言葉で子どもを動かすには ~アリストテレスならこう言うね~
ぼくら教師は、子どもたちに毎日なにかを語っています。教師の言葉というのは、教師自身が思っている以上に大きな影響力があり、場合によっては保護者よりも先生の言葉を信用する、ということだってあり得ます。
ぼくは今年度、言葉というのをかなり意識しています。具体的には、菊池省三先生が提唱する『価値語』=考え方や行動をプラスの方向に導く言葉を使って子どもたちに思いを伝えるよう実践しています。一例を挙げると、ぼくは黒板の端にスペースを作っていまの子どもたちに伝えたい内容を価値語として書いています。最近だと「環境こそ心の鏡」という言葉を書いていました。そしてことあるごとに「教室という環境を整えることで学習がしやすくなり、あなたたちの心も整っていくよ」として、整理整頓を意識できるような声掛けを心がけました。その成果もあって、いまの教室は4月に比べれば驚くほどキレイになったように感じます。
しかし現場の先生方は、こうした成功よりも失敗例を多く経験してきているのではないでしょうか。事実、ぼくはこれまでの教員人生のほとんどは、「なんど注意しても、何度声掛けしても、同じような失敗をして全然伝わらない」ことの方が圧倒的に多かったと思います。では、なぜ声掛けだけで人を動かすことができないのでしょうか。そして、どうしたら人を動かすことができるのでしょうか。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、著書『弁論術』の中で、以下の3つが重要だと述べています。これは、現代においてもかなり重要な示唆だと思うので、ぜひここで紹介させてください。
①ロゴス:論理。主張がきちんと理にかなっているかどうか。
②エトス:倫理。道徳的に正しいと言える主張かどうか。
③パトス:情熱。思い入れのある主張かどうか。
アリストテレスは、この3つがないと人は動かないと言っています。
まず、ロゴス=論理は必要条件だと言えます。論理的にむちゃくちゃな主張は、誰も見向きもしないでしょう。例えば「整理整頓するとモノがすっきりして勉強の時に必要なものがすぐに用意できるよね」は、論理的だと言えます。逆に「先生は整理整頓する方がいいと思うから、きちんとやりなさい」では、論理が飛躍しすぎていてあまり聞いてくれません。
次に、エトス=倫理です。これは道徳的かどうか、または社会的に価値があるかを意味する言葉です。その行いの価値を伝えれば人は主体的に動いてくれますが、強制されても人は主体的には動いてくれません。教室の例で言えば「整理整頓をすることは、社会人=自立した大人としての教養・スキルなんだよ。つまり、自分のことを自分でできるという力につながるんだ」とぼくは伝えます。これでぼくは、整理整頓のエトス=論理を言語化して子どもたちに伝えているつもりです。
最後に、パトス=情熱です。英語で言う「パッション」の語源になった言葉ですね。これは、言っている本人に強い想いがないといけない、ということです。整理整頓について、ぼくが真剣な気持ちで伝えるのと、いかにも「やる気ゼロ」のような感じで伝えていたら、どう考えても後者で子どもたちは動きませんよね。
アリストテレス的には、この3点を押さえることで、人は初めて動いてくれるのだそうです。この主張は、とても普遍性があると思います。
しかし、日本ではスピーチによって人を動かすという場面が社会的にほとんどありませんでした。言い換えると、上司の言うとおりに動けばそれだけで評価された時代があまりに長く続いたため、このようなスピーチの技術を学ぶ機会がすっかり失われているとも言えます。逆に、スピーチが重要な役割を持つ欧米社会では当然の教養として捉えられているそうです。
#日本で習ったことないでしょ?
#日本で教えたこともないでしょ?
先生という仕事上、教室で子どもたちに語りかけることは日常的にあるはずです。自戒を込めて言えば、ぼくは教員人生のほとんどで、この3つを持って語れたことはないように思います。反省です。道半ばですが、今後は「ロゴス(論理)・エトス(倫理)・パトス(情熱)」を持って語れるような人でありたい思います。