
フィジー行き飛行機の搭乗失敗で、人生で一番の自由を手に入れた。
敗れた旅人
フィジー行きの飛行機を逃したとき、わたしは 彼女に振られたような身体の重さを感じ取りながら、京成上野行き特急に乗り込み、成田空港から撤退した。
特急といっても、一般車両のなかの「特急」である。 スカイライナーのような速さとは程遠い。
飛行機を逃したとき、東京で知人と やけ酒に付き合ってほしい と LINE をしていた。

だが、 一駅 一駅 丁寧すぎるぐらい 止まる 特急に揺られる中で、待ち合わせていた池袋までが果てしなく遠い場所に感じてきた。
電車は京成千葉線と合流して船橋に停車した。このまま乗るか、、 それとも 降りるか、、、
ええい!!!イチかバチカ 降りてしまえ!
頭が体を強制的に電車から引きずり下ろした。
待ち合わせていた知人には丁重にメッセージを送った。
やけ酒
海外に行く荷物を持ちながら、 3時間前の自分がまさか船橋にいる未来を誰が想像できたのか。
疲れ切ったサラリーマンたちを横目に、私もうなだれるように重たい足取りで階段を降りた。
改札を出て、 向かうべき場所はただ一つに決まっていた。
みんな大好き家系ラーメン屋さん🍜☺️

本当は、フィジーから日本に帰ったときに食べようと思っていた。
でも今はただこのやけ酒ならぬやけラーメンをしたかった。 気が早すぎる。
ラーメンは美味しかったけど、あの海外から帰ってきて初めて飲むスープの感動を味わうことはできなかった。 ラーメンをお腹に入れ、 次に Google マップで近くの銭湯を探した。
歩いて10分ぐらいのところに どうも1軒銭湯があるらしい。 大荷物を背負った旅人が、働く人々が寝に帰ってくるベットタウン船橋を闊歩する様は、通行人には異色に映っただろう。いや、だれもそんなことは気にも留めていないだろう。
薄暗い夜道、人生に失敗したような哀れな姿の男が一人歩いている。
だが心のうちでは、今までの人生でも10本の指には入る失敗を、誰かに話したくてしょうがない自分がいた。
そんな中、幸先わるく 母から電話が来た。
「え、、あなた もう飛行機乗ったはずじゃ、、、どうして電話に出ているの???😲😲😲」
と 途方にくれる母。
「マジでウケるんだけど😂😂😂」
と笑いが止まらない友達。 そんな会話をしていたら、銭湯までの道を間違えた。
Google マップを頼りにたどり着いた銭湯は、浴室の壁に富士山が描かれていて非常に味が出ているスタイル。 体を流して湯船に浸かった瞬間、
「日本っていいな ~ 😁」
と幸せな感情を感じる 自分に嫌気がさした。
本当は行くはずだったフィジーにも行けず、当てもなく船橋をほっつき回っている様は、 大学を早期卒業してから迷い続けるこの数ヶ月間の自分自身を重ねた。
自分は何をほっつき回っているんだ?という疑念が浮かんできた。
ネカフェでの回想
銭湯のお湯は、この旅で疲れ切った自分には最高に気持ちよく、気づけば1時間以上湯船に浸かっていた。
湯船から上がり、コーヒー牛乳を片手に銭湯を出てさっぱりはしたが、 このまま家に帰る気は毛頭なかった。
このまま実家に帰ると、戦に敗れて帰還した哀れな戦士のように 自分が負け犬になることを感じていた。 そのため心は家に帰ることを許さなかった。
この辺で泊まれる場所はないか。
そう感じた時 答えはもちろんひとつだった。 ネカフェである。
お金がない 貧乏人の僕には ネカフェすら高級に感じるが、それでも今の疲れ切った自分にはまるで実家のような温かさがあるように感じた。
銭湯から船橋の駅前へ、元来た道を歩き、 ドンキホーテでヤケ酒を買った。やけ酒を買い、道端のブロック塀に腰掛けて小一時間、友達と電話をした。
夜の11時頃、 ようやくネカフェに入った。ドリンクコーナーでソフトクリームを頬張り、酒を喉に流し込みながら、私はこれからの未来をどうして行こうか、必死に頭に問いを浮かべていた。
酒を飲み終わるやいなや、ネカフェのパソコンを起動し、スカイスキャナーを開いた。
さあ、これからどこへ行こうか?
スカイスキャナーには「全ての都市から検索」という設定をかけることができる。 検索をクリックすると、東京から明日行ける世界中の場所の航空券代の最安値が表示される。

