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ずっとぶらんにゅーでい

母が脳梗塞になりバタついている最中に、
父の姉が亡くなった。
通常なら父と母が葬儀に行くのだろうが、
母が行けないわけで、
父と姉とわたしと、で葬儀に向かった。

わたしにとっては叔母にあたるひとだが、
もう30年くらいお会いしていなかったと
思う。こどもの頃は、毎年会っていた。
うちは、彼女の実家だったから。
だから、優しくして頂いたし、お世話に
なったことも知ってる。

葬儀の前日、行きたくなくてうなだれていた。
行きたくない、というより、
30年会ってなかったひとに、
しんだからって、会いに行くなんて
ばかみたい、と思った。
そして、なんだか腹が立ってきたのだ。

しんでから行ったってしょうがないやん。
だったら、生きている間に、
会いに行けばよかったやん。
わたしだったら、しんでから会いに来て
もらったって嬉しくない。
生きているうちに会いに来てほしい。

うなだれながら、夫に、

「しんでから会いに行くなんてばかみたい。
生きてるうちに会わないと、意味ない」

と言うと、夫は、

「しんだ者には、会いに行く、とは言わない」

と言った。そうだ。

おせえんだよ。
どんな言葉も、
しんでから言ったっておそいんだ。
そう思いながら、しぶしぶ、
遠方で行われる葬儀に行くことを決めた。

朝からめちゃくちゃだった。
喪服の靴がみつからない。
ネックレスの金具が壊れる。
パンを2枚焼いたつもりが4枚焼いていた。
(重なっていた)

朝からバタつきまくっているわたしを
見て、苦笑しているbabyちゃん(17歳娘)
に向かって、

「こんな大人になっちゃだめだから!
これは、悪い見本だから!」

と、半泣きで叫びながら、家を出た。

葬儀場には、30年以上会ってなかった
亡き叔母の旦那さんや、別の叔母や、
いとこたちがいた。
みんな、久しぶりすぎて、どぎまぎする。 

小さい頃は、いとこたちが盆正月に
遊びに来てくれるのをたのしみにしていた。
仲の良い、父のきょうだいたち。
そのこどもたち。いつもたのしかった。
いろいろなことがあり、おじいちゃんと
おばあちゃんが亡くなると、
集まることもなくなり、
会う事もなくなっていった人たち。

身内だけの、ちいさなお葬式だった。

亡くなった、叔母の顔をみる。
亡くなった人間を見るといつも思うのは、

ああ。からだって、ほんとうに
ただの入れものなんだな

ということ。これには、いつも、新鮮な
驚きがある。 

30年会ってなかった叔母の、お骨を拾う。
叔母を、亡くなるまでお世話した
老人ホームや病院の職員さんや、仲良しの
お友達などを差し置いて、30年も
音沙汰なかった姪のわたしが、
血縁関係があるというだけで、
お骨を拾うことになるのか、と思うと、
なんだかわけがわからない。

ひとの骨を拾うのは、祖父が亡くなって
以来だ。目の前の骨が、やっぱり
生きていたひとと繋がらない。
脳みそが、えーっと、えーっと、と
困惑したまま、葬儀場職員の、
これがひざのおさらでー、
これがのどぼとけでー、
という説明を聞いていた。

とりあえず無、になって、言われた通りに
長くてつかみにくい
竹のハシでつまんで壺に入れた。

その後の食事会で、亡き叔母の旦那さんが 
挨拶で、
「もう限界まで、自分にやれることは
やりました」
といい、泣かれた。
この方はもう90歳だ。自分の子供たちを、
立て続けに若くして亡くされるという
悲しみ、病気がちな妻を支えた人生。
それをみんなでねぎらった。
わたしの知らなかった、叔母の人生に
想いを馳せる。そういえば、さっき骨の中に、
人工の大きなボルトが混ざっていた。

献杯の挨拶は、父だった。
父も。亡き姉と、その旦那さんに、
今までほんとうにお世話になりました。
姉を長く、よく支えてくれ、
ありがとうございました。
というようなことを言い、泣いた。
ほんとうに、亡き叔母の実家である人間の
わたしたちは、金銭面でも多大なお世話に
なったのだ。

食事をしながら、30年ぶりに出会った
いとこたちと、昔の話をした。
わたしたちの、おじいちゃんと、
おばあちゃんの話。

おじいちゃんがひとりで、たくさんの
孫たちを順番に、お風呂に入れてくれた話。
シャンプーハットがなくて、泣きながら髪を
洗われた話。
おじいちゃんが座っている席のすぐうしろの
戸棚にはいつも、
お煎餅とアルファベットチョコレートが
入っていた話。
外にあったトイレと、五右衛門風呂が
怖かった話。
メロンを半分に切って、ほじくって食べるのが
夢、と言ったら、それをおじいちゃんが
叶えてくれた話。
いとこみんなで、部屋に布団を敷き詰めて
雑魚寝するのが楽しかったという話。

みんなそれぞれ、覚えている事が違った。
みんなが、おじいちゃんとおばあちゃんを
共通の交差点として、それぞれの人生を
歩んできて、今また、会えた。

亡き叔母に集めてもらったわたしたちは、
お互いを労ったり、今までのお礼を言う
ことができた。
生きているものが生きているものに、
ちゃんと、伝えたいことを伝えることが
できたのだ。

生きている間にお話することは出来なかった
が、叔母は、上から見て喜んでくれている
のかな。
自分の葬式は上からみる、みたいな
話があるが、それは、自分がしんでみないと
わからん。

帰り道。
もう、しんでから葬式だけ行ったかて
しゃあないやん、とは、思わなかった。

もしかしたら、お葬式って、その本人が、
最後にできる大仕事なのかな。
生きているひとたちに向けての。

またひとつ、そんな気づきがあった。

40代になってこそ、わかる事もある。
80になった父が、今日はじめて
わかったこともあったかもしれない。
しぬまで、「ブランニューデイ」は続く。

そう思うと、歳をとるのもわるくないな。




川中紀行さま
イラスト使わせて頂きました。
ありがとうございました!

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