なぜ「変化」が重要か
日本の教育界は、約100年もの間「みんな一斉に同じことを学ぶ」という教育システムを採用してきました。そして、時代がこれだけ変化しているにも関わらず、そのシステムを変化させることが未だに出来ていないと揶揄されてきました。なぜ教育業界は、これほど変化がないのでしょうか。この点を、実際のビジネスの世界から考察してみたいと思います。
※ちなみに、この100年の間にほとんど変化のないものは「学校」と「国会」くらいかなと思っています。
#他にもあったら教えてください 。
ビジネスの世界において「批判的思考」というのはとても重要だと考えられています。なぜなら、社会の変化に対応して企業(が扱う商品やサービス)もどんどん変化させていかないといけないからです。
例えば、いま公衆電話の製造だけで食っていける企業はないと思います。それは、時代がスマホに移り変わって、公衆電話の利用頻度がめちゃめちゃ減ったからです。その時に、自分たちの商品やサービスを追求して、例えば「映える公衆電話」とか「安い公衆電話」を作っても、それはもうビジネスとしてはアウトなわけです。つまり、公衆電話で食っていた時代のビジネスパーソンは、スマホが出てきた時点で「変化」を求められたわけです。このように、時代の変化に対応できた企業は生き残るし、そうでない企業はことごとく散っていきました。
こんなこと当たり前じゃんと思いますよね。しかし、実際には多くの企業は時代に合わせて変化することが難しいと言われています。なぜなら、変化するということは、これまでの自分たちの取り組みを「否定」する必要があるからです。前述した例で言えば、今まで「使いやすい公衆電話をつくる」が正解だったのに、いきなり「もう公衆電話は使わなくなるから、新しい通信の形を探らないといけないよね」と時代に言われたのです。そうしたら、企業内で頑張っていたビジネスパーソンたちは「俺たちが頑張ってきた努力は、なんの意味もなかったのか」と絶望し、それを受け入れることを拒否します。つまり「いや、もっといい公衆電話を作れば、人々はまだスマホより公衆電話を選んでくれる」と、なんともアクロバティックな思考に陥ってしまうのです。
教育の話に戻ります。
教育の世界もまったく同じ心理が先生方に働いていると考えられます。つまり、明治以降の約100年間、日本の教育システムは「みんな一斉に同じことを学ぶ」であり、それが「正解」とされてきました。事実、日本は世界屈指の経済大国に成り上がりましたよね。しかし、時代が変化しているにもかかわらず、教育業界は変化が非常に遅れている。それは、現場の先生方が「これまでの自分たちの授業のやり方で成果を出してきた。それを否定されるのは許せない」というプライドのようなものがあるのだと思います。つまり、否定されることを拒んでいるんですね。
ややこしいのは、企業はこれまでのマインドを「否定⇒変化」させないと潰れてしまうので半ば強制的に変化せざるを得ないのに対し、教育業界は、変化させなくても生き残れるというところがあります。ここが、ビジネス業界=一般社会よりも教育業界が遅れている最大の要因なのではないか、と個人的には思っています。つまり、今までと同じことをやっていても(少なくとも現場レベルでは)誰からも否定されないので、現状維持がラクなんですよね。私立学校の場合はまた少し違うと思いますが、公立学校の教員は地方公務員なので、基本的にきちんと授業をこなしていれば一定の評価を得る事ができ、クビにならずに定年までお給料をもらえます。なので、わざわざ今「否定⇒変化」する理由がない。企業はビジネスに対して社会からの圧力を受けますが、教員個人はどこからも「変化しないといけない」という圧力を受けませんから。
こうした状況を踏まえてなお、これまでの教育の在り方を否定し、変化しようというのは一部の“変態教員”だけです。ぼくもどっちかと言えばそっち寄りなのですが、こうした変態教員の動きは、変化を嫌うマジョリティからは得てして変な目で見られますw
これを読んでるあなた自身が、無理に変化させる必要はありません。大切なのは「変化しようとしている変態を、否定しないで遠くから見つめる」くらいの寛容な心です。つまり、否定も肯定もせず、とりあえずほっといてあげてくださいw
ぼく自身は、まぁ、そのあたりはしたたかにやります。継続することで、届く人や救われる子どもたちもきっといるはずですから。