検索結果を一巡し、頭の中で候補に上がった場所は、 ソウル、台北、上海、バンコク、香港、ホーチミン それに ドバイ だった。
ドバイは中国経由で往復5万5000円から売られていて、とても魅力的に感じた。
ソウルや台北、上海も良かったが 私はあまり心が向かなかった。 3月にトランジットで台北に行った時に、台北駅構内の駅ナカ店を日系の店舗が席巻していたのを思い出し、あまり刺激が感じられないと思った。
もちろんどの場所も素敵な場所であることには間違いないのだが。 今の自分には刺激が足りなかった。
そうだ。タイはどうか。「バンコク」の文字が目に飛び込んできたとき、私は2年前の10月にそうぐした、ある不思議な出来事を思い出した。
1人のおじさんとの不思議な出会いが、まさかここで花開くことになるとは思わなかった。
青春18×タイ
時は 2022年10月。
私は新潟県の長岡から水上へ向かう、上越線の普通列車に揺られていた。
この旅では、東京から東北本線で郡山へ北上し、磐越西線で会津若松へ西進し、 9年前の新潟・只見 豪雨での被害から復旧したばかりの 只見線に乗ろうとしていた。
只見線はドラマやポスターでその風景がよく放映される、絶景&秘境路線として知られる。
私は、 JR線全線の普通列車と快速列車が3日間連続で乗り放題になる「秋の乗り放題パス」を懐に納め、会津若松から越後川口までの車窓を目に焼き付けた。
もともとダム建設の資材運搬としての意味合いがあったこと、当地と鉄道との切っても切れない関係についての歴史を深く深く心に収めた。
終着の越後川口に到着し、接続する上越線普通列車で30分ほど北に向かったところにある長岡に向かった
長岡では、私がNPOの対話型キャンプのインターンで時間を共にした仲間が、地域おこし協力隊をしていた。
彼女と初めて対面で会うことができ、東京へと戻る帰りのことだった。
10月23日の朝
長岡駅のホームに下ると、水上行きの2両編成の電車はすでに私を待っていた。 車内には JR東日本の近郊型電車によく見られる4人掛けボックスシートが並んでいる。
そして、どのボックスにも すでに先客がいた。

私はまだ空きがある席を見つけ、腰掛けた。 向かい側には、中年のリュックサックを背負った男性の方が座っている。
私は彼の風貌を見るにつれ、 見るからに地元の人に違いない。そう思っていた。

発車時刻になり、 電車は長岡駅をゆっくりと発車した。 鉄輪の轍が車内に響き渡り始めたとき。 その男の人は、私に向かって突然言葉を発した。
「あなた、その服どこで買ったんですか?」
私は、一瞬とてもとても戸惑った。
もともと、知らない人から話しかけることには抵抗があったが、なぜこの男の人は こんな私の服などに興味を持っているのか 私には理解できなかった。
「これは、 藍染の服でタイで作られたものだそうです」と答えた。
そう。私は去年の8月に、岐阜県の石徹白集落に縁があって赴いた際、藍染の農作業服をブランド化している石徹白用品店にお邪魔させていただいた。
藍染の制作過程を学ぶにつれて、 私は藍染めの服がとても好きになった。
それ以来、メルカリで出品されている藍染め服を見ては購入していた。 というかなんとなく ポチっていた。
その男性の人曰くこう お話しした。
「 タイの北部に、農民が農作業で使う 藍染の服で有名な街があるんです。 1つは プレー もう一つはパイという町。」
「 私も、これからベトナムとタイに行くところなんです。LCC を使えば、日本国内と同じくらいの値段で行けてお得ですよ」
そのおじさんは、航空券の E チケットを私に見せながら、これから成田空港に向かうことを 私に話した。
それからというものの、 終着の水上まで、会話が途切れることはなかった。
「もしまたいつか タイに行くことがあったら 私にメールくださいね」
と連絡先を交換し、おじさんと別れを惜しんだ。
伏線の回収
そうだ。タイがあった。
私は突然、 ハッと酔いが覚めたように スマホで Google マップの画面を開いた。
タイの地図を表示すると ・・・・ちゃんとあった。

あの時おじさんに教えてもらっていたプレーとパイの町は、私の Google マップにしっかりと ブックマークされていた。
よし。 タイに行こう。
私の心は、タイへと 一足先に飛んでいった 。
航空券を調べると、成田から上海浦東を経由してバンコクへの往復が3万5000円で売られていた。
会社は中国系の大手航空会社なので、LCCと違って機内食も食べられるし、荷物も預けられる。航空券代と現地の物価を考えたら、フィジー行き航空券で8万円を失った今の自分でもまだ光が残っている。 勢いに身を任せ、予約は完了した。
まとめ
この一連の出来事から私が気づいたことは何だったんだろう?
・ 飛行機の名字と名前を逆に登録して、搭乗拒否に遭う
・意気消沈する中で電車に揺られ、船橋という場所で引きずり降りる
そんな中でも、
酒を飲みながら 世界のどこに行こうか 想像をふくらませる瞬間は 私の今までの人生の中で最も自由になれた瞬間だった。
小説「 深夜特急」の主人公が、行くあてもなく ロンドンまでバスで行こうと旅を始めたように、僕もいま、自由人となってこの地球を冒険しようとしている。
8万円を失ったこと、フィジーの地に足を踏み入れることができなかったことは 悔しさでいっぱいだ。
でも 世界のどこへ行こうか 考える人生で一番自由な瞬間が私に与えられたことは この上ない幸せだった。
後日、私がお世話になっている大学の先生にこの顛末を伝えると、先生はこの顛末にこう返信した。

幸福学を研究する先生だからこそのコメントに私には聞こえた。
そうだ、人生で一番自由な時間を手に入れたのだから、まあいいじゃないか。
身長180cm越えの私には幾分か狭い個室の中で、これから待っている 冒険にワクワクしながら、私は眠りについた。