数イメージのメタモルフォーゼ ~算数の基礎・基本を問う!~
■学力低下には、計算ドリルの徹底反復が必要?
学力低下が叫ばれて久しい。
その結果、算数は基礎・基本の反復が必要という大前提のもと「けがには、赤チン」のような感覚で
「学力低下には、計算ドリルの徹底反復」と学校や塾の現場では気軽に行われているようだ。
そうした背景には、多くの人たちの頭の中に「算数の基礎・基本=計算力」という考え方が刷り込まれているという状況があり、算数苦手な子に対しては、「とりあえず計算のマスターだよなあ~」という感覚があるのだろう。
そのような考え方が一般的だ。
とにもかくにも「始めに計算力ありき」なのだ。
が、天の邪鬼の私としては
「計算力が、算数の基礎・基本である」は
本当に
本当に
間違いないのか???
と疑ってみたくなるのである。
■算数の基礎・基本とは何か?
まず、算数の「基礎・基本」とひとくくりにすることが多いが、はたして
「基礎」と「基本」は同じものなのか?
確かに2つの言葉は同じような意味で用いる。だが、私の中でのイメージは微妙にちがう。
そういうイメージである。
では、算数における「基本」とは何か。
確かにこれは「計算力」を指すと思う。
では、算数における「基礎」とは?
先ほどの定義からいけば、「計算力」を陰で支えているものということになる。
それは、「数のイメージ」ではなかろうか。
■「数のイメージ」は変幻自在
「数のイメージ」とは…
たとえば、
12は
のように、数的センスのある子の頭の中では変幻自在である。で、これらのイメージはどのような役に立つのかというと
例えば、12は「1が12個集まった数」として
がイメージされていると、たとえば、
12×10は計算の仕方として「×10」は「数字に0を1つくっつければよい」と覚えることが多いので「12に0をひとつつけて、答を120としておしまい」とする場合が多い。
ここで数式をイメージ化して上記の縦長の12を10個横にならべてみるとしよう。
じっと眺めると、横長の10が12個あるような図に見えてくる。
上のようにイメージすれば、
12×10(12が10個)などは
ただちに、10×12の式
(つまり「10が12個集まっているイメージ」)につながり、
交換法則という名前を知らなくても
交換法則を無意識のうちにイメージしながら、
12×10の答が120であるということを
納得できるのだ。
■進化する「数のイメージ」
さらに、このようなイメージを持っていると、のちのち新しい数を習うたび、そのイメージは進化することになる。
たとえば、「2分の1」や「0.5」を習えば、
のイメージにおける○が半円2つに合わさったように見ることもでき、
12÷2分の1 や 12÷0.5 は
「○が12個」では、
「半円が全部で24個分だ」と
軽くイメージできるので、
の計算を見た瞬間、計算の仕方を習わなくても自然に答が24に決まっているという感覚につながるだろうし、
また、○が4分の1円が4つに合わさったように見ることもできれば
12÷4分の1 や 12÷0.25 は
○が12個では、4分の1円が全部で48個分だと軽くイメージできるので、
の計算であれば、自然に答が48に決まっているという感覚につながるのである。
また、イメージそのものは、可塑性・可変性に富むので「具体的状況によって姿を変え」やすいので、式の中で他の数字との組み合わせ・相性により、カメレオンがまわりの環境の色に合わせて自分の体表の色を変えるがごとく、その姿を状況に合わせて変えることによって、非常に楽に計算できるのである。
たとえば、
という計算を考えてみよう。
「数のイメージ」が十分にできあがっていない小1の子どもにとって
初めて習う繰り上がりの足し算は大人が想像する以上に大変である。
数のイメージが育っていない子にとっては、頭の中でのイメージの変形が行われることが難しいので、学校で習った手順をひたすら思い出すことに全エネルギーが注がれることとなる。
