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障がい児の『できる』を探すは・・・地獄のはじまり💦


「この子の未来を信じて、私は頑張る。」
そう決めたはずなのに…現実がそれを押しつぶす。
子どもが「もうしたくない」と言い出したとき、心にぽっかり穴が開いた。
誰よりも頑張ったのに、私の気持ちは、どこにも届かない…
次第に、自分が追い詰められていることに気づいたとき――それが、わたしの心が崩れ落ちる瞬間だった。


■ 親の誤解と期待

障がいを持つ子どもに対して、社会は無意識に特別なイメージを抱いています。

「みんな工場のような単純作業を永遠に続けられると思っている」

けれど、実際はそうじゃない。

1つの作業を覚えるまでに膨大な時間がかかり、それでもミスが頻発することもあります。
例えば、袋詰めの作業を試してみる。何度練習しても袋の口を開けることさえ苦手で、最後までできるようにはなりません。

「絵を描かせるとすごく特徴的な絵を描けると思っている」

けれど、実際はそうじゃない。

アーティストのような才能を期待されることがありますが、
ほとんどの子どもはただ絵を描くのが好きなだけ。
特徴的な絵を描ける子はごくごく一部です。
うちのちびっこも絵が好きですが、完成させるまでの集中力が続かず、途中で投げ出してしまうことがほとんどです。

「比較的1つのことに秀でていると思っている」

けれど、実際はそうじゃない。

実際には「できること」を探す過程が、親にとって大きな負担になります。得意なことを見つけてあげたいと必死になりますが、結果的に見つからないことも多いからです。

「早くに親ができる所を伸ばしてあげたら、人並み外れて何か成し遂げると思っている」

けれど、実際はそうじゃない。

私たちも、子どもの「得意」を伸ばそうと頑張りました。でも、特別な才能が突然花開くことなんてありません。
普通のことを普通にすることさえ、壁がいくつもあるものです。

■ 親としての現実

正直に言います。「できる」を探す作業は、親にとって死ぬほどしんどいことです。

何をやらせても結果が出ないと、「親として間違っているのでは」と自分を責めるようになります。
そして、少しでも上手くいきそうなものを見つければ、それに期待して、子どもに頑張らせてしまいます。

でも、その期待が重荷になることもあるんです。

例えば、子どもにピアノを教えたことがあります。
何度練習しても指が上手に動かない…失敗と思い、泣いたりしました。
結局、ピアノを「嫌いなこと」として記憶してしまいました。

■ 心が折れる瞬間

何度も心が折れます。
例えば、頑張って何かを練習しても、それが社会で通用するレベルには達さないことに…

他の子どもが自然にできることを、自分の子どもは何倍も時間をかけても習得できないことに…

一番つらいのは、子どもに「もうやりたくない」と言われたときです。

私が頑張れば頑張るほど、子どもにとってはプレッシャーです。
それに気づいたとき、私は「この子のために何をしているのだろう」と考えざるを得ませんでした。

■ 本当に大切なこと

障がいを持つ子どもの「できる」を探すのは、親として大事なことだと思います。
でも、それは「特別な才能」を見つけることではありません。

小さな「できた」を積み重ねて、子ども自身が「これでいいんだ」と思えることを増やしていくことです。

例えば、うちの子は掃除が得意です。得意と言ってもそんなに几帳面でもありません。
特別なスキルではありませんが、「きれいにしたら気持ちがいい」という
達成感を味わえるようになりました。

小さなことですが、親としてはそれで十分です。

小さな一歩を見守ることで、親も子どもも少しずつ楽になれるのではないでしょうか。

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