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大好きな会社を退職した話
2024年8月。
8年間働いた大好きな会社を退職した。
私は、人材業界でコーディネーターとして勤務した。
2013年に一度採用試験で不採用になり、グループ企業で2年半ほど別の仕事を経験し、「やっぱり人材業界に入りたい!」と、2度目の受験で採用された会社だった。大手企業で安心、人間関係も良好、仕事も自分の成長や強みがいかせている実感もあった。でも1年以上かけてたくさん悩んで退職する決意をした。
キャリアを見直すきっかけ
「この会社でやりたいことは、全てやり切った」
「考えうる限り、キャリアを広げる行動をし尽くした」
退職して4ヶ月経った今、上司に退職意向を伝える決断ができたのは、そう思えたからだと思う。しかし、退職申告をした日やその後も「これで良かったのかな」と自問自答する毎日。最終出社日の、明日も普段通り出社するような感覚で自席、職場の部屋やエレベーターを後にしたあの記憶が、今でも鮮明に記憶に残っている。
退職をしようとしたきっかけは、2022年2月からオンラインスクール「SHE
likes」で、Webデザインやライティング、マーケティングなどの勉強を始めたことだった。
入社から3年間のプレイヤー経験を経て、4年目からは教育担当となり、オンラインでの新人研修の企画運営、マニュアル更新、その他スキルアップ関連や自組織の後輩育成など、組織運営や企画、事務作業がメインとなり、「もっと相手に伝わる資料作成・伝え方がないか?」「メンバー1人1人に合わせた声かけができないか?」日々考えていた頃だった。と同時に、もっと自分の仕事がリアルに数字として評価され、賞賛されるような、プレイヤー時代のワクワクや刺激ももう一度求めていた頃でもあった。
コロナ禍を経て、たくさん仕事を失った求職者の方と対峙する日々。私は新卒で航空業界で働いていたため、元同僚も在宅での待機や、他社への出向など、身近に職に困っている友人が何人もいたことが、自分のキャリアを見直すきっかけになった。
SHElikesで学びを深めることで、本業以外の場所で自分がワクワクできること、夢中になることを見つけ、収入UPしたい、市場価値を高めたい、そう勉強を始め、半年後にはスクール内のデザインのコンペに初採用、その後はSNS関連のクリエイティブ作成のお仕事を副業でさせていただく機会にも恵まれた。
副業と本業の両立の壁
しかし望んだはずの副業で、私の本心はこうだった。
「全然自由な時間ないじゃん・・・・」
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「お金を得るために、多少の犠牲は仕方がない」そう思いこみ、平日は夜遅くまで作業をし、納期前には有休も取った。楽しく副業したい、そう願ったはずなのに、実際にやってみると思った生活とは違った。
幸いなことに会社は、失敗や挑戦は大歓迎!というカルチャーで、副業もOKだったこともあり、上司にはデザインを学んでいること、副業をしていることを申告していた。周囲の人も応援してくれていた。
副業をする手前、本業も手を抜かず頑張っていた。育成の仕事は、直接数字で評価されることはないが、育成を担当したメンバーの達成率は私が教育担当になって以来UPしている、と高い評価も各拠点の上長からも頂いていた。私は1日のスケジュールを変えたら、改善されるかもしれない!と考え、「早出社、早退社の働き方ができないか」の相談を上長にした。早退社し、夜を副業や学びの時間に余裕を持って当てたいと考えたためだ。
しかし、会社という組織の1人である私。1人だけ自由に勤務時間を変えるという対応は、できないと言われてしまった。(確かにその通り・・)
大好きだった本業の会社が、一気に嫌いになりそうになった。
本業と副業を両立させる壁が、一気に高く感じた。
退職決意に繋がったUX向上PJT
そんな悶々とした日々の中で、社内のキャリアアップ支援の一環として実施されていた、UX向上PJTの公募案件に採用された。SHElikesでUX・UIデザインのコースを受講していた頃だったため、本業で活かせる絶好の機会だと感じ応募したものだった。
社内の顧客向けサイトやアプリの開発、運用は、全て本社である東京の部署が担っており、関西の支社で勤務する私には、転居し異動希望を出すほか関わる機会がない。3ヶ月限定ではあるが、異動することなく他部署の仕事に挑戦でき、普段業務上関わることのない東京のメンバーとの仕事はとても刺激的で楽しかった。
現場経験が長い(現場経験しかむしろないのだが・・)私のアイディアは、現場経験のない企画職のPJTメンバーにはとても喜ばれ、アウトプットの機会をたくさん頂いた。3ヶ月という短い時間だったこともあり最後まで参画はできなかったが、実際に私の提案が採用され実装に向けて動き出した。(2024年9月からWebサイトに実際に実装されたよう!)