というややこしい手続きの暗記が必要になる(このややこしさゆえに「さくらんぼ計算」なるものが発明されたのだろうが、結局理屈は同じなのでややこしさは変わらない)。
ところが、最初はややこしく感じる手続きも10-7のようなパターン計算などの徹底反復の計算練習で答を覚え込むまでやってのぞむと、以上のような手続きも一瞬のうちに済んでしまうようになるから、いずれはすらすら計算ができるようになり、計算が得意になったと錯覚するのである(あろうことか、「計算は暗記である」と言ってはばからない者まで出てくる)。
しかし、それは「答がすばやく出せるようになった」だけで「数のイメージ」が育っているわけではないので、新しい計算式を習うとまた1から順に、機械的な手順を覚え込むまでひたすら単純計算の徹底反復にいそしむことになる(とはいえ、仮に計算の機械的な手順を覚えるためだけが目的であっても、大量の同一パターンの計算問題を一度に解くのは本当は効率が悪いのだ)。
■「数のイメージが育った子」の計算方法
それでは、数のイメージが豊かに育っている子どもであればどうであろう。
そのような子どもにとって、たし算の繰り上がりを初めて習う時もたいして苦労はしない。
この場合、状況から自然に7は「3を欲しがっているような数字」に見えてしまうのだ。7に対してそのようなイメージを持つことができれば、別に「あといくつで10になるでしょう」という問いかけなしで
という感じであろうか。
つまり、「繰り上がりのたし算」という特別な用語さえもいらない。繰り上がりがあろうがなかろうが関係なく計算してしまえるのだ。
7+6の計算過程のイメージは次のような感じであろう。
と
↓
と
↓
上記のイメージの流れのごとくイメージ操作によって、まず7に3がくっつき、10と3になる。この場合の7は「3を欲しがる7」というイメージであるが、別の計算では7という数字のイメージは変わる。
別の計算状況においての7は「7は2と分かれて5に変身する用意ができている数」のイメージに変化することもある。
たとえば、28+7を見た瞬間、
7が3を欲しがり
(28-3)+(7+3)
=25+10
のように見てもいいが
「28が2を欲しがっている」状況と
「7は2と分かれて5に変身する用意が
できている数」の条件が合致して
と見えてしまうと、この計算は簡単に答が出る。
これは何も7ばかりではない。
相手の28も同様である。
この計算において「28が2を欲しがっている」ように見えるのは、この状況がそのように見させるだけであって、具体的状況が変われば、12や7と同様、28の顔もさまざまに変化する。
■「工夫を必要とする計算」もイメージで
次に、「計算の工夫をすれば簡単になる典型的な問題」を使って、28という数のイメージの変化を見ていこう。
このような計算は、計算方法を検討することなく、機械的な手順にしたがって計算する子がほとんどだろうと思う。
だが豊かな数のイメージを自然に持っている子は
もし仮に「これは工夫する計算だよ」と
言われなくても
計算するよりも先に
全体をぼぉーと眺めて
数を、式の操作を、
イメージすることができるから
いろいろと見えてくるものが多いようである。
まずは、①の計算問題。
という流れを瞬時にたどることができる。
この流れを式で表せば次のようになって一見ややこしい計算をしているように見えるが、イメージを利用している子どもにとって、その時間は「瞬時」の出来事だ。
次に、②の計算問題。
(28+98×14)÷4
の式を見れば
今度は、28は14に刺激される。
「28」は
「14が2個(14×2)」に見え、
「98×14」は
さきほどの交換法則のイメージから
「14が98個(14×98)」にも
見えるから
( )の中は、
「なんだ結局「14が100個(14×100)」じゃないか」と思い、
1400とほぼ瞬時に認識するだろう。
あとは1400÷4の計算をするだけ。
1400の半分の半分で350となる。
参考のため、思考の流れを式にすると次のようになる。
ただし、イメージ操作ができる子にとって、頭の中にこれらの式が出てくることはなく、あくまでもイメージ操作の変形のみで答を出すことができるので答にたどり着くのはほぼ一瞬の出来事なのかもしれない。
