ちょいちょい書くかもしれない日記(苗)
急に暖かくなってきた。
空気がやけに金臭くなるのが、山における春到来の知らせだ。
庭の小鳥たちへの差し入れとして、あちこちに分散して仕掛けていたみかんも、残りは僅か。
ちょうどいい切り上げのタイミングだろう。
先日植えた苗たちも、いい感じに育ち始めた。
たとえ植物には害になる虫でも、私に見つかるまでは伸びやかに生きてくれ、というのが、私の庭運営のポリシーだ。
ただし、見つけたら例外なく殺す。
うそ。
例外はある。
アゲハチョウの幼虫と、スズメガの仲間の幼虫は、幼い頃から好きすぎて駆除できない。
特にスズメガのでっかい幼虫はアホみたいに食べるので被害甚大なのだが、それでも。
中でもオオスカシバが大好きな私のせいで、庭のクチナシは毎年のように丸坊主になる。
まことに申し訳ない。
でも、いいのだ。私の庭なので、ルールは私が決める。
そもそも私が見逃したところで、庭に来る鳥や、庭に営巣する蜂は容赦しない。
放っておけば、いずれ適切な数に落ち着く。
そういう庭であるよう、気を配っている。
数年前から、涼姫という名のカンパニュラを植えるようになった。
シュッとした姿、淡い紫色の花、柔らかそうな茎と葉、名前そのものの姿のすべてが好きだ。
しかし、それらの多くはヨトウムシの好む要素でもある。
気が合うな! 言うてる場合か。
ヨトウムシの食害は凄まじくて、一夜のうちにメインの茎半分だけ残して残りを全部食われることが珍しくない。
さすがに困る。
そこまでやられてしまうと、苗も復活できない。
夜になると出てくる彼らを、こちらも夜に外にでて捕獲しまくる……のもいいのだが、いたちごっこでらちがあかない。
諦めて、今年は大きな鉢に植えることにした。
奴らは鉢にも間違いなく潜り込むが、広大な花壇全体を戦場にするよりは、私に分がある、はず。
庭を管理するというのは、ある命が育つ手伝いをし、一方である命を摘み取ることだ。
みんな違って、みんないい……などと言っていたら、結局、すべてが駄目になる。
罪深いなと思いつつ、日々、命を選別している。
為政者は、博愛やゆるふわでは務まらない。
ターシャ・テューダーの、歴戦の勇者みたいな眼差しを思い出すたび、そう思う。