#118 教材研究のコツ

学校の授業で児童生徒の学習はいつ起こると思いますか?教室の時間割のなかで学習環境はあっても学習は起こらないことがある。そもそも学習ってなにかといことですが、考えること、としておきます。

教師をしていると学習指導案書いたり掲示物つくったり、あれこれ授業方法を考えます。これを通常、教材研究という。ここで教材とは文化遺産であって価値があるものである。なんでも教材になるわけでなく素材を教材に変える必要がある。

この教材研究って閉じた研究室でやってるわけでなく、職員室の会話とか、ほかの先生にこれってどうでしょう?って聞いたりして、また、自分の部屋でぼんや考えるとか。小学校だと周りの先生の考え聞いたりしてまた自分で工夫しますよね。

研究室で醸成された研究者の学習指導案だとうまくいかないのは、おそらくそれが匿名性と非著者性、つまり人格性・キャラがないからだと思いませんか?学習とは人の集まりでできる活動なんだし、目の前の状況に応じて生活している児童生徒の変数により決定されるんだしキャラが多い。

以前ある大学院生の主催する研究会で「いつ教材研究やるんですか?」とい問われて、「階段上っているときです」といったら、予想外だったらしい。先生は、十分に授業準備なんてできるほど独立したマネジメントができる状況ではないくらい雑用がある。忙しいに▽●がつく。その雑用は教材研究や授業へのエネルギーを邪魔する。しかも、ガラッと教室のドアあけたと途端、それまでの授業案は急激に変更を余儀なくされることもある。これを専門的には授業デザインの即興性という。

材料はあっても調理の下準備に割ける時間はない。実際、若いころは土日に自宅でその作業をやっていた。面白かったからだけど。下準備して授業にいってもお口にあわないような気がもすることがある。

だから、授業の最中でも即アイデアを変更したり、やり方を変えたり、発話内容と方法を考える。それは児童生徒が要求することをこちらが、より安全で効果的でよりより学習環境への移行させる道路のへの誘導であり事故率の減少にむけたガードレールの役割となる。

つまり社会文化的な状況に依存したのが学習である。以前は、学習とは権威ある教師が知識独占していそれを伝達し、伝達の質と量を計測して評価し評定して社会における人材にしていった。これを伝統型授業といいます。

ところが、そういう官僚統制の社会は徐々にメルトダウンしていって、現場実践で知識を使える人の能力が必要になってきた。工業社会の人材から、次世代の人材へ人は深化する必要性に迫られている。

ここまで書いてみて、そういう授業ってなかなか見当たらない気がしている。なんでだろう。一つは、授業はこういうもんだという伝統への回帰と郷愁。もう一つは、先生が学び手の状況を読み取る能力の欠落。そして教える内容が規定路線であること(つまり教科書の問題)。時間のなさ。なにより国の危機感のなさもある。「危機に立つ国家(1938)」ってアメリカ書いてますよね。識字率・教師教育・科学知識・それって教育でした。それらは経済力・経済格差に結びつく。

先生は自動的に先生になるのではなく苦闘しながらなるものだ。その苦闘は学ぶことの快楽なのです。

さらに「教室開けるでしょ、そしたらそこで考えてた教材研究の方法は変化します」ともいった。これは研究書に記載されてしまった。

つまり、教材研究とは、閉鎖的で独立した国家のように計画的におこなわれているのではない。つまり状況に左右される。

これが学習です。つまり①やることがある(目標や目的)②それに関心がある ③作業をする、つまり体・五感を使う ④他者と話す、つまり談話 ⑤修正する。⑥実際にやってみる。

学習指導案書いてる最中は自分が確かに学習している。ただ、それをいざ教室に持っていくとし萎れた花の花瓶のような授業になる。頭の中のシュミレーションはあくまで仮にであって、実際はどうなるかわからない。その変数をたくさん予想してしかも現場で変数の調整をする計算が即できることがとても大事な先生の能力になる。


そうなると、ただ知識と知っているという情報の処理ではなくて、変幻自在に知識を操りしかも有益な方法をも採択できるまさに職人のような知識概念が必要となった。



こういうことは先生がするけど、じゃあ、児童生徒は何するのか?それは、①から⓹を児童生徒もやるのです、そうすると先生と同じように教材研究をするようになる。

これが学習科学で言うところの学習の本来の姿なのです。これは授業以外で通常にやっていることですね。これはインフォーマル。ジーンズとTシャツの日常普段着。

言い換えると授業はいかに通常とことなるこをしているか、これを教室言語という。これが理解できない児童生徒は教室に日常用語を持ち込んでしまう。日常用語は素朴概念です。これを科学概念に変換するのが学習であり教室の役割です。つまりフォーマルなドレスコードなのだ。そのコードを見せてあげてやらせてみる。

なんで、もう一回、自分の授業を見直すのが得策。それには①から⑤のどれが有効か。④です。話すこと。だから、,茶店で話すとか。で、それができない状況があるのはわかるんで、みんな、Xで呟くよね。XをYへ、YをZへしようというのが個人的な野望です。Y。やZ、ってなにか?さあこれから考え、マス。