カフェをとりまく人々 #2 大家さん夫妻と喫茶ミニ
2006〜2022年、私はカフェオーナー兼、料理人だった。
そこで出会った、興味深く愛すべき人々のことを、少しずつ思い出しながら綴っていこうと思う。
#2 大家さん夫妻と喫茶ミニ
2006年4月、地元の島根県でカフェの物件探しをしていた25歳の私。
商工会議所のベテラン女性が「いいところがあるから」
と連れて行ってくれたのが「喫茶ミニ」の物件だった。
駅や繁華街からも歩ける距離なのに、目の前は大きな川で、視界が拓けている。一階が喫茶店、二階は大家さんの住居。
大家さん夫妻は当時60代後半で、ご主人が病気で手術をし治ったものの、少し前にお店を畳んだばかりだった。
昭和40年代から駅前に喫茶店を開業し、繁盛して、昭和55年頃にこの建物を構えた。ご夫婦で考えたという内装は、重厚で品がある、それはそれは素敵なデザインだ。
レンガに縁取られたドア、窓、カウンターに天井、すべてが美しい曲線で、
よく手入れされた、古き良き喫茶店そのものだった。
私は用意したA4サイズ6枚ほどの事業計画書を渡し、本気だと理解してくれた大家さんから契約書をもらった。「若いのにしっかりしている」ありがたい言葉ももらった。
厨房機器のためにキッチンを一部改装し、和式のトイレを洋式に工事し、
美しい内装と、残してあったテーブルや椅子、カーテンはそのまま使わせてもらうことにした。
新しい看板と、ソファーやテーブルを足して、私のカフェが完成した。
大家さん夫妻は、まだ経営を何もわかっていない私を、いつも気にかけてくれていた。
でも何も口出しせず、「好きにやったらいいよ」という姿勢だった。
この大家さんでなければ、お店はこんなに長続きしなかったと思う。
大家さん夫妻が、ジャズ好きだというのは、すぐにわかった。
壁に大きなルイ・アームストロングのポスターがあったから。
私もお店のBGMにジャズをよくかけた。
時々、大家さんが覗いて「いいのかけてるね」と言ってくれた。
2008年、若い層の集客に悩んでいた私は、友達の勧めで内装を変えることにした。友達の弟が建築デザイナーで、話はどんどん進んだ。
あろうことか、私は大家さんの許可を得ることを忘れていた。工事2日前だ。
怒られると思った、借りている立場で、自分でも酷いとわかっている。
奥さんは「そうか。みゆきちゃんの好きにしたらいいよ」と言ってくださった。
申し訳なさでいっぱいだった。
その後、お店はタイルの上に木材の明るい床を取り付け、壁の一部も変え、看板も白く変えた。
南フランスをイメージした青や黄色を取り入れて、アンティーク風の明るい雰囲気に生まれ変わった。
改装工事のあと、新装オープンに向けて一人でメニュー表を準備していた。
時間を忘れて音楽を大音量でかけていた私に、ご主人が降りてきて声をかけた。12時回っていた。
「みゆきちゃん!何時だと思ってる?」
初めて、大家さんが怒った姿を見た。
今思えば、あれは大切な店を勝手に改装してしまった私への怒りだったかもしれない。
大家さんにきちんと話していなかったこと、美しい床タイルを覆ってしまったことは、今でも少し後悔している。
2013年、私の結婚が決まり、大家さんにご挨拶しに行った。
ご主人が、真面目を絵に描いたような夫を見て「ええ男だから、浮気せんように気を付けんとね!」と言った。私は内心「そうかあ?見た目はそうでもない」と思った。結婚式にも来てくださった。
2016年、長女が産まれた。この頃から、お互いの距離が縮まった気がする。
時々、大家さん宅の玄関とつながった裏口から、遠慮がちな声がかかる。
「みゆきちゃん、ちょっといい?」
携帯やパソコンが、わからない時に呼ばれ、お手伝いした。
ご主人はパソコンで株を操るデイトレーダーになっていた。
Youtubeでジャズの傑作ライブを見たりもしているらしい。
私は2階の大家さんの住居が大好きで、上がるのが楽しみだった。
川に面して大きな窓のある、清潔ですっきりしたキッチン。
ソファーと大型テレビ、オーディオ機器が立派なリビング。
日当たりの良いテラスに、手入れされた観葉植物がつやつやと光っている。
無駄なものが一切なく、古いものがすべて愛され磨かれて、本当に居心地がよかった。
2018年、次女が産まれると、大家さんが時々「次女ちゃん預かるよ」といってくれた。2階へ行くと清潔な毛布が用意してあって、気持ちよさそう。私が寝たいくらいの幸せな環境。
「うちの次女が赤ちゃんのときは、ホームセンターでインターホン買ってきてね、押ボタンのところを輪ゴムで縛っておいて、片方を持ってお店に降りるの、そうすると泣いたら聞こえるでしょう」知恵と工夫の天才だ。
ベビーモニターなんてなかった、昭和50年頃のこと。
たまに「喫茶ミニ」の話をしてくれることがあった。
駅前のときは中二階があってね、いつもサラリーマンでいっぱいだった。
ジャズライブもしたよ、壁にサインがあるでしょう。あれだけは消さないでね。
ここに、仕切り棚があってね、そこにサンセベリアを並べてた。空気がきれいになるからね、いっぱい置いてたわ。
写真も見せてもらった。美しいご夫妻と、一目でハイセンスとわかる駅前店。新装開店当時のチラシもきれいに保管されていた。
2020年、コロナ禍で私と中山さん(のちに後継者になる)と二人だけになった頃から、大家さん(奥さん)がよく下りてきて、お話しした。
私たちは大家さんにお願いして、喫茶ミニで出していた、ミックスジュースとフルーツサンドの作り方を教えてもらった。「いつか喫茶メニューも出したいね」なんて言いながら、楽しい時間だった。
大家さんはいつもの赤いエプロンをつけて、てきぱきと、さすがの手つきだった。
2020年のクリスマス、長女4歳6ヶ月が、店で絵本を読んでいた。
大家さん(奥さん)もいて、「この子、アナウンサーになれるよ、上手!」と褒めてくださった。お世辞ではなかったと思う。「ちょっと待ってて」
と出かけて、戻ってきた大家さんの手には、子供へのクリスマスプレゼントがあった。キティーちゃんの絵がついた、プラスチックの箱入り、お菓子詰め合わせ。子供が大喜びした。私もすごく嬉しかった。
2021年10月、ご主人が亡くなった。
コロナ禍で、日課だった散歩ができなくなったのがよくなかったように思う。仕方ない、でも、悔しい。
奥さんは、一人になったあと「元気がでない、お父さんのところに行きたい」と言う。お惣菜を届けたり、お掃除を手伝ってみたりしたけれど
「みゆきちゃん、もういいよ。なんにもいらないの」と、徐々に元気がなくなってしまった。今は、病院にいるそうだ。
せめて、少し小さくなってしまった背中や、温かい手を優しくさすってあげたい。
人生の大先輩に、かけられる言葉はみつからないけれど。
遠くに引っ越してしまった私には、それも叶わない。
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