何がしたくて文章を書く
時を経た今はどこか柔らかい文章が書きたいと思う。
キンと澄ました文体だったり、やけに難しい比喩でもない。辞書から引っぱってきた高尚な単語の羅列じゃなくて、普通に思いつける普通の言葉。
そういえばひと月半ほど前の記事にて、自分の書きたい理想について語ったな。「柔らかい文章が書きたい」と。
これに関してわたしはわりと満足している。執筆中は辞書を引かない、比喩表現は理解できずとも想像はできる例えにする、時折話し言葉を混ぜる。寝る前に読み返して何となく夢見が良さそうだったらちょうど良い。
だけど「書きたい文章」と「執筆を通してやりたいこと」は別物だ。
わたしの場合はnoteを通じて、自分の中の深いところを何とか可視化したかった。「人の見えないところを見えるようにすることが“芸術”です」。これはJ.Y.Parkの有名な言葉だ。
どういうふうに生きていたいのか、どういうふうに生きているのか。「こんな人間がいる」というのを、踏切の向こうの知らない誰かに覚えておいてほしいような気持ちがあった。
それを通して適当に人を救けられたらさらに満足。わたしは隣で寄り添ってくれる優しさよりも、追いかけたくなる強さを魅せてくれる人が好きだったから、自分もそういう人になりたい。
何かこう、あまり上手く言えないけれど、まずは「わたしはこう思うよ」を書くことで「この人はこういう人間なんだ」と伝える。そして伝わったうちの誰か1人でも、勝手に前を向いてくれたらそれで良い。
ようは「考えを提示して“姿”を見せる」。
noteを通して、執筆を通して、そういうことがしたいと思う。
顔も名前も直の人柄も知れていないのに文章だけで「自分はこういう人間です」と証明できたら、その人にとっての言葉とは最上級の表現手段だ。
わたしにとっての言葉もいつか、そういうものになってほしいと思いながら日々書いている。話すのはちょっと苦手なのでね。今日も1日頑張ろう。
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