後日行われたPJT報告会のプレゼンでは、社内の売り上げUPにつながる可能性があり、かつ、自・他組織へともに良い影響がある内容だと高評価をいただいた。このPJTに参加したことが、退職を本気で決意するきっかけになった。
心地よい場所にずっといるだけでは何も変わらない
もっと自分の可能性を、自分で信じてあげたい
「止める理由を今必死に探したけど、私がもしmicoちゃんの友人だったら絶対応援したいと思うし、本当に寂しいけど応援するね」
退職したいと上司に申し出た際、上司はこう言ってくれた。
退職セレモニーでは、後輩がポロポロ泣いてくれて本当にたくさんの嬉しいメッセージをもらった。この大好きな職場の人たちの思いに応える意味でも、退職後、絶対後悔ない良い人生にしよう!そう決意した。
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4ヶ月経って今感じること
目には見えないけれど、ここまで頑張ってきたことは全て、確実に、自分のスキルになってるなとか、経験・視野の広がりになっていると感じる。今、学んだことや広がった視野を、どのステージでどう活かそう?と、自分の無限にある可能性に、ちょっとだけワクワクできる日々がある。何かしていないと落ち着かない性分の私が、ゆっくり読書したり、ジャーナリングや内省をして、今日明日をどう生きるか、という短期スパンではなく、1年後、5年後、10年後、一度きりの大好きだった母がくれた大事な人生をどう生きたいか、じっくり考えるそんな毎日を過ごしている。
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大学を卒業して以来、ノンストップで「会社員」という肩書きで生きてきた。退職する=次の仕事が決まっている、が当たり前のような、そんな世の中。私も、毎日会社という自分の居場所があって、慕ってくれる後輩や仲の良い同僚がいる、なんでも相談に持ってもらえる尊敬する先輩や上司がいる、そんな日々が当たり前だった。自分が受け入れてもらえる「居場所」を失う怖さが大きかったんだと思う。
プライベートでも、今年結婚し家族ができた。30代後半まで独身で、孫の顔も見せてあげられていない自分にできることは、親が喜んでくれるようにせめて、「都会で、大手企業で仕事をしている娘」でいること。それを、ずっと捨てられなかった。
いろんな怖さがある中で、一度人生をリセットするかのように退職をした。もちろんこのnoteを書いている今も、金銭的な不安や、毎日世の中に置いて行かれているような感覚にさえ襲われることもある。
「キャリアブレイク」を人生で初めて経験している今。今も私にとっての成長、伸びしろだ。心地よい場所から離れるのは勇気がいるけど、素敵な場所・モノとの出会いが絶対にまたあるはず。あれ?違和感を覚えた時、それは自分がその場所(モノ)から学びを終えて、次のステージへUPする時なのかな。
元職場の大好きな人たちに次会うときは、こんな大きな私になったよ〜と笑顔いっぱいで報告できるように、そして、8年間で学んだこと、いただいたたくさんの愛や経験に恥じぬよう、しっかり生きていきたいなと今日も過ごしている。
mico☀︎