2025年 1月 日記
1月31日
子供の頃からお世話になっているブゾーニのバッハですが、ブゾーニがバッハの編曲をブラームスの勧めで始めたのが20歳の頃 (1886年)。その頃、パリでは1882年にトマシー二によって修復されたタスカンのオリジナルが注目されていた時期です。
ドイツ・バッハ協会は1850年に創設されていました。ブゾーニの仕事は大変重要でした。
そんなことを考えなからあっちこっちに気が行きながら練習中です。
今月ももう終わりかぁ〜。早いです。
1月29日
春らしい光の朝ですが、心配な事故や事件が多くて辛いです。
早く解決することを祈るばかりです。
昨日は新しい楽譜と向き合い今年の計画を修正しつつ動いています。
昨日のパン
ダレちゃってます。半分はクルミとレーズンを入れて甘いパンにしました。
1月28日
新しい作品に向き合う。
ずっと1900年あたりの情報集めと新作を弾くのが私の仕事です。
新作はまた突然やってくるので生活のテンポが変わるくらいです。ちょっと忙しい春です。
1月27日
今日は一日中ブゾーニの作品について調べていました。
ブゾーニのチェンバロ指定の曲があるのですが、それがどの楽器だったのか?ヒストリカルなのかモダンなのか?
1915年の作品なのでどちらもかんがえられるのです。
だいぶ前にこの曲を調べた時には詳しいことは分からなかったのですが、今回は少し情報を得られそうです。
1月26日
100円ショップから来たパキラさん。
柔らかな光がお好みのようです。
1月25日
少し雨が降ったのかな?
今朝は湿気があって少し暖かいです。
先日からペダルについて調べていたら、歴史が古い事、ペダルの必要性についていろいろわかって面白い。
以前からパワー・ビックスのチェンバロがすごいなぁーと思っていたのですが、やはりすごい。
1月24日
人形町ぶらり
洒落た日本橋とは違ってぐっと庶民的な懐かしい街です。
有名なお店も気どらず。玉ひで、芳味亭、小川軒、魚久、わしや・・・・・・
1月23日
東京もカラカラに乾いていて、加湿器が追いつきません。
楽器が乾きすぎちゃいます。
不安な事故事件が多くて気が滅入ります。地球が穏やかであって欲しい、
昨日のパンは胡麻入り。成形がへたっぴです、こんなふうにベトンと生地を置いても膨らむものは膨らむ。糖質オフを忘れてました。
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1月22日
急に暖かくなって気持ちもウキウキ。
久しぶりのパン。
ちょっと怠けて買ってばかりでしたが、また焼くことにします。
ライ麦20%
唯一の趣味です。
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昨日、藤井一興さん死去のニュースを知って動揺していました。
私は直接ご一緒したことはないのですが、思い出したことがあったので書いておきます。
作曲家と演奏家のこんな活動時代がありました。
昔、まだ若かった頃、作曲家や演奏家が集まってごちゃごちゃと企画を考え、次々と作品が生まれ、ジャカジャカ練習し、どんどんコンサートをする。楽しい時代がありました。
実験工房のような会でも藤井一興さんや新垣隆さんはよく演奏もしていらっしゃいました。
素晴らしいピアノの達人で是非とも演奏を聴きたいと思ったものです。
私はチェンバロですが、そういう現代音楽の会にお誘いいただき、新鮮な音楽を吸収してきました。私の音楽生活にとっても印象深い貴重な思い出です。
ご冥福をお祈りいたします。
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最近導入のピアノがいろいろな発見をさせてくれます。特にサンサーンスのようなピアノが全盛を振るっていた時代で、オルガンの曲も書いている作曲家の音楽を練習しようとした時、ちょっとピアノで弾いてみる。そうすると発想の転換ができるのです。結局、その作曲家がどういう時代に生きて、どのような楽器が周りにあったかということですね。
1月19日
風が冷たい一日でした。三島由紀夫が書いた序文 (東文彦作品集) を読んでいて、三島由紀夫が戦争中に演奏会でクラヴサンを聞いたことがわかりました。しかし、それが誰だったのか?普通に考えればエタ=ハーリッヒ・シュナイダーだろうと思います。
やっと繋がったというか、三島由紀夫がクラヴサンを聞いたのだということがわかりました。
今日は大収穫です。
1月18日
もやった朝です。
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今年は年初めからよく歩いています。神社仏閣巡りです。
