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#43 共通資本の「第九」______きつねうどんのような出汁のきいた大阪弁の第九を聴きたい

紅白は、もはや共通の資本でなくなった、と書いた。第九は共通資本かもしれないということを書くのだが。

ベートーベン・第九は中学時代に、カラヤン・ベルリンフィルのレコードで初めてきいた。有名な第四楽章のテーマが出るまで、第一楽章の荘厳ミサ、第二楽章突如のスケルツォのテーマとティンパニの打撃の奇抜さと新鮮さ。その第三楽章がの意味深長なことにには、もっと年数が必要だったけど。

第九は世界文化遺産らしい。遺産などと言われるとベートーベンはやりすぎだ、と怒っているかもしれない。第一、彼はフロイデよりもフライハイト(自由)と言いたかったらしいから。背後には市民革命の息吹がある。その時代、人々の欲求と願望と人間への尊重が合唱され普遍性をもつ。思想があるのだ。共通資本である。

ココからは個人的述懐。
学生のとき朝比奈・大フィルで合唱団の一員として第九をうたった。
上にあげた映像は200回目の第九で、じつはたまたま、この演奏会に海外からの友人をつれて行っていたのだ。客席について初めて200回目ということを知った。ちなみに後にバイオリンのお師匠さんとなる前川先生がビオラを演奏されている。テレビで録画していたことは当時はわからなかった。

これはまた別の第九の時だったが、いよいよ舞台そでから朝比奈先生が登壇すると、一瞬、彼が舞台天井をあおぐぎ会場客席からは、おお・・、というどよめきがおこり、それだけで演奏が決定的なような気がした。レジェンド?朝比奈・大フィル第九。この時の第九は枯山水のような枯淡の境地だった。

その後、朝比奈先生はブルックナー演奏の大家となられる。高校時代に母校の高校の狭い舞台で朝比奈・ベートーベンの交響曲第7番を聴き、そのスケルツォはいまも記憶している。

いまはもう、フェスティバルホールも建て替えられた。大阪のきつねうどんのような第九が聴きたいと思う。年末の大フィル演奏後は、舞台の合唱団だけで「蛍の光」がうたわれる。それを舞台そでで朝比奈さんも見ていた。

出汁のきいたあの第九をまた聴きたい年末になった。大阪の独特の匂いがある。皆の心にしみる歌や音楽はもっとあっていい。そう。それはともに歌ええ共感できるもの。コミュニティをつくるものなのだ。おわり。


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