父に伝えたいこと
私は、中学生の頃から
父の事が大嫌いだった。
世界で一番最低な人間だと思って
ずっと恨み続けていた。
せめて普通の父親なら
私の人生は違っていたかも知れないと。
私の父は総会屋だった。
総会屋とは、今はあまり聞かなくなったが
会社の株主である事を利用して
会社から不当なお金を稼ぐ
ロクでもない人間だ。
私はそんな汚れたお金で育った。
また、私の父は女性関係にだらしなく、
母とは20年近く一緒に暮らしていたが
実は母とも正式な夫婦ではなく
結婚相手は他にいた。
私はめかけの子だった。
私は普通の夫婦の子供として
生まれたかった。
普通のサラリーマン家庭の子供として
生まれたかった。
父は私が中学3年の時、
別の女性と暮らすために
家を出て行った。
我が家には、父が女性に貢ぐために作った
サラ金の借金だけが残った。
父の去った我が家には毎晩のように
取り立て屋が来た。
私達は暗闇の中、息を潜めて
取り立て屋が帰るのをひたすら待った。
電話も毎日かかって来た。
私はドアをノックする音や
電話のベルの音に怯えるようになった。
その頃から私は
友達と仲良くする事が苦手になった。
クラスメートとは常に一定の距離を保ち、
立ち入った話は一切しなくなった。
家庭の事は絶対知られたくない
超秘密事項だったから。
こんな辛い思いをするのは
全部父のせい。
私だってみんなと仲良くしたいのに。
父への恨みはつのる一方だった。
父が家を出て以来、
一度も会う事はなかった。
父に会いたいと思った事もなかった。
むしろ絶対会いたくなかった。
その気持ちはつい最近まで
揺らぐ事はなかった。
ここ数年、発達障害やアスペルガーと言う
言葉を耳にするようになった。
それらの知識が増えるごとに
ひょっとしたら、父は発達に何か問題が
あったのかも知れないと考えるように
なった。
生きていれば、百歳を越えているはずだが、
おそらくもうこの世にはいないだろう。
だから、今となっては確かめようもないが、
もし、父が今の時代に生きていたのなら
父にとっても、もう少し
生きやすい世の中だったのかも知れない。
実家からも見放されていた父。
きちんと働くことも出来ない、
お金や女性にけじめがないと
言われず生きていけたなら、
周囲の理解があったなら、
と、そんな風に考えるようになった。
また、自分自身のことを省みると
中学生時代、友達を作らなかったのは
父の素行せいだけではないと
大人になった今は理解出来るようになった。
確実に父の血を受け継いでいる私は
多分、生まれつきコミュニケーションが
苦手だったのだ。
人との適度な距離感がわからず、
友達になろうとして誰かが近づいてくると
慌てて離れてしまうのは
大人になった今も変わらない。
それなのに、すべてを父のせいにして
勝手に恨みを募らせていた。
そんな風に考えると
二度と会いたくないと思っていた父だが、
今ならあの頃の父に
一度会ってみたい気もする。
父が家を出た時と同じ年齢になった私が
どんな風に父を見るのか
確かめてみたい。
父のせいで色々苦労した事は
事実だが、今は父を恨んではいない。
今の私はとても幸せですと胸を張って
伝えたいと思う。