清々しくて、そこだけ別格の空気が流れていますね。すっかりハマって御朱印帳も持ち、あちこち神様にご挨拶して歩いています。
昨日は水天宮様。ものすごい人出でどこがどうなっているのかわからないくらいでした。確か以前お参りをした時とは佇まいが違うような。
入り口で狛犬の写真を撮ってきました。
凛々しいねぇ〜。
そういえば、昔、狛犬の写真を撮るのを趣味にしている友人がいました。
詳しかったですよ〜、その頃よくわからなかったなぁ〜。🙇♀️
1月17日
人形町へ。
お江戸散歩が趣味です。歩いてみればまだ江戸風情が残っています。
人形町は日本橋の隣りで水天宮に向かって歩けば歴史のあるお店が並びます。
途中、甘酒横丁と交差して、その通りも楽しい。
今半、玉ひで、日山、芳味亭、小川軒、鳥忠、豆腐の双葉、志乃田寿司、たい焼き、人形焼。
賑わっていました。
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すっかり春めいて。春は名のみの〜🎶
昨日はイタリアの演奏家のことを調べていました。
このLPを持っています。
チェンバロの現代音楽に行くきっかけになった一枚です。
現代音楽のデータが少ないです。このサイトを見つけました。
なんかオシャレ〜
1月16日
寒暖の差が激しいですね。今日は寒いですね。
1月15日
昨日、東京オペラシティホールに深新会の新作発表会に行ってきました。
いつもこの会は作曲家も演奏家も傑出した方々が集まって、素晴らしい音楽を奏でますよ。
目が離せません。
先日塩漬けした豚肉がいい具合のパンチェッタになりました。
少し焼いてみて塩からかったら塩抜きを長くするのがお勧め。漬ける時はしっかり塩を効かせたほうが良さそうです。
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今朝からまた東文彦選集。
23歳で亡くなるという短い人生で病気と関わらねばならぬことは本当に辛いことだと思います。何も病気のことなど気にしないで思いっきり楽しむ時間が長いほうがいいに決まってる。三島由紀夫の寄せた序文にその無念な気持ちや東文彦に寄せる思いが溢れます。
1月14日
ヘルムート・ヴァルヒャのチェンバロ
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復興初期チェンバロ作品をヒストリカルとモダンに分けて調べています。昨年末ベルリンで見たチェンバロ達は1600年以降ずっと保存されていた、いわゆるヒストリカルチェンバロやピアノが主流となっていった時代にも存在していた楽器でした。そしてもちろんモダンチェンバロ。
チェンバロが無くなっていた時代があるわけでもなく、存在はしていたのですが、人間の習慣は移り変わって行くもののようで、簡単に忘れ去られてしまう。その辺、証拠を探しています。
こんばんは
河内さんの作品を聴きにオペラシティへ。
1月13日
今日は成人式でしたか?
神楽坂は風は冷たいけど陽射しが春っぽくて、これは春が近いかと思う陽気でした。
今年初めて、花井さんへ
ここは本多横丁の中にあるお鮨屋さんです。
一応、コースがありますが追加もできます。
あまりにも野菜が高くて、通販でキャベツ入りを注文しました。
普段だったら葉物ばかりで高い気がするのですが、今日は有り難くて。大事に食べようと思います。しかし、高い!
1月12日
神楽坂 日蓮宗 本光山 清隆寺
本光山清隆寺は九州肥後(熊本)の大名、
細川候により創建された日蓮宗の仏教寺院で、
寛永 十五年(西暦一六三八)に開闘されました。
正式には「本国土寂光山、清正隆盛寺」といい、
戦国時代の大名である
熊本城城主・加藤清正公を神として祀るお寺です。
神楽坂はお寺や神社で激混みです。
今日もあっちだ、こっちだ、ウロウロ人々が行き交います。
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深新會 第38回作品展
昨年からよく通っている現代作品の発表会です。
毎回素晴らしい作品に出会えるので楽しみにしています。
Amazonに注文しておいた本が届きました。
もう一冊は、また到着が土壇場で延期になってしまった。古書だとよくある事です。どんな状態で来るのか、ちゃんと来るのかいつも心配。
2010年 初版 著者: 阿部 誠 発行所: 三恵社
昨日はこの本を読んでいました。
東文彦が三島由紀夫に送った手紙の収録もある。
昭和18年1943年 10月8日に23歳で逝去。その年の2月には三島由紀夫からの手紙を受け取っている。文彦は三島由紀夫と音楽繋がりがあったという記事もあるようですが、どうも今のところ音楽記述は見当たりません。遺作は「方舟の日記」か「午後の時」か?
