見出し画像

これからの算数・数学について考えてみた

小学校で、分数の割り算を教えていたときのことです。ある子どもが、ぼくにこんなことを聞いてきました。
「先生。分数の割り算って、いつ使うの?」
 その子は、本当に純粋な気持ちで聞いてくれたように思います。なのでぼくも一生懸命答えたのですが、なんと答えたかは覚えていません。ただ、その時の、なんとも言えないモヤモヤっとした気持ちは今でも覚えています。しかし、こうした経験はぼくだけではないと思います。多くの先生方が、実は算数・数学を学ぶ意義についてあまり答えられないのではないか、と感じます。この項では、そうした子どもの疑問に対しての現時点でのぼくの最適解から、これからの算数・数学教育についての在り方について私見を述べてみたいと思います。
 まず、メディアも含めかなりたくさんの方から聞くのは「算数・数学の勉強を通して論理的思考を鍛えることができる。だから意味がある」というような言説です。つまり、分数の割り算は大人になって使う事はほぼないけど、それを学ぶ過程で論理的に頭を使うことにより、生きていく上で物事を論理立てて考えられるようになる、ということです。
 一見正しそうに思いますが、ぼくはこの考え方に否定的です。なぜなら、そこに科学的な根拠(エビデンス)がないからです。むしろその逆で、認知心理学の研究では、知識が他の場合に転移される(活かされる)ことは非常に稀だという研究があります。どういうことか。簡単に言えば、算数・数学で鍛えた論理的思考力は「算数・数学を解く場面に使える論理的思考力」であり、他の場面でその考えが応用的に使われることはほぼない、ということです。例えば、受験戦争を勝ち残った東大生はみな算数・数学ができる人だと思います。では、東大生が全員論理的な人かと言われたら、それは違いますよね。
ぼくは専門家でも研究者でもないのでこれ以上の言及は避けますが、もしこの研究が正しいのなら、将来、数学者になる子以外はその知識やスキルはほぼ役に立たない(使わない)ことになります。こうした考えから、ぼくは算数を学ぶ意義と論理的思考力をつなげて論じることには抵抗があるのです。
では、ぼくらが算数・数学を学んだり、子どもたちに教えたりする意義はなにか。2つほど述べてみたいと思います。

①面白いからやる
 ぼくは算数・数学が好きなので今でもたまに勉強するのですが、なぜ好きなのかを考えると「面白いから」しか思い当たりません。例えば、小学生のときに、非常に印象に残った問題がありました。それが『1から100まで全部足したら、いくつになりますか』という問題です。普通の小学生なら、1から順に足すと思います。しかし、当時のぼくの友だちが「これって簡単な計算のやり方あるんだぜ」とドヤ顔で教えてくれました。一番最初の数字と最後の数字を足したら101になるし(1+100=101)、二つ目も足したら101になる(2+99=101)。それがちょうど100の半分で50あるから、101×50=5050が答えになる、というものです。当時の僕はめちゃめちゃ衝撃を受けました。普通に計算したらめっちゃ時間がかかったであろう問題が、1分もしないで解けたのです。それから、算数の問題を解くのが楽しくなったように思います。
 算数・数学というのは、世界中で使われている『数字』という概念を使います。そのため、かなり普遍性があると思うのですが、前述したように考え方一つでいろいろな答え方があるのがこの学問の特徴です。答えを出すことよりも、その過程でアレヤコレヤと考え、閃く瞬間が楽しい。その瞬間を味わいたくて算数・数学をしている、という人は多いのではないでしょうか。

②学ぶ過程に何を学ぶか
 算数・数学は、かなり二極化する学問だと思っています。小学校入学時にすでに四則計算ができる子もいれば、6年生になってもひき算ができない子も見てきました。しかし、学校ではそうした差は関係なく、みんなで同じ問題を同じペースで学ぶことが一般的です。こうした一律・一斉指導の問題点についてここでは論じませんが、その「学力差」や「二極化」は、実は学校教育での大きなメリットの一つになっている可能性もあるとぼくは思っています。
 単に学力を上げたいのであれば、少人数化を進め、1クラス10人とかにして学力別に分ければテストの点はあがるでしょう。しかしその代わり、多様性は失われます。逆に今の学校は、学力差のある子どもたちが同じクラスで学ぶという多様性を担保している、とも言えるのです。
 学力差のある子ども同士が意欲的に関わると、どのようなことが起こるでしょう。おそらく学力の高い子は「どうしたら分かってもらえるだろう」と考えるし、逆に学力の低い子は「どうしたら出来るようになるかな」と考え、双方のコミュニケーションが生まれます。そして、その友達とのやりとりを通して、人との付き合い方を学ぶことができるのです。例えば、一緒に仕事をする相手に「どうしたら分かってもらえるだろう」と考える場面はよくあると思います。また、自分が引き受けた仕事に対して「どうしたら出来るようになるかな」と考えることもよくあるはずです。これは、知識の問題ではなく、姿勢や取り組み方の問題です。その部分を価値づけし、上手く伸ばすことができたなら、子どもたちは算数・数学の問題を超えて、大人になっても活かせる能力を身につけるのではないでしょうか。

ぼくは教育者として、以上2つをしっかりと伝えていく義務があると思っています。まとめると「算数・数学を解く面白さ」を伝えながら、「子どもたち同士での関わり」を大切にする授業を実現していくべきだと考えている、ということです。
もちろん、これらの話は算数・数学に限った話ではありません。勉強というのは本来とても楽しいものですし、学んだ知識を超えてその過程で得たものの方が、子どもたちの将来につながることもあるのです。
 それらをしっかりと理解した上で、より多くの学校現場で子どもたちが楽しめる算数・数学の授業が展開されることを期待しています。


いいなと思ったら応援しよう!