■工夫する姿勢は計算問題だけでなく他にも働く
数のイメージを豊かに育ててきている子は、数式を余裕を持って眺めることができる「目」が育っているので、この「目」が、絶えず、なにがしか「工夫」するチャンスをうかがっている。
計算問題に対する心構えそのものが、ただ単に素早く計算できる子と質的にちがっているのだ。「単なる計算問題」をそのような目で眺める感覚が「単なる計算問題ではない高度に応用された習ったことのない文章題や図形問題」に対しても働く。
無意識のうちに絶えず「工夫」しようとする姿勢がこれから習う算数・数学のいろいろな分野においてとんでもない力を発揮するのだ。
■数の具体的な状況を読み取れない子どもたち
だが、現実には、600÷2や300×2という式を見て、何も考えることなく筆算を書いて、例の「割り算のアルゴリズム」によって解くことが、算数・数学を苦手とする子どもの間に散見される。
数の具体的な状況を読み取ることができないのだ。
○○○÷○、○○○×○という形を見れば「パブロフの犬」のごとく、筆算を書くように訓練されたたまものである。
たしかに、筆算でも正解は得られるが
と軽く答を出せないというのは、やはり大きな大きな問題だと思うのだ。
■数のイメージを育てるために
では、数のイメージを育てるためにはどうすればよいのか。
子どもの日常の遊びには、大人が思う以上に数字との関わりが大きいのだ。日常生活は数字であふれている。これを生かさない手はない。
次に、机上の学習においては、
だが現実には大量の問題を反復させた方が学力がつくと信じられている方が多いので、こうした学習法はほとんど人気がない。
こうしたことを日々実行していけば、数のイメージを育てていくことができるだろう。
■算数の苦手な子にとって最も必要なもの
算数の苦手な子は「単純計算の徹底反復」が必要だと語られることが非常に多いし、それに賛同される方も多いが、算数の苦手な子こそ、数のイメージ作りが先決なのである。
10年以上前のことになるが、うちの塾に九九を満足に覚えていない新小3のS君が入ってきた。私は逆にそのことに喜んだ。
九九を覚えていないのなら、かけ算をイメージで出す練習ができると。
躊躇することなく、お母さんに提言した。
九九をしっかりと覚えないまま、
このままゆっくりと進みましょうと。
幸いにしてお母さんにご快諾いただいた。
S君は素早く九九で答を出すことをしないから、ちょっとした計算など、ふつうの子が2,3秒でできることも、ゆっくりと数分もの時間をかける。
瞬時に計算で答を出すことができないから、毎回非常にユニークな計算の仕方をしてくれる。おかげで私自身も非常に勉強になった。
そうしたことを続けていると、だんだん数のしくみが見えてきたようで、まだ学校で習っていない割合や速さの問題を解くことが出きるようになった。
もちろんS君は公式や解き方などは知らない。私もそのようなことを教えない。時折、「~割」「~%」「時速」「分速」など、文章中の分からない言葉の意味を教えるだけ。中学入試レベルの問題を解けることもあった。
見ていると計算の速さはやや速くなったかなというぐらいで、何よりも「数のイメージ」が育ってきつつあるのを実感できた。
もしS君に九九の暗唱を強制的に行い、単純計算の徹底反復を命じていたら、確かに学校のテストは満点、もしくは満点近く取れるようになっただろう。だけど、その見せかけの華やかな点数に隠れて「数のイメージ」は育っていなかったと思うのだ。
算数の力が弱い子ほど単純計算の徹底反復をさせてはいけないというのが私が実感とするところ。
単純計算の反復をさせる前に
まずは、「数のイメージ」を育てることが先決。
「基本」というのなら
まず「基礎」の確立が先なのだ。
「学力低下には、計算ドリル」のような感覚で
赤チンばかり塗っていると
症状はますます悪化するかもね♪
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