満月の夕
今日はワインなどではない音楽の話をします。
僕には1番印象に強く残っている曲は?と
聞かれると、この曲を思い浮かべます。
「満月の夕」
この曲の制作者は2人。
ソウルフラワーユニオンの中川敬さんと、
ヒートウェイヴの山口洋さん。
間近で阪神淡路大震災を経験し、被災地の
情景を見て歌詞を書いた中川さん。
東京で阪神淡路大震災を知り、その場に行けない虚しさとその気持ちを歌詞にした山口さん。
その2人のバージョンがあるという特殊な歌です。
最初に僕が知ったのは、この曲を、
亡くなった父がよく聴いていて、耳に残っていた
からでした。
なんと制作者2人と父は親交があり、彼らのライヴに連れて行ってもらったりもして、
生歌でも聴く機会がありました。
中学生に上がると自分で、家のCDを漁り
「満月の夕」を見つけ、ずっと聴いていました。
震災時は幼く、ほとんど記憶にありませんが、
この曲を聴くとその情景とその中で人々が
また立ち上がり生きていく。
それが見えるようで自分の中でとても特別な曲
です。
そして、僕が中学生になって少し経ったある日、
父から「癌になって余命宣告を受けた。」
そして、「病院には行かず、自然療法で治す」
と言われた時、ショックと、
どうしようもできない想いで、泣きながらこの曲を聴いていました。
そして余命宣告の期間を過ぎた父は、それまでは
ある程度元気でしたが、高校生の頃から
体調が悪くなり、入院する事になりました。
その病室で付き添いをしていると、
父の友人の方が三線を持ってお見舞いに来てくれました。
その時にその方から、三線で弾く満月の夕を
教わり、慣れない三線で苦戦しながら、
練習する様子を、意識の朦朧とした父は
時々笑いながら見ていました。
その後しばらくして、父はこの世を去りました。
本当に沢山の人々に見守られながら、、。
その最期の瞬間は病院に拍手が鳴り響きました。
みんながよく生きた、と。
その後の告別式で、今でもあまり思い出せないのですが、人前に出ることもあまり苦手だった僕が
父が好きだった満月の夕を歌いたいと
言いました。
多分最初は小さい規模で歌うつもりが、
知り合いの方が司会の人に掛け合い、
告別式の時に歌う事に。
告別式の前日にお通夜に一人で来てくれた
親友(というか兄弟のような)の
健悟に満月の夕を歌いたいから、ギターを弾いてほしいと頼みました。
彼は少しも難色を示さず、「いいよ、じゃあ練習しよう。」と言ってくれました。
そして、遺影で父が持っていた三線の持ち主の
方とそのパートナーのミュージシャンの方に、
僕ら2人は一夜漬けの特訓を受け、翌日の
告別式ライブに備えました。
翌日の告別式では司会の方が、紹介してくれ、
その時間が始まりました。
境内の中から外を見るとなんと、200人以上の
人達がその場所に居ました。
三重の亀山の小さなお寺の本堂に、
それだけの人々が集まったのです。
それも父が築いてきたもの。
人は亡くなった時にその生き様が分かると
言いますが、自由人と思っていた父はちゃんと
生きていたのだなぁと。
初ライブが告別式でしかもちょっとしたフェス
みたいな規模、、、。
歌い始めると全身ガッチガチ手は震える、
そんな状態、途中で感極まり、涙が止まらなくなった時も、健悟はギターを弾き続けてくれ、
みんなが歌ってくれ、なんとか終了。
よく見れば少し後ろにこの今日の生みの親の
中川さんも居ました、、、、。ひょえー。
こういったエピソードもあり、この曲は僕の中で
とても特別な曲になりました。
実は結婚式でも、健悟とまたタッグを組み
歌いました。
最近知ったのですが、この曲をあいみょんが
弾き語りをしているらしく、聴いてみたら、
とても気持ちが込められた歌い方で、
嬉しく思いました。
この歌をまた若い世代の子が知るきっかけと
なり、歌い継がれていくのが、
素晴らしいなと思いました。
めちゃめちゃ長くなりましたが、
まだこの曲を聴いていないという方はぜひ
聴いてみてください。
「満月の夕」