にもおにぎりの振る舞いがあった。今はお店に注文しているものだが、きっとこれも昔はひとつ一つ握って待った人たちがいたのだろう。
農協でお迎えの神事をした後、お神酒のふるまい、休憩があった。かつて2時間20分歩いてここまで来た人は、どんな気持ちになったんだろう。その時代の「神様を迎える」とは、どういう心持だったのだろうか。
神事中、「やっぱ神社まで行かないと落ち着かないっすね」と言った人の声が耳に残る。

休憩後は、何本もの赤い旗を先頭に、塚原地区の中太鼓、神輿、大きな太鼓、子ども神輿、駒門地区の太鼓演奏と列ができた。どんどんと太鼓の音が地区内に響く。最初は神社の関係者が持っていた神輿を、「もう任せていいよ!」と言って塚原地区の人々が担ぐ。「わっしょい!わっしょい!」という声が響く。時々ぐるぐると回したり、揺らしてしばらく止まる。その度に沿道の人が「まあた時間かかるでなー」「なあに、20時までに着けばいいから」と笑っていた。

途中、公民館の前で休憩している際に、車誘導していたガードマンの人に質問した。「空に打ち上げられてる、あのパンパンって音は何なんですか?」。朝から時折聞こえて気になっていたのだ。あれは祭りの合図の花火だそうだ。区切りでああやって示すのだという。
聞かれたので素性を話すと、なんとその人は御殿場の観光ボランティアガイドだった。その後富士山信仰やニホンオオカミの話、茅葺の話など色々伺った。富士山が好きと言うことでむちゃくちゃ詳しかった。秩父宮公園で働いている方にアポを取ってくださり、火曜日に伺うことになった。土日にガイドされているそうで今回は日程が合わなかったが、いつか富士山のガイドしてくださいとお願いして別れる。

ふたたび出発した一行は、行きに下った坂を登り始めた。向かうは山神社。太鼓の音がどんどん大きくなり、いよいよクライマックスを感じさせる。坂になって少し遅れを取った際には「ちょっぱやでー!」という掛け声で早めの演奏に切り替える。
後ろからついていく関係者が「今年は早かったな」「順調だよな」「前回なんかひどかったもんな」と話しているのが聞こえる。「あのストトントンがいいよな」「うん、感じがいい」と相手の地区の演奏をほめる声も聞こえた。夕日が落ちかけているところに入って行く神輿は神々しさがあった。


列がすべて神社の境内に入ると、ぱちぱちぱちと大きな拍手が起こった。「あーよかったよかった、おさまった!」と女性たちの明るい声が響いた。


帰りは歩いて御殿場駅まで。田んぼの傍の水の流れの豊富さに驚き、お墓、祠などの多さに感動した。この辺りは昔からずっと信心深い場所だったのだ。先のガイドの人の言葉を思い出す。

「どうです、御殿場って意外とおもしろいところいっぱいあるでしょう」。

本当に、こんなにおもしろいとは。いつの間にか御殿場にがっつり心掴まれてしまったようだ。

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