もう一冊が来るのが楽しみ。
昨日はすごく寒かった東京です。雪国の方々のご苦労は大変なものでしょう。
家族みんなスキー好きで以前は冬の間よくスキー場に行っていました。4、5年に一度ものすごい雪に見舞われる印象があります。雪のせいで道路が狭まり、雪の壁がそそり立ち、怖い思いもしました。そうかと思うと、スキー場の雪が不足してリフト乗り場も土が見えてそれも怖い。今年は本当に大変です。
1月10日
ガーベラ、カラー、アルストロメリア。
1月9日
朝、用事をひとつ終わらせて少し時間が空いたので、近所のサンジェルマンでコーヒー。
甘いパンに心惹かれるなぁー。どうしよう?
年末からたまっていた用事がスっスと終わり、次に進めるところに来ています。3月の会に向けて練習と資料整理頑張ります。朝から休んでどうする〜😠
1月8日
風は冷たいけどうらうらと春のような陽気で今日は大隈庭園をぶらぶら。
大隈重信邸の庭園で旧大隈邸(1902年建設、戦災も免れる)も。
昨年一時閉店していたメルシー。今は活気が戻ってます。
名物のラーメン 600円。
早大通りを江戸川橋に向かって行くと小さなコーヒー豆やさん。
300円でホットコーヒーをゆっくりいただく。お年賀の5円チョコが付いてきた。
1月7日
雨があがったらムアッと生暖かい。寒いのと暖かいのが交互に来るのは楽だけど。
今朝は日本の小説家 東文彦について調べています。
東 文彦(あずま ふみひこ、1920年(大正9年)8月23日 - 1943年(昭和18年)10月8日)は、日本の小説家。本名は東徤(あずま・たかし=行人偏に建)。23歳で夭折した。学習院時代の三島由紀夫と親交を持った。
以前、東文彦研究者とその時代ちょうどのエタ=ハーリッヒ シュナイダーをかけて講演と演奏会をしました。シュナイダー縁の新潟でチェンバロとオルガンの会です。
ここにも三島由紀夫と出てきましたのでグッと興味が湧きましたが、三島とチェンバロとの関係は、いかに?
三島由紀夫に関して時々現れるのですがたいして真剣に読まずスルーしてきましたが、またもや紐の端を辿るように現れてきました。
東文彦という夭逝した作家が三島由紀夫と学習院時代に親しかったということですが、その関係はどのようなものであったのか?
晩年の三島が上梓に向け力を注いだ『東文彦作品集』は、三島の長い序文(1970年(昭和45年)10月25日付)を入れ、三島自決から約4か月後の1971年(昭和46年)初頭に講談社で出版。2007年(平成19年)4月に講談社文芸文庫で改訂再刊された。(wiki)
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今日は楽譜の整理に丸一日かかってしまった。
ずっと手をつけるのを気にかけていたのですが、ずるずる時間ばかり経ってしまった。なんとか今片付けたい案件です。今年やる仕事です。
それと同時に今日は朝から東文彦関連で私の知っている研究者ではない研究会も知り、ますます忙しいです。
1月6日
今朝は鬼ゆずを煮ながら書いてます。皮は柔らかくて簡単です。
柚子ジャムと柚子味噌にします。ワタは苦くなくて食物繊維がたっぷりなので果肉と果肉のフサも一緒に煮ておきます。捨てるところ無しです。福を呼ぶ縁起物です。
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先月の携帯電話料金は1404円。
ベルリンでメールやSNS,それに 1.2回電話をしてもこの値段。とても便利です。空港でWifiを借りなかったので心配でしたが必要なかったです。でもベルリンの街中は公衆電話はないのでよく大丈夫だったと思います。ほとんどはホテルに帰ってからか美術館の中、カフェのWifiを使いました。プチ情報: デパートなど人が多いところでは繋がりにくいです。昔はもちろんなかったのだからと思えば大丈夫です。
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携帯の画面がおかしくなりピンクや青の線が入りチカチカする。これはベルリンにいる時にもそうでなんとかもってくれて〜と思っていたんです。替え時だと覚悟を決めていたら、直ったんですよ。全く問題ない。これはこれで怖い。何だったんだろう?
