#59 「しっかり」禁止令
人間誰しも、ついつい使っちゃう言葉ってありますよね。あの言葉使ってるってことは、アイツか? みたいな見当もつけられてしまいます。友人の中には「これの何が凄いって」をよく文の頭にくっつけている人がいたりします。もはやクセですよね。
僕もよく使ってしまう言葉なんて掃いて捨てるほどあるのですが、小学生の頃は「しっかり」病でした。もう、しっかりって言葉の便利のなんの。僕が小学生の頃の生活記録みたいなやつ、下半分に日記があったんですよね。それを毎日書いて翌日、担任のマイバスケットの中に提出するのが宿題でした。そこに「しっかり」という魔法の言葉を何も考えずに突っ込めば、あら不思議。なんだか「しっかり」している文章の出来上がりなわけです。
しかし、ここは宮沢家。僕以外の人間は文学に親しんでいる超絶文学家庭です。母の目を逃れることなぞ不可能でした。ある日のこと、母が言うには日記の中で「しっかり」を連発しすぎであると。そこで母が僕に課したのが「しっかり」禁止令。当時の僕を大いに困惑させた禁止令です。
「しっかり」という一単語だけに頼らず文章を書ける力。様々な場面で、それぞれに応じた、まあまあそれっぽい文章を拵える力。その重要性に気付いたのは、禁止令発令から程ない中学3年生の時でした。
思い返してみても、あの禁止令がなければ僕の語彙力は今にも増して絶望的だっただろうと思います。
ちょっと脱線。「しっかり」と聞いて何か思い浮かびませんか?
僕は、当時の小泉政権。郵政改革の国会審議が白熱していた際の小泉首相(当時)が「他国が過去に郵政民営化した際の教訓、『がっかり』、『うっかり』、『ちゃっかり』。この中で日本はどれを学ぶべきか。」と野党から詰め寄られた際の、「どれを引用しようとは思っていない。各国の例を参考に『しっかり』民営化させていく。」という答弁がいつも脳裏を過ります。上手いこと言ったなと感心しちゃいますね。メディアを上手く使った政治家らしい言い回しで、とても好みです。
そんなわけで、いつも使っている言葉を封じられても申し訳程度の文章は書ける、そんな語彙力を持てるようにしたいものですね、ということを伝えてみたくて、こんな記事を書いてみました。
でも、あの禁止令は今でも僕の頭のどこかにあって、大学のレポートなどでも不意に「しっかり」という単語を登場させてしまった時には、しれっと[back space]しています。母よ、あれほど厳しい縛りにしなくても罰は当たらなかったと思うのだが…。