1月5日
しかし上手いこと作っているなぁーと思う日本橋。開発が進み大きなビルが立ち並びますが、昔の大事な思い出はそのままにしてくれている。私にとってですが。日本橋の陸橋から川面を眺めれば小舟で行く観光船もあるし、道幅広く車道と歩道の境が低くフラットに見えるのは昔から。銀座に比べて広々と感じるのは私だけかなぁー?偏見に満ち満ちていますが、すみません。
年明け初の日本橋詣で。いつもになく混んでいました。いつも寄る八百屋さんで大きな鬼柚子を買いました。明日写真載せますね。
大きくて重くて大変でしたが、おもしろいのでジャムにしようかな?そのままお風呂にジャボンもあるらしいけど、勿体ないから明日ジャムにします。
1月4日
年明け4日目。神社仏閣は大賑わいです。毘沙門天、赤城神社、安養寺、東京大神宮など。神楽坂はどちらへも歩いてすぐです。天気も良くて坂を上へ下へとうろうろする人々。いいもんですね。
1月3日
今年は今まで貯めてきたモダンチェンバロの事をまとめる機会があり、準備を始めています。
昨年ベルリンに急遽出かけることになったのもそのための資料の確認でした。充分とは言えないのですが。
チェンバロの歴史は一旦途絶えたと思われていますが、楽器の保存、愛好家による楽しみなどは細々続いていて、それが19世紀末に再燃したという感じです。一旦気がつけばどんどん開発し工夫し量産するのが人間のサガのようで大量のチェンバロが生産されました。改良と称してより頑丈に実用的になっていったのがモダンチェンバロです。楽器の発想はバッハの時代にすでにあってその楽器も残っていました。
ヒストリカルのオリジナル楽器では1720年制作者不明のこの楽器はシノワズリーの美しい装飾が印象的でした。
旺文社世界史事典 三訂版 「シノワズリ」の解説によると
18世紀を中心にヨーロッパで流行した芸術上の中国趣味イエズス会宣教師や東インド会社のもたらした中国の造園技術や陶器の絵柄などに触発され,時計や室内装飾品などを中心に中国情緒をもった多くの作品がつくられた。
まさにその時の楽器ですね。
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モダンチェンバロの発展には現代の作曲家と演奏家の仕事が重要です。
ランドフスカ以外にも同じ時期に活躍していた演奏家がいました。
ゴードン・ウッドハウスから調べています。
100年ほど前のモダンチェンバロの事を今年も調べます。せっかくベルリンで楽器を見てきましたから。初っ端からワクワクしてます。
ご紹介しますね。
ここで重要な本を見つけました。
1月2日
今日は暖かかったですね。3月頃?
毎年こんな感じで数日寒さが厳しくなるというのが東京の冬。今年はどんなかな?
出し忘れの年賀状を慌てて印刷して投函、お決まりの会に出て、明日からは通常通りのつもりです。
シャルコーが居たサルペトリエール病院は1656年、ルイ14世は建築家リベラル・ブリュアン に命じて、火薬工場のあった場所に病院を建てさせ、サルペトリエール療養所(Hospice de la Salpêtrière)をつくった。1684年に建物は拡張された。最近ではイギリスのダイアナ妃が搬送された病院としても知られています。そして我々神経学を学ぶものにとっ
ては、 あの Jean-Martin Charcot が活躍した聖地で、保護施設や強制収容所としても使われていました。
1月1日
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年も好きなもの、気になったことを書き留めていきます。
書いてみると脈絡が無くて興味があちこちに飛んでいきますが、独り言はここでぶつぶつと。
素晴らしい旅、今朝見つけました。
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元旦のお参りに神楽坂を回って来ましたが、すごい人出です。長蛇の列でなかなか進まないので出直すことにしました。こんな年も珍しい。お店は半分くらいの開店率。そこがまた激混み。神楽坂には毘沙門天、赤城神社、安養寺他お寺・神社が多くあっちへこっちへと参拝者で賑わっていました。
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神経内科医の先生の本です。面白そうなので今日から読みます。
19世紀末を現代の目から眺めると、ことさら輝かしい時代だ。で始まる「はじめに」からワクワク。パリの神経学の教授による講義の内容です。Charcot(1825-1893)。
目次を見ると片頭痛、あくび、広場恐怖症など。医学用語がわからないけど、戯曲のようなセリフに始まるので引き込まれます。チェンバロ復興初期の作曲家
Eduard Chavagnat(1845〜1913)やロートレックやサン=サーンスが生きてた時代のパリのこと。彼らだってかかったかもしれないお医者さんの講義内容。よく読んでまた報告します。